考察:「思考空間」

by 小山明雄



 思い出しますね。もう12年くらい前になるのですか、沼津の三つ目ガードを歩きながら、ふと「思考」について思い至ったのです。「思考」はイメージで、自分の行動とか外部オブジェクトの運動とかを内面化したものだなと・・・・・・。人工知能の本とかをポツポツ読んでいたものですが、推論とは、三段論法とか、様相論理とか一階述語論理とか、記号論の世界での処理であることが書かれていて、そんなものかなと納得していたものです。その三つ目ガード下を歩きながらなぜ、思考はそういう記号論の世界のものではないと思い至ったのか、よくわからないのですが、パターン認識に興味を持っていたことは確かですから、なんでもイメージで捉えようとしていたのかも知れません。それから益々、画像認識のことを考えていくようになりました。当時、CG-ARTSの2級検定を3科目パスしていましたね。懐かしいなぁ・・・・・・。


 で、今、和葉と若葉で一応プログラムを作ってきて、これから本格的に自然言語と画像認識を攻略しようという段階になって、思うには、曖昧性と格闘するまえに思考と行動制御という曖昧性が入らない世界をまず地ならししておいたほうが良いのではないか、信濃プロジェクトを見通しよくしておくべきではないかと・・・・・・。今、そこで、行動制御と思考空間を考えているところです。青葉(思考処理)、瑞葉(行動制御)、秋葉(機械学習処理)を少しずつコーディングしています。イメージマップの合成は考え方がまるきりだめで、大分コーディングしたのですが、全滅でした。これから0から作り直しです。


 ところで、思考とはなんでしょうか。オブジェクトを認識したとき、3次元で捉えています。しかし、思考では視覚を内面化したように、ある視点からの2次元のイメージでしか捉えることができません。あきらかに、思考は体験を内面化しているのです。これは、進化の過程で制約があったからなのかも知れません。鳥が前足を犠牲にして羽をもったように、新しく前足を作れなかったように、人間の脳は体験の制約を超えることができなかった。

 オブジェクトの認識は、オブジェクトのスケルトン(なんかオントロジーのようなイメージ要素)と属性と運動とオブジェクト間の関係として実現されるのではないでしょうか。これは日本語の構造からも推定できることです。イメージ要素は名詞ですね。属性は形容詞とか副詞。運動は動詞で、オブジェクト間の関係は格です。文章に相当する思考過程が、文という要素から成っている。そんなことを行動制御と思考についても思うのです。この頃気が付いたのですが、行動要素は入力情報を出力情報に変換してアクチュエータに渡すだけと議論しましたが、その流れで行くと、行動制御は行動要素を選択するだけの処理で済むということです。行動を途中から開始したいとき、途中でやめたい時も、そのときの身体の持っている、入力要素で行動が決まりますから、細かい、要素への介入は不要になるのです。

 思考も同じだと思うのです。行動を内面化(機械学習)して取り込んで、その時の入力環境も記録しておく。この入力環境を時系列でQuickTimeみたいに再生してやると思考要素が自立して動くという仕組みです。制約条件も意志による思考イメージ要素への働きかけもこの入力環境によるのです。


 ということで、青葉と瑞葉と秋葉を並行して作っていかねばならないことが分かって来ます。




おわり