無線局事始め

初めに

 JAФUU 伝田OMはアマチュア無線の大先輩であると同時に、私共夫婦の披露宴の司会を やって頂いた恩人でもあります。そんなOMのHPを偶然発見し、「マルナナの話」を読ませて頂き、何と も言えぬ懐かしさと、ほのぼのとした心持ちにさせていただきました。
  「そうだ、OMには及びもつかないが、確かに自分にも同質の経験はあった!」と思ったのが、このHP を立ち上げたきっかけです。拙い文章力ですが、ちょっとの間おつきあい戴ければ幸いです。

ラジオ少年のころ

  昭和37年、小学校5年生のある日、父親がどこからか青い小さなプラスチックケースのゲルマニューム ラジオを持ってきて、私に呉れました。それはダイヤルとイヤホン、アンテナ端子だけの本当に可愛いもので した。今から思うと、これが私とラジオの最初の遭遇であったのです。電灯線アンテナを付け、クリスタルイヤ ホンから流れてくる放送に心ときめいたのを昨日のように思い出します。

  次の年、身体障害1種2級の私は**養護学校の寄宿生となっていました。ここで同室となったS先輩に ラジオのラの字から手ほどきを受けることとなりました。初めに作ったのは5球スーパー用のハニカム巻きアン テナコイルと2連バリコンの片側を使った、バラックタイプゲルマニュームラジオでした。初めて自分で半田付け したラジオから流れてくる放送を聴いた時の感激!同じ思いを持って居られる方も多い事でしょう。

 それからはもう怒濤の進撃です。まず手始めに半田鏝、ドライバーとテスターを揃えました。テスターは三和 のJP−5、半田鏝は60wの太めのものでした。最初に買って貰ったのは(株)スターの並3キット3R-1です。 ST管、マグネチックスピーカで検波段、電力増幅段、電源段がそれぞれ別シャーシになっていて、積み重ねが できる応用範囲の広いものでした。グリッド再生検波の後、プレート検波にしたりインターフォンに改造したりして実験しました。現在でもシャーシは半田鏝台として健在です。

 次は順番からいってスーパーヘテロダインです。部品もお金も無かったので家にあった8球スーパーを寮に持っ てきてバラバラにし、シャーシに銀色アルミパネルを立てていきなり高1中1に仕立て上げました。使った球はMT 管、受信周波数はトリオのコイルを買って来て3.5〜10MCとしました。この頃はもう初歩のラジオは愛読書とな っており、SWLを意識したクリコン用親受信機を狙ったつもりでした。でも正直にいうと安定度が悪く、とても実用に 耐えるものではありませんでした。それでも日本短波、JJYなどを受信し感激したものです。   今から思うとデフォルトの8球スーパーのまま取っておいた方が、ケースも立派だったし価値があったかもしれな いと考えたりしますが、これこそ後の祭りというものですね。それでもデフォルトスーパーに使われていた同調指示 管6E5は後年作った6V6 P.Pラジオに使われ、現在でも現用としてグリーンの光を放っています。

 中学3年ともなるとスーパーラジオは3球式から始まって、
何台作ったか判らない様な状態でした。そのころは寮 の
各部屋に1台宛のラジオも無い様な環境でしたので、少し
腕に自信のついた私は父兄に呼びかけ、不要のラジオ を
供出して貰い、修理して各部屋に配ったのも懐かしい思い
出です。


     懐かしい初歩のラジオ 
   
(写真の男性はMJの名編集長になられたN OM、この頁を見られた
      ご本人からメールを頂きました。)<m(__)m>










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