随筆:「悔恨」

by ご近所のきよきよ


 
 所用があって沼津にいってきました。台風一過の晴れの日で、次の日はまた雨だという。梅雨の晴れ間の小旅行でした。沼津には永いこと住んでいて、愛着もひとしおです。
 
 新幹線あさまに乗ってふと思い出したのです。私も会社時代にPSE(Problem Solving Environment)のような仕事をしたことがあるなと。PSEというのは操作が難しい基幹システムを利用者に使いやすく見せるためのツール群です。そうそう、メインフレームにあるデータベースを、パソコンにある・・・あるソフトで利用するのを助けるツールを開発するプロジェクトに加わったな・・・と思い出してみると、これは、今で言うPSEですね。
 私はなんか、ツールを実現するスクリプトを組んでいる人たちを傍観していました。マニュアル書けと言われて、書いたのですが、興味が湧かなくてプログラム作成者の書いた仕様書をまるまる採用したという悲しい思いをしました。私としては、この開発の方向は違うなと思っていたし、大して戦力視されているわけでもないと感じていましたので、投げやりになっていて、まじめにシステムの勉強はしなかったのです。
 開発の方向が違うなと感じたのは、私がこのツールを見て使いたくなるようなものでなく、ユーザとしてはツールを使わずにメインフレーム系とパソコン系の関連ソフトのマニュアルを勉強した方が早いと判断したためです。マニュアルが充実していなかったということですか。使いにくいシステムならメインフレームのインターフェースを使いやすくしたり、パソコン側のソフトをライブラリー化するとか、本格的に機能を見直すことが肝心で、屋上屋を架すようで、しかも姑息なつけ刃的ツールを作るべきではない・・・と。
 作っているツールがつけ刃みたいだと感じても、では私ならばどうするか・・・は、当時の私の知識ではなんともアイデアは無かったです。これが正直なところ。今なら、環境定義やプログラム仕様などをオントロジーとかWSDLで定義して、製品群全体の動作環境を把握できるようにし、オンラインマニュアルと実環境の整合性を取ったりして、大がかりに攻めたいですね。メインフレームも分散環境にパソコンと違和感なく扱えるようにするとか。とにかく、PSEは大がかりに対応した方が成功率は高くなるとこの頃感じています。ユーザに何か抵抗感を与えたら、良いPSEではなくなるわけですから。大体がOS以外の追加ソフト群はユーザには抵抗感の対象でしかないわけです。
 「研究開発への道(児玉信次郎著 東京化学同人刊)」には、人は他人のアイデア(言うこと)は拒絶してしまうものだとありました。私も会社時代の体験からそう思います。というか、それもですが、なかなか他人の言うことの本質をつかめない。上記のツール開発でも、結局課長の本当の狙いというものを当時の私は理解できていなかった。ひょっとして、単なるツールの開発をしたかったのではなく、「使いやすいシステムを追求していきたい」だったのかもと今になって思うに至ったのです。でも、「このツール作りたい」という言葉しか私の記憶には無いですから、私が努力しなかったのに言い訳ができてしまった局面でもあります。
 そうそう、ソフトウェア開発人って、部下をコンピュータと勘違いしている人が多いですね。なんか仕様を事細かに決めて、これを誰それやってくれです。考えさせない。考えさせるのは、本当に狭い範囲のことです。それが「できる」上司というものとの思いこみというか、なんというか。私は当時から人に仕事をたのむときには、コンセプトを言って、具体的な仕様策定や行動はまかせるようにしていました。おかげで、仕事をほったらかしにされた思い出がありますが。具体的な力作業を好む人もいるし、特に全く新しい体験のシステムをつくれと言われたときには、なにか具体的に作業できるものが勉強の道具としても必要になります。でも指示される具体作業がものすごいエネルギーを要するものだとしたら・・・それでは創造性の芽がつみ取られてしまいます。
 創造性は訓練して身につけるものだと、「創造性開発訓練法(R.L.バイレィ著 開発社刊」にありました。工学的創造活動のワークフロー、ノウハウが細々と書いてあります。読み味は良いと思います。
 
 とにかく、PSEという大きな枠組みで上記の仕事を把握出来なかったのは痛恨のいたりでした。アイデアを話している人が自身でも気づいていない本質的なところを把握できるように成りたいものです。
 
 そんなこんなで、列車の中で本を読むつもりでいたのですが、考え事にふけってしまいました。そして、未夢のこれからのこと、人工知能プログラムのあり方・・・特に「思考」をどうするか考えていて、ノートをいっぱいにしていました。
 観光が出来るほどの時間は取れなかったですが、久しぶりの列車の旅は有意義でした。
 
 

おわり