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随筆:「去る人達への鎮魂歌」

 私の油絵を貰ってくれたおばさんが亡くなりました。ご冥福を祈る次第です。なんか疲れてしまって、・・・こうゆうときは下世話はプログラム作りは怠くってとてもできるものでありません。そう宇宙、人生に思いを馳せなくては。



1.まえがき

 相対論を勉強していた頃、距離も無ければ時間もない世界があることを知って宇宙の深淵に感動したものです。つまり、光速Cに近づくと時間が延び、距離が縮まっていくのです。もっともこれはCに限りなく近づいているロケットを見ている観測者からそう見えるということですが。究極では(そんなことはあり得ないことですが)時間が動かない、全ての宇宙が1点に集中しているように距離もない世界にロケットがいるように見える・・・はず。無限の質量を持った過去も未来もない1点となった世界があるだけになる。

 光はエネルギーと運動量を持ちますが質量が無いため、無限の質量という困難を越えて、光速Cで動く世界、すなわち時間も空間もない世界を表現する存在になっています。何億年も離れた星の間を移動する光は、光自身にしてみれば一瞬の間、極近接した空間の出来事に見えるはずのもの・・・・・・なのかなと解釈しています。


 ところで、量子力学を打ち立てる根本原理に次の3通りに考え方があるようです。

(1)対応原理(マトリクス力学)
  現実世界(マクロ世界)の微分方程式を量子化された差分方程式に直していくことで、ミクロの世界の方程式を構築していくという考え方
(2)波動的世界観
 現実世界は波動的に分布する量の重ね合わせで表現されるという考え方
     
  • ε=h*μ
  • p=ε/c=h/λ  
と言う風に、エネルギーと運動量という物理量は、なんだか分からない波動の周波数と波長と対応しています(ドブロイの原理)
(3)最小作用の原理
 「光路は最短時間距離である。とか、ラグランジュ方程式でニュートンの運動方程式が導かれる」というものを量子力学に応用しようという考え方。ファインマンの経路積分ですね。

 これらは、数学的には同等の手法であることが証明されているとのことです。波動力学はマトリクス力学と同等であることはシュレジンガー博士が証明。波動の経路が最小作用の法則に従うのも証明無しで何となくわかります。そして、3方式とも物理量の「不確定関係」というものを予言します。


 ということを枕にして、物質の存在ということに思いをはせてみたいとおもいます。有るようで無いような私たち。物質も有るようで無いような、そんな現象であることなんだろうなということを考えてみたいと思います。



2.本論

不確定関係というものが有ります。X座標は運動量のX座標成分と互いに不確定の関係にあるというあれ。電子の座標が決まれば運動は決定できない、電子の運動が決まれば 座標は決定できないということ。もう一つは、時間とエネルギーの間に不確定関係があるということ。

 X,Y,Zの空間座標と時間Tとは相対論的に同等になりますから、座標と物理量(運動量、エネルギー)は不確定の関係にあるということになります。つまり、座標と物理量は渾然一体の固まりであることになります。分離して議論できないものということですね。つまり、座標の存在(オントロジー)と物の存在(オントロジー)は渾然一体だと。


 ところで、ε=p*(c**2/v)だから、速度は不確定関係のないアスペクトということになります。とすると、質量が座標と不確定関係があることになります。

 原子核の中で、電子は飛び飛びの座標に存在します。ある条件のエネルギー順位にだけ存在が許されるだけで、そのとき位置と運動量は不確定となっています。軌道半径くらいがある程度分かるのでしょうか、それも分かるような分からないような。

 質量もとびとびの値を取ります。光子が0で、ニュートリノ、電子、陽子、中性子、中間子とかなんだとか、有りますがそれぞれ質量は決まった値しか取れません。これも座標と不確定な関係にあるからでしょう。ひょっとしたら、座標ではなく、座標系の構造と不確定関係にあるのが質量かもしれません。というのは、質量は空間をねじ曲げるというのが一般相対論の主張だからです。

 つまり、空間は座標というメトリックとその構造とそのアスペクトというものがあるように思えます。メトリックと構造はそれぞれ物理量とか質量とかと不確定関係がある。「質量があるから空間が歪む」のではなく、「空間が歪むから質量がある」とも言えるわけです。・・・と考える。

 そして、質量が決定されれば、歪みは不確定になるわけです。質量の有るところは空間の構造を決定できない・・・とかなんとか。だから「繰り込まねばならない」のではないか。

 電荷というものがあります。電荷0かまたは+/-双対で物質はできる。このクーロン力に打ち勝って二つの双対の物質を作るのには、量子効果しかありません。空間のひずみ力がある値レベルの時に双対の物質が生まれると考えるわけです。エネルギーと物質とは不確定の関係にないとすれば、エネルギーによって物質ができるわけでないでしょう。でも、質量はエネルギーで表現(ε=m*(c**2))できますから、全く無関係というわけではないでしょうけれど。物理量によって、物質は規定されますが、物質のオントロジーは歪みだと思うのです。

 ちなみにスピンは電荷の構造だと思うのです。座標のように電荷も構造を持つ。電化は多分アスペクトも持つでしょう。



3.おわりに

4年前に、本屋さんでファインマン経路積分について書かれた本を買ったのですが、どうしても式の導出が分かりませんでした。いわんとすることは分かる気がするのですが、ディラック博士の最小作用の式がどうしても分からなく挫折しました。もっとしっかり考えてみれば納得いくのかもしれませんが、あの時は、なんか魔術のようにみえて。  でも、物理学を勉強すると思考力が上達するのを感じます。中学生の頃、風圧の式がどうして出るのか分からず苦悩しました、でも魅力を感じたものです。あのときも魔術の虜になる気分でしたね。大学になって、合点しました。ベルヌーイの定理ですね。あれは高校物理を理解してないと理解できないもので、でも、理解すると、ごく当たり前の感じの式です。それだけ、思考力が向上したのですね。中学の疑問が解消したときは嬉しかったものです。


 さて、「私」って存在は後幾年かで消滅するわけですが、宇宙の存在開始から消滅まで、全く無関係な存在とも考えられないのを覚えます。少なくとも、私をつくる物質は太古から、未来永劫存在するはずの物ですし。もっとも「私」とは「情報」の固まりであるともいいます。物質ではない。でも、物質が存在すれば、情報は生まれるわけですから、「私」とは情報存在に寄与する貴重な存在ともいえます。無数の「私」が太古から未来永劫まで、存在する。そんな「私」は、今ある私で無いともいえる。つまり、「私」は存在するとも言えるし、存在しないともいえる。宇宙の物質、宇宙そのものも存在するとも言えるし、存在しないともいえる。全ては不確定の法則の中にあるわけですから。


おわり