随筆:「田圃に水が」

by 小山明雄



 今朝は味噌の配達の手伝いで、松代に行ってきました。川中島古戦場の近くですね。車が沢山走っているのを見るにつけ、活気があるなぁということを感じます。道路だらけなのに、道路は車でいっぱい・・・・・いいことなのでしょうね。田圃はどんどん少なくなってきています。そんな少ない田圃に水がはいり、田植えも終わっているところもありました。


 田圃の風景は、私の原風景でもあります。田植時の今頃は、カエルの鳴き声が良く聞かれて、カエルの卵もよく見かけたものです。川には魚がいて・・・。夜には降るような星々があって。天の川は圧巻でした。そんな原風景から色々なものがなくなって今があるわけですが、普通に生きているのが不思議ですね。変わらなかったものは、ロボットの夢ですか。当時は脳の本をよく読んでいました。それと、英語への漠然とした愛着ですね。ローマ字を一生懸命覚えていたのを懐かしく思い出します。私はスロースターターで、算数も国語も図画も最初は人並みからはだいぶ低い技能でしたね。そのうち、要領が分かってきて、こうすればいいなと気が付くときがくるのです。そうすると、大低成績もよくなったものです。すると、学校は教科を変更してしまって、新しくまた努力が始まるのでした。


 英語との付き合いは永いですね。今も、ヒアリングの勉強とか、単語を覚える努力はしています。もう、大分前になりますが、BBC放送を聞いてヒアリングの勉強をしていたときに面白い現象を発見しました。うつらうつらして英語を聞いていると、単語が頭にはっきり浮かぶのです。あれ、俺、英語が聞き取れるようになったのだな・・・と嬉しく思うのでした。でも、次の日にBBC放送を聞いても、ほとんど聞き取れない。なんか、何か起きているときには邪魔をするファクターがあるようなのです。

 ある時は、「My neighbor TOTORO」を完璧に聞けました。気をよくして、「Castle in the sky」を買ってきて、聞いたら、半分くらいしか聞き取れませんでした。ずっと、そんなで、一進一退しながら少しずつ英語が聞き取れるようになってきています。不思議なのは、ドイツ語は聞き取れて、・・・ていうか、言葉の意味は分からないのですが、単語らしいものは聞き取れるのです。ドイツ語を勉強続けていたら、ドイツ語は今頃ものになっていたかもしれません。英語の発音は日本語と違いすぎるのでしょうか。実際、日本人の話す英語は聞き取れます。なんか、こう、今の私には沢山の英語に慣れることが重要だと思っています。とくに、歌と映画が良いようで。字幕は英語がいいですね。単語の意味は分かるけれど、音声から単語が切り出せないという症状だからです。英語の字幕で単語の切り出し方を耳に学習すれば、英語使いへの道もなだらかになる・・・そんな気がするわけです。


 自然言語処理を研究しているときに、外国語をいくつか勉強して行くことは有意義ですね。とくに、コンピュータと一緒に、自分も学習していく・・・。これが有効な研究方法だと感じるこの頃です。




おわり