考察:「フレームと係り受け」

by ご近所のきよきよ


 

 英語の勉強や、日本語の研究をしていると、生成文法のような導出(フレーム)と係り受け解析というのは自然だなと思うようになりました。生成文法の様な手法で文を解析するのは複雑で、なんか不自然な気がします。修飾・被修飾という関係を求める係り受け解析が自然ですっきりしています。一方で、文生成には生成文法のような手法が自然です。処理が単純になります。これは英語でも日本語でも同じです。

 自然言語処理システム・・・未夢を作って結構日本語とか英語の解析というものの技術が分かってきました。未夢では文生成も行っています。動詞などの活用とか、名詞への修飾、動詞への修飾というものを考えると、先ずは大枠の文を組み立てて、その中で、実際の細かい表現(活用や修飾)を決定していく・・・そんな手法が処理をスッキリとさせるものでした。この技術は生成文法そのものです。

 ところで、文章生成というものはどんな技術でしょうか。なにか言いたいもののイメージがあって、それを文章を紡ぎながら表現していくものでしょう。イメージは画像データであるかも知れません。それを記号システムのモデルとして、意味表現の羅列としてワーキングメモリに構築していく。これは言葉のモデルでしょう。そのモデルの中の意味記号のまとまりを一つずつ切り出して文としていく。最終的に文章にするわけです。いったことがまとまりのあるものかどうかは、生成した文章も最後解析して、言いたいイメージを生成しているか確認することで行います。

 生成プロセスは条件マッチングしてアクションを選択します。プロダクションシステムなのです。無数の小さな生成プロセスがあって、それを大局の発話スケジューラが動作を管理している。そんなものですね。大局の発話は知識表現の優先順位を決定する知識モデルをもって制御していくものです。このように、人工知能は小さなプロセス・・・それはマイクロプロダクションシステムとして表現される・・・・・の協調システムなのです。次世代自然言語システム・・・和葉はそんなマイクロプロダクションシステムのセットとして実現していくつもりです。もちろん、マイクロプロダクションシステムは学習によって創成、成長していくように設計していきます。このマイクロプロダクションシステムは「ミンスキー博士の脳の探検」(共立出版刊)のプロセス要素(思考素)なのかも知れません。



 

おわり