KING OF HOBBY の仲間達
開局時新聞社撮影写真
こうして始まった私のHam活動でしたが、学校側も開校以来初めてのこととて職員会議を開き、夜10時までの活動許可と設備の設置場所の提供を決めてくれました。アンテナ、アース工事はJAФB*V
OMがご心配下さり、今はサイレントキーされたJAФI*、O*両OMや、現在は私の勤務先の厳しい上司であるJAФD*D浜OMが本当のボランティアで実施して下さったのです。(その時はまさかD*D局が将来自分の上司になって再登場されるとは夢にも思いませんでした。)
当時ローカルでも珍しい20m超の鉄塔を設置され、先端を走って居られたJAФI* 桑沢OMのシャックにお邪魔させて戴いた折りには、そのすばらしい設備に目を瞠ったものです。特に机上に鎮座していたSuperPro SP-600 (アメリカ軍用受信機)は、これぞ受信機といった感じで本当に感銘を受けました。(30年後、中古ではありますが私もやっとSP-600JXを入手することができました。これで聴く「ラジオ深夜便」はなかなか味があります。(伝田OMごめんなさい。)) また桑沢OMは当時まだ珍しい430MCのATV(アマチュアテレビ)をやっておられ、私の寮と自局間の画像受信実験をさせていただいた事もありました。その模様がローカルテレビ(こちらはプロです。)に取材され、放送されたのも懐かしい思い出になっています。
JAФD*D OMには年齢が近いこともあり、本当に親しくお付き合いさせていただきました。夜な夜なの交信の相手はもちろん、運用を通してのアマチュア無線をお教え下さったのは正に浜OMでした。当時最新の受信機(JR-310)を貸していただいたり、タクシー無線機の受信部を改造した144MCのバラック受信機を戴き、新しい周波数帯の様子にビックリさせて戴いたりしたものです。また後輩と二人、お宅にお邪魔した折りには、ご両親共々ご歓待下さり、本当にありがたく嬉しいことでした。
ある日、学校の近くの酒屋に7MCのDPアンテナが上がって居るのを発見し、何の面識もなくお訪ねしたのがきっかけで親しくさせて戴いたのがJAФE*K局でした。学年が同じということもあり、たまたま彼のシャックに転がり込んでは、お店の冷たいジュースをご馳走になりながらアマチュア無線談義に花をさかせたものです。考えてみると当時のHamの連帯感は現在想像する以上に強かったと思います。全国合わせても6万局弱しかいなかったというのも原因の一端ではあったのでしょうが・・・。
こうしたFBなハムライフを過ごすうち、どうかして自分も電気系で飯を食うようになりたい、と思い出したのは(今思うとかなり無謀だったと感じますが(^_^;))当時の自分としては自然の成り行きでしたし、少なくともあの開局時のすばらしい出会いの時があったればこそ、現在の自分があるとは言えると思います。
| アマチュア局開局から数えると30有余年が経とうとしていますが、その場面場面でアマチュア無線をやっているということだけで、助けられたり励まされたりということが多々ありました。本当にこの期間、私に関わってくれた各局に深謝したいと思います。 |