考察:「接続詞と助詞」

by ご近所のきよきよ


 
 やはり、学校で習う事は基本中の基本ですね。尊重しないといけない。今やっと、「中学国文法」の記述の重みに気が着いたのでした。
 
 というのは、今まで何となく「と」とか「て」、「、」を接続詞として扱っていたのですがどうも上手くいかない。で、「中学国文法」の分類、「接続助詞」、「並列助詞」と助詞として処理する事を試みたのです。これが大当たり、苦悩の中にあったことが、ものすごくエレガントに処理できるようになったのです。
 その点をかいつまみますと以下の通りです。
 
(1)接続詞として扱った場合
(例文1) 綺麗と汚いとでは雲泥の違いがある。
    「と」は形容詞(形容動詞)「綺麗」と「汚い」を並置している。
(例文2) 行くと行かないとでは雲泥の違いがある。
「と」は動詞「行く」と「行かない」を並置している。
(例文3)私は学校へ行ったと言った。
「と」は動詞「行った」と「言った」を結びつけてますが並置でなくて、格関係になっています。
 
 プログラムを作った事のない人には理解できない事ですが、この状況(単語列パターン)に応じて処理するというのはひどく面倒で、しかもパターン認識という曖昧性を含んだやっかいな処理に直面するので、避けたい問題なのです。
 これが、「と」を格助詞として処理すると次のようにエレガントになります。すべて、動詞に係る格として扱って良い事がわかるのです。意味の判断は、格の意味処理で統一して扱えるのです。
・(例文1)は「汚い」の後ろにbe動詞があると判断して、「綺麗」が格助詞としてそのbeに掛かっていくと解析できます。このことは、次の文例と同じ処理だとおわかりでしょう。
(例文4) リンゴはおいしい、みかんのようだ。
(例文4)の「リンゴ」は格助詞「は」を持って、「おいしい」の後ろに想定されるbe動詞を修飾(格を構成)しています。
・(例文2)は「行く」、「行かない」は格助詞「と」を伴って動詞「ある」に掛かっていると判断できます。ただ、「行く」が動詞「行かない」に掛かるかどうかの判断は、「行かない」が格助詞を伴っているかどうかといったパターン認識的判断がはいりますが、処理としてはスッキリしています。
・(例文3)は格助詞「と」が「言う」、「感じる」といった感情・思考の動詞に掛かるときには目的格、それ以外は並置接続(順次接続)と判断するようにプログラムを組めば解決できます。格解析前の文章で接続詞か格助詞かと判断する必要はなくなります。
 
 
 基本的に、並列助詞は格助詞として扱い、接続助詞は接続詞として扱って良いようです。並列助詞は動詞の格として解析してから、接続情報を抽出していく、接続助詞は文を節に分断するキー単語として利用していきます。
 一部、工夫が必要です。まだ、「中学国文法」に全面的に承服したわけではありません。だぶって分類されているのを整理したいと思います。
・接続助詞からは、「が」や「ので」、「と」、「て」、「ても」、「から」、「のに」、「ところ」を抜きます。格助詞(副助詞)として扱います。
・接続助詞「が」は格助詞「が」と同等に扱い、最後の格解析で動詞を直受けていたら、接続の意味を表すと判断します。
・「、」は格助詞として判断します。「が」と同じ位置づけです。頑張って、文節点判断にも使いたいと思います。それは助詞「が」も同様です。
 
 
 
 この辺の議論は、日本語を研究している方はよく分かってらっしゃると思いますが、学徒の中には私のレベルの人は多かろうと、今回注解してみました。こんな細かな事でも、掴んでいると、プログラム作りが単純化されるものです。腕力で屈服させるのも方法ですが、処理相手を知り尽くした上でコーディングするのもまたよろしかろうと。
 
 参考文献:「中学国文法」 岩井良雄監修 青木一男著 評論社
 
 

おわり