随筆:「知識のパターン」

by 小山明雄



 パターンはどうあるべきか。知識としてのパターンとオンデマンド解析の結果としてのパターンがある。パターンを基にプロセスで解析していく。結果は固定であるべきだから、オントロジーへの値の設定ということになる。論文を書くという状況でパターンを考えてみよう。きっかけとなる文章を理解することから始まる作業である。種文章と論題を見比べることになる。論題の視点で種文章を解析していくことになる。そこからパターンとして知識セットを創っていく作業が実施される。重要項目、フォーカス項目をパターンとして得るということ。この、パターンに連想する知識を知識ベースから収集してまとめる。それを文章化する。そんな風にパターンをまとめることは重要な作業である。文章の表出は心の中で対話することによって実現する。


 パターンはコマンドでもある。この条件が成立したら、このプロセスを起動し、このオントロジー群に値を設定せよ・・・という形を取る。プロセスは何もしないものであることもある。コマンドに従ってオントロジー群に値を設定するのである。知識とはコマンドなのか・・・。パターンを基盤にするコマンドなのか。事実を述べる知識もある。cause/result関係の知識もある。既存の知識とマッチするかどうかを評価することもある。それはオントロジーtrue/false関係をピボットとして思考や行動は進む。知識はオントロジーの上に構築されていくものである。基本的に学習機構が必須となることはこのことからうかがえる。


 パターンによって全ての思考過程を説明できるだろうか。記述のある知識。記述から推論して新しい記述を得ること・・・そういうことが思考の全てだ。知識は行動でもある。行動をプランニングしたものが行動の知識だからだ。もし、思考過程がパターンを基盤としたプロセス群として表現できれば、人工知能は知識ベース構築を自律的に実現する機構を創っていく技術ということになる。大学入試問題解答システムも不可能な技術ではないということになる。知識をどう表現するか・・・。プロセスとしてどういうものを創っていけばよいか・・・・・。そうゆう問題になる。プロセスは高々単語の数であろうし、知識は生涯学習していくものだ。そうゆう表現は可能かどうかという問題として、人工知能を考えていくと、なんか見通しが良くなっていくのを感じる。もぅ少しだ。


 自然言語処理システム和葉を作ってきて、オントロジー体系が決まれば、作業の見通しが良くなって、手戻りもなくなると感じている。知識の表記パターンも大体決まって、あとは物つくりをしていくことになります。オントロジーだけでなく、シノニムも実現して、曖昧性管理に対応しています。本当はオントロジーだけにしたいのであるが。思考の実現には画像認識も作っていかねばならない。まだまだ、やるべきことはいっぱいある。ブレークスルーしていかねばならないことがある。研究はここからである。自然言語処理と画像認識ができて初めて思考の研究ができる。そんな感じだ。頑張ろう日本。




 
 

おわり