私たちの神楽囃子獅子舞は、昭和四十四年九月十日付けで長野県長野市の民俗芸能無形文化財に指定されました。
この獅子舞は室町時代の中頃、約四五〇年昔に伊勢皇大神宮の御札を配布するために芸居と共に全国に派遣された内宮、外宮の御師が皇大神宮の御神得を広めるために、
各地で見せた獅子舞で悪魔を払い五穀豊穣を祈りその土地の安泰を願うために舞って見せたものです。
当時の先祖が旅を急ぐ御師を泊めて、久保寺と川中島の二枚橋〈川中島町中氷鉋二枚橋〉の人達と一緒に習い
双方で練習を積み、伊勢地方にも何回も出向き、御師もまた、たびたび当地に来て教え、苦労に苦労を重ねて
四〇年〜五〇年の歳月をかけて現在の形に完成させて残した貴重な無形文化財です。
昭和四二年〜四三年にかけて県の教育委員会、市の教育委員会の先生方が調査の結果、間違いなく関西獅子伊勢神楽の系統と折紙がつく、ただし現在では関西地方や伊勢地方には同一の神楽囃子獅子舞が見られないと言う。
等、安茂里久保寺地区だけという大変貴重な存在となる。
又、私たち獅子舞の中に神楽獅子舞三番叟(サンバソウ)がありますが今から三八〇年昔に徳川家康の子供の松平忠輝の家老の大久保石見守長安に習ったとのこと。 忠輝が国替えとなって行く先々に三番叟があると
信州大学教育学部音楽の先生名誉教授の杉村弘先生の話である。


                      当地区の三番叟は舞うのではなく踏むという
                      朱色の長い袂の襦袢を着浅葱木綿の手甲股引、白足袋をはき
                      着物は上半身脱ぎ、裾をはしょり獅子の母衣を後ろにたくして、
                      腰紐で縛り、右手に鈴を持ち、左手に扇を持って
                      篠、笛、太鼓、拍子木の囃子で踏むのです。

                                                            

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