佐久間象山による撰文 「力士雷電之碑」
口語訳;松代 佐久間啓・子明 お詫び;文字化けの可能性があります
| 力士雷電信濃小県大石村の人なり、姓は関氏、父は半右衛門という。母は後藤氏なり。 雷電は生まれながら強く、力ありて異なるところ甚だし。その児戯するも人の為す所に類せず。みる者皆驚く。年18にして身長6尺5寸、股幹鉄の如く、しかも貌温厚にして自然に親しむべし。 江戸に来て、力士浦風に従いて相撲を学び、幾何も無くして其の技を以って天下に冠たり。雷電の号、都鄙に籍々として称えて置かず。 上は大将軍公より、以って列候に相ぶまで、屡々召して技を斗わ使めて之を観る。亦其の状を偉とし、其の貌を愛で、其のかい力の能く偕に抗する無きを惜しまざるは無し。 初めて雷電の相撲の群れに入るや其の対敵する所、動もすれば残傷ありて斗ていし難きを苦しむ。是において其の技の老相はかり、其の手勢の尤も当たり難き者三つを禁ず。人始めて安んじて相角するを得たり。然れども卒に之に勝つなきなり。 力士の徒を暦選するに、蓋し建こう以来一人のみ。嘗て技を以て松江候に仕う。後辞して帰り、文政8年を以て家に卒す寿59なり。 雷電世を去ること27年、孫義行其の祖の跡を述べて無窮に伝えんと欲す。乃ち石を其の邸の道旁にみがき、特に来たりて辞を謁う。昔越前の秀康郷伏見に在り、名妓国児を召して、其の舞を観て泣く。人怪しみて之を問う。 曰く、今天下の女子千万人、この女を第一と為す。吾れ丈夫に生れて天下第一流為る能わず。大いに此の女に恥ずるあり。故に泣く、と。 今予雷電の為にこの碑を識るし、亦殆どまさに泣かんとするなり。系に曰く、信山は崇峻にして、信山は清しなり。神気鐘る所、すなわち環偉を生ず、ああ雷電、力武比い無し。間世壱出す。固天汝を惜しむなり。我仕人為るもかいきなる能わず。汝の為に銘を勒し、心にあつく忸怩たり。 |
| 雷電史跡 略年譜 閉じる |