考察:「文パターン9」

by 小山明雄


 

 昔、シンボル認識のアルゴリズムを考えていた時、視点というか何にフォーカスするかによって、解釈が変わってくるなと気が付きました。手書きで円を描くと、完全な円になりません。歪んでいたり、断線していたりと色々です。考え方によって、楕円とも見れるし、円に近い扇型とも見れるわけです。パターン認識では視点が重要なのです。いくつもの候補パターンを知識として持っていて、それらと全件突き合わせて、もっともマッチするものを選んで認識結果とする。たまには、複数の認識結果の間で揺らぎが起きたりします。人間でも、天井の木目を見ていると、人の顔に見えたり、象とか川に見えたりと揺らぎが起きます。


 自然言語でも同じだと思います。どんな解釈結果になるかは視点によって異なってくるように感じます。もともと、自然言語は曖昧があるシステムです。そんな曖昧も含めて、解釈は視点があって・・・フォーカスがどういう意味に絞られているかによって、解釈がなされていく。この文とほかの文が同じことを言っているか異なったことを言っているかか、フォーカスの違いで異なってくる・・・・・・のではないでしょうか。だから、スラックス・パターンマッチングはおおざっぱなようで、有効な技術だと思えるわけです。決して、処理を簡単にするため、とかストリクト・パターンマッチングの前処理というのではないのです。視点を変えることを許してパターンマッチングしていくならば、スラックスマッチングは必須なのです。


 連想は視点をベースにした2項関係と前に述べました。信濃プロジェクトはその線で、テーブルを作っています。ですが、良く考えると、知識モデルに記述されている項目から、推論で連想関係を得ていくことも必要だと気が付きました。それは、視点を設定して、意味記号群を選定してマッチングしていったとき、マッチした項の他になにか項があるとそれは連想関係として利用できます。もともと、ある知識モデルがもっともベースらしいとなれば、そのモデルに記述してあるデータはすべて連想して得られる項と考えられるわけです。


 こうして、イメージと記号の世界もパターンマッチングという技術で等価に扱えることが分かって来ました。認知とは何か。知能とは何か。そんなものが見えてきたように感じます。




 

おわり