随筆:「カオス的脳観」

by ご近所のきよきよ


今年も1年、このページをご覧になってくださり有り難うございました。来年はどうゆうホームページにしていくか考えると楽しくなります。来年もどうぞよろしく。


去年は物語を中心に生き、今年は考察に生きたと推察なさる読者もおありかと思いますが、基調はプログラム作りに生きてきているのです。去年も知識ベースシステムを作り(すごく簡単なもの)、シンボル認識をやり、自然言語処理へと進んでいきました。この自然言語処理は「動画システム」を本格的に実現しようというもので、張り切って作っていきました。プロジェクト名も「未夢(みゆ)」。NHKアニメの「だぁだぁだぁ」の主人公の名前。私もずっと、「ロボットは子供の頃からの夢です」を合う人ごとに言ってましたので、つい「未夢」という名を拝借してしまったのです。許してくださいミカンさん。

で、これ挫折したのです。「は」とか「が」、「も」などの格助詞の意味解析の曖昧性の解決にうんざりしたのが原因でした。それで今年1年その挽回のために費やしたのでした。そして11月、未夢プロジェクトを再立ち上げ、2ヶ月が経過したところです。

そして思ったのです。「カオス的脳観」にいつか行き着きそうだと。曖昧性処理を考えていると、どこでどう他の曖昧性と作用しあって、確定事項になっていくか予想がつかないのです。ああゆうふうにしていって、こうゆうふうに処理すればこうなる・・・などとプログラムを組むのですが、フッと別の重要な事に気づく。今まで考えて作ってきたことが覆る。そこで、「適者生存戦略」として、曖昧ならばどんどん処理を枝分かれしていって、相互作用させあって、最後に最適なものを選びましょうという手法を取ったら、ある程度見通しが良くなりました。しかし、CPU資源やメモリ資源は簡単に底をつきます。FMV M7/1007は健気に這い蹲って処理してくれてますが、ま、実用のレベルでないですね。


何かあると波のようにプロセスを生成消滅させて、どんどん処理を発展させていく。波の相互作用も最大限有効な実現方法を施す。そうすれば、何時か最適解に到達したものが生まれて、それの中から「意志の力」で最適選択させてやる。そんな手法に行き着くのではないか。そう考えるに至りました。これって、「カオス」の考え方ですよね。

脳も言葉を聞いているとき、ちょっとした単語でも大きな領野が活動します。波のように情報処理プロセスが相互作用しているからです。

人工知能は何時か、「カオス的脳観」に収斂していきそうです。昔読んだ本に次のものがあります。これ、その昔東京のブックセンターで買ったものです。


「疲労感 心地よくあり 年暮れる」