考察:「和葉設計書5」

by ご近所のきよきよ


 
 文生成も文解析理解とは別の、独特の難しさがありますね。知識のどこを文章として行くかということは、意志とかプランニングの問題であります。知識の部分部分にフォーカスをあてて、そこの意味記号とマッチングする単語を選択し、構文を選択し、文を生成していくことになります。そのとき、知識の持つ意味記号の表記と単語の持つ意味定義をマッチングさせて、もっとも評価の高い単語を選択することになるわけです。連語に成るかも知れません。それは、内容連想による辞書検索なわけで、単語から意味を見出していく文解析とは逆な処理になるわけです。ASAMが必須な・・・ASAMをフルに使っていく技術なわけです。ここは、頑張って考えていかねば成らないところです。
 初めは遅い処理になってもかまわないから、3000語ぐらいの限度のASAMを実現して、そのうちにハードウェアなり、語彙豊富なオンメモリ知識ベースを実現していく・・・・・そんなことを考えています。にしても、文生成はあなどれないですね。特に、対話を実現しようとすれば、自分の表現したい知識と相手からの発言で発火される事象との連想とか、話の方向性とかを自在に手繰って行く必要があります。この辺は、面白い人工知能とは何かという永遠のテーマとして研究開発されていく技術でしょう。



 
 

おわり