考察:「文型」

by ご近所のきよきよ


 

 日本語を研究していると、今までなんとも思わなかった文の形というものがすごく変化のあるものだと興味深く感じるようになりました。その文型は主に句とか節とか、文、文章とかが名詞化されることによって引き起こされています。概念が塊となって処理されやすいのですね。

(例文1)私が牟礼に行ったのは一ヶ月前(のこと)だ。


 この文では「私が牟礼に行った」が名詞化されてその属性として「一ヶ月前」が有る事を示しています。この文を普通の文にしますと次のようになるでしょう。

(例文2)一ヶ月前私は牟礼に行った。


(例文3)長野に行ったのか牟礼に行ったのかよく分からない。


 この文では「長野に行った」、「牟礼に行った」が名詞化されています。これが普通の文(例文4)に埋め込まれて文が豊かになっています。

(例文4)AかBかよく分からない。


 名詞化は明示的に名詞化が起きているとデータ構造で表現して処理・理解していくべきでしょうか、それとも解きほぐして、のべたんな単語列の特殊形として処理・理解していくべきでしょうか。今、迷っています。今の未夢は名詞化として把握していっていません。名詞化として把握した方が高度の意味処理になりますが、文意の等価性をどう把握していっていいか見えないのです。

 これはプロフィルとしての把握と文類型としての意味の把握(格と属性の配置パターンとしての文意の把握)のせめぎ合いですね。この等価性を解決する機構が必要である・・・ということでしょうか。


 

おわり