考察:「日本語意味の曖昧性と群論」

by ご近所のきよきよ



 オントロジーを作っていて、意識しなくてはいけないことは、文生成にも役立つ物にするにはどんな情報をオントロジーに加えていかねばいけないかということだ。意味理解だけならば、単語とか文章の根幹の意味を捉えて、記号で表現すればいい。しかし、文生成となると、的確な意味を持つ単語を選択するための情報が必要である。この単語の持つニュアンスをどう見いだしていくか大きな問題になる。
 ニュアンスは、話者がその言わんとしている事象に対してどう思っているか、感じているかとか、動作とかの微妙な違いとかの認識を表現するものである。「走る」と「走り回る」では同じ「走る」だが、後者は行ったり来たり、面を持って走っている状況が浮かぶ。「アホ」と「馬鹿」では親愛の情が違う。なにかニュアンスはオントロジーの複合として表現させる物である。
 文生成には状況をイメージで捉えるところから始まる。決して文章群というか記号群での表現ではない。記号群になったら、あとは単語を選択して、構文を選択して、計画的に文章を生成していくだけである。それはそれで大変な技術なのであるが、やはり多様な表現を可能とするならば、イメージのレベルから、表現を計画できるような技術の高度化が待たれる。ニュアンスと根幹意味記号が決まれば、単語は選択できるだろう。使用する構文も決定されて、あとは機械的な処理になるわけだ。
 


おわり