証言2  坐禅=座禅とSSRIで幸せになった朝原九子さんの場合


ごめんなさ〜い、遅くなりました。何しろここに書くって事は病気を告白することだから、ちょっと勇気がいったのです。さあ。深呼吸して始めますね!

最初にお断りしておきますが、少し長くなりそうです。なるべく私に起こった事をありのまま忠実に書いたつもりです。要約をつけましたので、興味のある所以外は読み飛ばして下さい。

ただ、あなたがもし「私もうつ病かしら?」と心配しながらこれを読んで下さっているのなら、我慢してなるべく最後まで読んでみて下さい。何かお役に立つヒントがあると思います。

私のは、軽症ウツ病です。もっと重い症状の方も沢山いらっしゃいます。重ければ重いほど、出来ることが少なくなって一日中ベッドから抜けられなくなるでしょう。そう言う時は、まずご家族の方が精神科に相談にいらっしゃる事をお勧めします。

それから、大事なことを1つ書きます。ずっと読まれたら分かることですが、もしあなたがうつ病だったら、残念ながら坐禅では治りません。医者に行って薬をもらわなければなりません。そこを間違えると大変です。それこそ、私の二の舞です。ご注意下さい。


*忘れられないJUN君のこと

その子は、一人っ子でした。きれいな瞳で純真な笑顔の素敵な子でした。とっても難しい大学を卒業して、コンピューター関連の会社に就職していると言っていました。

活禅寺で出会ったとき、「でも人間関係が難しくて・・。今、会社に出たり出なかったりなんです。」
はにかむ様にそう言った言葉が忘れられません。

彼と私は、何度か言葉を交わすようになりました。
私も似たような環境に育ち、彼の悩みはよくわかりました。だから、まるで弟のような気持ちで眺めていたと思います。

「私も実は、君とおんなじ悩みを抱えてたんだよ。でも、坐禅でとっても楽になってね。本当に坐禅は素晴らしいよ。良さがわかるまで時間がかかるかもしれないけれど、いつか絶対わかるから、あきらめないで続けてね。」
と言うと、「はい、僕も早くそうなりたいです。」と素直にうなずいてくれたJUN君。

しばらく顔を見ないので、どうしたのかしらと思っていると、
実はあの子はうつ病でね。今ひどくなっちゃったので入院させたんだよ。」と和尚さん。

それから数ヶ月、JUN君の消息を再び訪ねた私を待っていたのは、和尚さんの思いがけない言葉。
「可愛そうに、あの子は亡くなったんだよ。病気がひどくて、目を離したすきにビルから飛び降りちゃったらしい。」

その後、ずっとずっと気になって、やっとご自宅の仏壇の懐かしい笑顔に会えた時、一人息子の死という深い悲しみをどうやって乗り越えられたのか、仏様のような温和な表情のお母様がこう言って下さったのです。「あなたのお噂は、息子から良く聞いていました。とってもよく話を聞いてくれる優しい人がお寺にいるんだって、嬉しそうに話してましたよ。」

私は決してJUN君が思っていてくれたような優しい人間ではありません。でも彼の苦しみが良くわかったから、彼の辛さを受け止めてあげること位はできたかもしれない。
当時私は、自分が彼と同じ病気を抱えているとは夢にも思っていませんでした。

もしあの時私が自分の病気に気づいていたら、どんなにか彼は心強く思ってくれた事でしょう。

実は、こんな事がありました。
最初のうちは、「活禅寺に来る女性は皆さんきれいですねえ。」などと冗談めかして言っていた彼が、だんだん無口になりかけていた頃です。
私はその日急いでいました。帰りがけ、JUN君のすがるような視線を感じたのですが、私は声もかけずにお寺を後にしてしまいました。

それからすぐです。彼の姿をみかけなくなったのは・・・。
そして次に彼を見かけた時、もう彼は前のJUN君ではありませんでした。

薬の副作用なのかうつ病の症状が重くなっていたのか、むくんだような顔でうつろな目をして、「大丈夫?」という私の問いかけに無表情に「はい。」と答えるだけでした。

それが、私が彼を見た最後になってしまいました。


あの時、ほんの数分でも彼の話を聞いてあげていられたら・・・。

もちろん、そうすれば彼を救えたなんて思い上がっている訳ではありません。

朝原九子がここに自分の体験を自ら告白する事によって、このページを読んだ心が辛くて苦しくてどうにもたまらない人の何人かが、自分から医者にかかるなり、家族や友人から「ひょっとしたらうつ病という病気にかかっているんじゃない?」とアドバイスを受けるなりして、適切な治療を受け、うつ病は必ず治ることを理解して、辛い時期でも自殺しないで乗り切って欲しい。

そうしたら天国のJUN君の笑顔が、また一段と輝きを増してくれそうな気がするのです。

 

*仏様には不思議な力がある。

のっけから宗教的でごめんね。でも大事な事だから我慢して読んでね。坐禅を始めて何年かは瞬く間に過ぎました。そう感じる人多いと思うけど、坐禅をするととにかく落ち着くわよね。坐禅をしない日は何だか損しているみたい。充実感が違うんだと思います。

坐禅はもちろん家でも出来るんだけど、なるべく私は活禅寺に通うようにしていました。だって、空気が違うっていうのかなあ。はっきり言ってそんなにピカピカにきれいなお寺じゃないよ。でもね、お寺に入った途端にどこか違うんです。そしてお寺で坐禅を組むと家で坐禅するより楽に良く坐れちゃうのね、これ凄く不思議でした。やっぱり、お寺の雰囲気っていうか、空気のせいだと思うんだけど、

和尚さんにお尋ねすると、「それはこのお寺にほ法息(ほっそく)が満ち満ちているからです。」といつも言われました。

残念ながら、この言葉の意味は私にはよくわかりません。

でもこれからお話するように、そんなに楽に坐れるようになっていたのに、数年後私は坐っても坐っても、それこそ1日中坐ってもあの充実感がちっとも感じられないという事態に陥ってしまうことになるのです。

そして、それこそ何人もの和尚さんに相談すると、その度に「仏さまの前で坐ってごらん。」と言われました。そうすると、不思議な事にその時だけはうまく坐れるという経験を、何度かしています。やっぱり、仏様には不思議な力があるような、そんな気がします。

*私は坐禅=座禅でノイローゼに勝てた!

本当の事言うとずっとずっと前から、多分二十代になる前から私にはたまに元気が無くなる時期があったと思う。坐禅を始めた一番大きな動機はやっぱりそれじゃないかなあ。

学生時代は 「五月病」という言葉で、社会に出てからは「軽いノイローゼ」と言う言葉で自分の中で置き換えられ、医者にかかる事も無く「ああ、また来た。」と思っては、いや、ほとんど毎年のように続くそれが、あたかも私の性格の一部であるように捉えながら、ひたすらにやり過ごすという受動的な方法で、永年放置されてきたのです。

でも、活禅寺の門を叩いた後、不思議な事にその「辛い時期」は鳴りを潜めていました。
「坐禅でノイローゼに打ち勝った!」そう考えて私はとても嬉しかったのです。

*坐れない、何時間坐ってもあの心地よさが得られない!

ところが数年前から、どうかするとよく坐れない日が続く事に気が付きました。

最初は1ヶ月以内、そのうち2ヶ月、3ヶ月、でもそれが1年に1度のうちは、自分の坐りかたが未熟なせいだろう位にしか思っていませんでした。事実、何かの拍子に和尚さんからアドバイスを受けると、それでまた坐れるようになるという程度の不調でした。

私にとって、それは坐禅におけるスランプにすぎなかったのです。

ところが、1997年の1月を境に、スランプの様相は一転しました。

とにかく長い、どうしても坐れない。そして、良くなったと思うと又すぐ悪くなる。

そしていつのまにか、あれほど私の人生にとって大切だったはずの坐禅に対して、疑いの心が芽生えてしまいました。
「本当に必要な時坐れなくっちゃう坐禅なんて、何の意味があるの?」

ここで私が言う「坐れない」という言葉ですが、坐禅を続けると得られるはずの心の安定とか、満ち足りた気持ちとかそういうものに到達できないという意味に解釈して下さい。
この年から私は、5ヶ月続くウツ状態を2年半の間に4回繰り返すはめになったのです。

*ウツ病って死にたくなる病気?

最初の2回は、医者も薬も無しでした。坐禅でどうにか治したい一心でした。

そもそもそれが「うつ病」であるという自覚が全く欠如していたのです。

そもそも私にとって「うつ病」とは、「自殺したくなる病気」であり、憂うつではあってもそこまで考える事のなかった自分の病気が、後に「軽いけれど繰り返し易いタイプのうつ病」と診断されようとは思いもしなかったのです。

ウツ状態では、何かをやろうという意欲が全く無くなります。今まで好きでたまらなかった事も全くやる気が起きません。やる事が見つからないから時間が過ぎるのが長くて長くてしかたありません。

そんな時、うまく坐れないのはわかっていても、とにかく坐禅をしていれば時間が経ってくれるのが救いでした。5ヶ月で1000時間位すわったでしょうか。最初のうちはそれができました。もう少し坐ればひょっとしたらうまく坐れるかもしれないと望みを持つ事ができましたから。

そのうち、活禅寺の夏の大行である夏安居に初めて入行できる事が決まった頃から、最初のウツはいつのまにか治っていきました。ウツの始まりから5ヶ月が過ぎていました。
  ポイント  ウツ病は放っておいても治る時が来れば自然に治る 

言うまでもありませんが、自然には治るけれど、その間に辛さに負けて自殺してしまう危険性を考えたら、やはり必ず医者に診せること!

*静坐法を習いに沼津へ行きたかった!

次のウツは3ヶ月後に始まりました。

当時長野はオリンピックを控え最後の準備段階に突入していましたが、ボランテイアの仕事に対する不安が引き金だったと思います。

今度は坐禅一筋に頼れないのが辛かった。あの時ほど集中できないのです。どうしても、「あの時あんなに坐ったのに駄目だった。やっぱりだめなんじゃないか?」という気持ちの方が勝っていました。

そんな時、無形大師の「坐禅で一番大切な事は呼吸である。」という言葉に触発されたように、なんと私はその大事な呼吸を整えるために、坐禅以外の方法に頼ろうとしたのです。

それは、明治終わりから大正時代に岡田虎二郎先生が考案されたという静坐法です。というのは、それを勧めて治療にも応用されている沼津のお医者様が、著書の中で「静坐における呼吸法は坐禅のそれをしのぐ。」と書かれていらっしゃったからです。

私は夢中で受話器をとっていました。「坐禅を永年やっているけれど、静坐の呼吸法を習いたいので沼津へ行きたい。」と申し上げると、先生は一喝の下に、「おまえさんは宗教をなんと心得とる!ばかな事をいうなっ!こっちが駄目だからそっちなんて甘いもんじゃないぞ!」と叱られて、

でも最後は「自分は、静座の呼吸が一番優れていると信じているが、今、永年坐禅の呼吸を続けたあんたが習おうとすると迷いが起こる。坐禅の呼吸法も歴史が実証した素晴らしい呼吸法だ。だから坐禅の一番良い呼吸法は、あんたのお寺の和尚さんに聞きなさい。」と言って頂きました。

私は今でもこの時私を叱って下さった横山慧吾先生に心より感謝しています。

※横山内科医院 沼津市駿河台14ー5 055−923−1100

そして後に、この横山先生が「あんたの病気はうつ病かもしれない。多分十中八九間違いないから、近所の医者にかかりなさい。」と言って下さったのでした。

尚、この岡田式静坐法について詳しくお知りになりたい方は、
柳田誠二郎著  「静坐の道」 「静坐のすすめ」  (地湧社)を参考にして下さい。
また、最近ホームページがあることがわかりました。

東京静坐会の佐山昭彦様のサイトです。http://www3.ocn.ne.jp/~asmsm/

静坐社事務局は (〒576−0034)大阪府交野市天野が原5丁目10−6
               
 岸 駿 様が代表者です。          電話0720-91-6771  ファックス0720-91-6771

横山先生のおっしゃる通り、坐禅と静坐は似て非なるもの。坐る形も、呼吸の仕方も違っています。
指導者がいらっしゃる県にお住まいの方は、その素晴らしさに直接触れることが出来ると思います。
毎年夏に、京都で泊り込みの実習会があります。

実は佐山昭彦様から、「うつ病でも薬に頼るのはよくない」というご意見を頂きました。佐山先生は、私も一度だけお目にかからせて頂き、その鍛え上げられた、拳で叩いてもびくともしない腹筋も触らせていただいたことがあります。本当の意味での静坐の求道者でいらっしゃいます。

本当のことを申し上げると「でも病気なんだから薬を使わないなんて無謀だ。」と思ったのも事実です。でも、しばらく坐禅をして冷静になって考えてみると、佐山様が言われる事は正しいように思えて来ました。多分無形大師も同じ事をおっしゃったかも知れない。

とにかく私は坐禅を何年もやりながら、まだ数息観もままならないで坐禅道の入り口をちょろちょろしている困った初心者です。佐山様のような静坐の達人や、坐禅の高僧とは役者が違いすぎるのです。

だから、本当は坐禅や静坐でうつ病も治るのかもしれない。あなたが、道を極めさえすれば・・・・・。

でもそういう境地に到達するにのは容易ではない。

「修行に純粋性がなく何かをもとめているから・・・・」かもしれない。

だったら、苦しい時は薬に頼ってもいいじゃないか。薬で楽になれるのなら、我慢することないんじゃないか。

これ、現実的すぎるでしょうか?


*うつ病と神経症、わがままが原因で起きる病気など一つもない。

それはオリンピックまであと10日という頃でした。横山先生がおっしゃった「うつ病」という信じられない言葉が、私の気持ちを大きく変えてくれたのです。

「なあんだ、うつ病だったんだ。うつ病なら薬で治るんだ。」

そして、本を開けば「うつ病は真面目人間がかかる。いい人ほどうつ病にかかり易い。」という小気味よい言葉。

みなさん、「神経症」の本開いた事ありますか?自分の症状がノイローゼつまり神経症と思い込んでいた私は、ノイローゼ=神経症の本しか読んだ事がなかったのです。そしてそこに並ぶ「わがままな人間が神経症にかかる。」という言葉にいたく傷つき、自分を追いつめていたのです。

もしこのページをご覧の方で神経症で苦しんでいらっしゃる方、不快にさせてごめんなさい。でも、事実そういう書き方の本が圧倒的に多いのです。本を書かれる先生方になんとかして欲しいと思います。

でも、現在私の尊敬する主治医は、「わがままが原因で起こる病気なんて一つもありませんよ。みんなそれぞれ辛い症状に苦しんでいるんです。神経症は本当に辛い病気ですよ。」と明快に言われます。こういう懐の深い先生に巡り合って、私は本当に幸せでした。

とにかく、ノイローゼと信じ込んでいたのが思いがけずうつ病と言われた事だけで、また5ヶ月目に全快してしまったのです。

*初めて医者にかかる

オリンピックやパラリンピックが夢のように過ぎ去って、長野が元の田舎町に戻った頃また次のウツがやってきました。今回は全く思い当たる理由がありません。前の日にいつもより無理をして自転車で遠出して戻って来ると、身体がへとへとに疲れていました。そしていやな夢で目覚めると、ウツの始まり。前回治ってからまた3ヶ月目の発症でした。
  ポイント  うつ病は特に体調の悪い時、原因がないのに起きることがある。

もちろん早速医者にかかりました。

最初にカウンセラーさんに話を聞いてもらいましたが、必死で辛さを訴えているのに、「どうってことないじゃない。」と言われたのはショックでした。突き放された様に思いました。

そして次に、熱心に話を聞いて下さった先生にほっと安心したのですが、私が待っていた「うつ病」の薬はなかなか出ませんでした。

最後に、「あなたのはうつ病とはっきり診断出来ません。言うなれば神経症性ウツ病かな。薬もそんなに効かないと思うけど、とりあえず出しておきますね。」

せっかく「うつ病」と言われて楽になったのに、また薬の効きにくい神経症に逆戻り。行くたびに辛くなるので3ヶ月目で辞める決心をしました。

*医者を変えて救われる

2番目の医院は、カウンセラーさんがとても訓練されており本当に助けて頂きました。

とても混んでいて予約が1月以上先なので、今の先生の所で薬を増やしてくれないのが辛いと相談すると、すぐに電話して薬を増やしてもらうようにアドバイスされ、薬を倍量にしてもらった途端、うそのようにウツ状態が治ってしまったのです。

こんなに有難かった事はありません。そして今度こそ軽いけれども繰り返し易いうつ病という診断をされたのです。

この先生のところでしばらく薬を飲み、これでやっと救われたと思った矢先、また4度目のウツが来ました。今回は、ちょっと気の張る親戚付き合いが引き金といえば引き金でしょうか。また治ってから3ヶ月半後の事でした。

*坐禅=座禅だけはやめられません。

今回は以前効いた薬がもう効きませんでした。最大量飲んでも駄目でした。私は、抗ウツ薬を変えて欲しかった。でも、先生の下さったのは抗精神薬でした。

抗精神薬、平たく言えば精神病(統合失調症等)に使う薬。

うつ病にも抗精神薬を使う事は、知識としては知っていました。でもいざとなったら、私の感情が受け付けなかったのです。せっかく出して頂いた薬でしたが、私はちゃんと飲みませんでした。

「この薬を飲んで坐禅をすると、なんだか坐禅がうまくいかないんです。」
「それなら、坐禅なんてやめちゃいなさい!」

どうしてもそれは出来なかった。確かに一時は疑心暗鬼になっていました。ても、とにかく私は坐禅で生きるのが楽になったのだから、一生坐禅を続けたい。

それより何より、私が生きている証は坐禅だけのような気がしていました。私のように心を病む人たちに坐禅を伝える事が私の使命なんだ。だから、私から坐禅を取ってしまったら、一体何が残るのだろう。それを考えると、とても怖くなりました。

そして、私は2番目の先生の所からも離れたのです。

*SSRIで救われた!

1ヶ月位、私は薬無しで過ごしました。

そろそろ我慢の限界を感じていた頃、以前うつ病で苦しんでいた友人に電話したのがきっかけで、現在の主治医にめぐりあったのです。

電話に出て下さったのが先生御本人だったのも幸運でした。

初めて出会う、じっくりと話をよく聞いて下さる先生でした。何を申し上げても穏やかに対応して下さいました。そして一番違っていたのは、あくまでも患者をありのままに、偏見無く見て下さり、決して自分の考えを押し付けようとなさらない事でした。

「この先生なら安心だ。」そう思いました。

そして、先生が2番目につまり2週めに出して下さったのがルボックス25mg、当時やっと日本で発売されたてのSSRIでした。

信じられない事に、ルボックスが喉元を通った途端に劇的に効いてしまったのです。「あれっ?」っていう感じでした。抗うつ薬独特のホワっとする感じといっしょに、何かが変ったのです。

気がついたら、「CDが聞きたいなあ。」と考えていました。「レンタルショップに借りに行こうかな。」とさえ思いました。音楽を聴くなんてウツの5ヶ月間一度もありませんでした。聞きたいなんて思いすらしなかったのです。そしてその夜、私は5ヶ月ぶりに好きなCDを楽しむ事ができたのです。そして初めて心の底から笑う事が出来たのです。

私のSSRIに対する反応の良さは、医学会報告ものだそうです。

ポイント    私の治りかたは例外
ここで注意して頂きたいのは、うつ病は本当はそんなに簡単には治らないと言う事 

SSRIは比較的効果が早く出ると言われますがそれでも本当にウツの症状が全て消えるまでは数週間または月単位で飲む必要があるのが普通だと思います。
よくうつ病の治り方は三寒四温と言われます。温かい日や寒い日を繰り返しながら本当の春が来るように、良い日や悪い日をくりかえしながら、うつ病もまた回復に向かっていくという意味です。

そうすればしっかりと治す事が出来る。私のような治り方は一見楽で有り難いようだけれど、その代わり繰り返しやすいという危険を含んでいるのです。これは、うつ病の性質の違いであり、どうしようも無い事なのです。

私は合う薬がたまたま早く見つかったので幸運でした。

ポイント   でも、うつ病は必ず治る。薬は日進月歩。あなたに効く薬がきっと見つかる!

薬は単純に、軽いウツなら治しやすい、重いウツには効きにくいというものではないみたいです。中にはなかなか合う薬が見つからないで苦しい苦しい毎日を送っていらっしゃる方も多いはず。そんな方々が早く楽になられる事を願っています。

*今考えるととても不思議な話

無形大師は、「人間は偉大な能力を持っているから、努力すれば全ての事は必ず成就する。」と言われ、「がんばれ、がんばれ。」と頑張る事を奨励された方です。

ところが今考えるととても不思議なんですが、1997年1月、私の最初のウツが始るわずか3日ほど前、私は仏前で無形大師の声をお聞きしたのです。

無形大師は1996年に遷化されています。亡くなられた大師の声が私に「無理するな。無駄するな。」と語りかけられたのです。

はっとしましたが、活禅寺はいろいろ不思議な事が起こるお寺ですし、以前も数回、仏前で手を合わせていると、仏様の声が聞こえる経験をしていましたので、その時も最初は「今のは確かに大師の声だ。」と思い、「今年の目標でも教えて下さったるのかな。」そんな軽い気持ちでいました。

ところが、その後私が苦しむ事になる4回のウツと重ね合わせて考えてみると、これは凄い言葉だったのです。
頑張れ!」と言い続けた無形大師が、私には「無理するな、頑張るな!」とおっしゃった。うつ病の時は頑張ってはいけない、今や知らない人のない常識です。

無形大師は、私の病気を予告して、一生の生活方針となる「無理するな。無理するとウツになって時間を無駄することになるぞ。」とも取れるし、「無理出来ない身体なんだから、無駄をしないように。」とも受け取れるこの言葉を、私に託して下さったんだと信じています。

ごめん、これ宗教的だね。無関心な人、ごめんなさい。


こうしてうつ病から開放された私ですが、ここでちょっと視点を変えて、どんな人がうつ病になり易いか、あなたは大丈夫かを見てみることにしましょう。

あ〜あ、つまんねえ文章読むってくたびれるよ。どこだい?雲切目薬は?

 

朝原九子が独断と偏見で語る

1) こんなあなたがうつ病になり易い!

あなたは梅干し一つでご飯が食べられるか?

ごめん、ごめん、本気で食事の事考えた?
言いたかったのはあなたの反芻(はんすう)傾向のこと。反芻って、あれよ、ほら牛が食べたものをまた胃に戻して何度も何度も消化するって。

それと同じに、あなたは自分がした事、された事、言った事、言われた事、何度も何度も思い返しては嬉しがったり、得意がったり、ほくそえんだり、自分で密かに楽しんだりする方じゃなあい? つまり、気持ち後引きタイプ

そうじゃないよって言う人は、多分うつ病からとりあえず遠いとこにいると思う。

そうだよって人は、ちょっと気をつけよう。

その上特に、「いい人」になりたがってる人、人に嫌われるのが辛い人、嫌いな人。身体動かすの嫌い、スポーツなんて全く縁がないって人。そして、嘘をつくのが下手な人。こういう人は、まあ例外なく真面目なんだよね。そしてストレスの発散が苦手。そういう人が危ないんだって!

実はこれ、大学病院の先生が書いた本に出てるんだよ。
   

もう「うつ」にはなりたくない  (野村総一郎著 )  星和書店

野村先生の本にはその他に「物事の重み付けが下手」という項目が出て来る。つまり、何かをしなければならない時に、どれが重要で一番にしなければならなくて、どれが一番最後でいいのかを判断するのが下手という事。

私は自分がそれに当てはまるかはわからない。でも、少なくとも「反芻傾向」はぴったり当てはまる。言いかえると、「気分転換が下手」ということ。嬉しい事を反芻すると、嬉しさは長続きしてハッピーになるからこれは良し。でもそれが叱られた事や失敗した事だったら・・・。わかるよね、自分の中で繰り返し繰り返し考えてしまって、結果ウツを招き易い。

さあ、あなたはどうかしら?

2)うつ病の時ってどんな風になるの?

基本的には毎日が憂うつでたまらないってことだけれど、症状は本当に千差万別

私の場合は、とにかくうつ病の中では軽症。軽症というのは、他人にわからない程度という事らしい。

とにかく一番嫌だったのが、自分のウツを他人に気づかれる事。だから、無理して笑ってたし、必死の思いで人中に出てた。多分周りの人は気づかなかったと思う。ひどくなればそんな事出来ないよね。だから、それが出来るうちが多分軽症なんだと思います。

よくするのが思い込み。私もそうだったように、「うつ病は必ず自殺したくなる。」とか、「うつ病は必ず夜眠れない。」とか「うつ病は自分だけを責めるから、人に当たり散らしたりしない。」とかいうのは、みんな思い込み。うつ病に「必ず」なんてないと思う。私の場合に限ると、これらはみんな嘘っぱち!

症状が軽ければ、自殺まで思いつめることはない。ただし、状態が悪くなれば、「死んだ方が楽。」とか、「こんな自分がいない方が、家族はみんな楽になる。」とか考えたことはあった。でも、それが自殺の実行という最終手段にまでは至らないと言う事を、自分が知っていた気がする。

私は昔から、夜寝るのは自信があったのよね。「どこでも眠れる、5分で眠れる九子ちゃん。」
だから、ウツの時でも「眠れずに困った。」ということはなかった。ただね、やっぱり朝方早く目が覚める傾向があったけど、何度目覚めても5分で寝られたから楽だった。

うつ病になると憂うつになるのは誰でも知っているけれど、イライラして人(ほとんどの場合家族)に当たり易くなることは意外と知られていない。イライラして人に当たって、そういう自分が嫌で嫌で、また自分を責める。それが、ウツの悪循環だから、「うつ病になるといつもよりイライラする。イライラするのが、うつ病の症状。」と知っていると、自分を責めずに楽になるかも。

3)うつ病の事もっと教えて!

前にも言ったように、うつ病の症状は、病気の重さによっても千差万別。特に軽症の場合はわかりにくい。とにかく、「うつ病なら必ずこうなる。こうならないと、うつ病じゃない。」と考えない事!
100人うつ病患者がいたら、100人違う症状が出る。だから、医者だって時には間違える。
ここに書くのはあくまでも私の場合だからね。

*うつ病は突然起こる
発症は、とにかく突然。でも前日位から「変だなあ。」位は思うかもね。そして、何年の何月何日に発症したとはっきり分かる

一口に「毎日が憂うつでたまらない。」と言っても、辛さわかってもらえないよね。この憂うつさが表現しにくいんだけど、そうだなあ、吸ってる空気が違う気がする。私だけ吸い込むたびに憂うつになる特別な空気を吸っているみたい。そして、あらゆる物事に対する興味と関心が薄れていく。残るのは自分に対する劣等感と嫌悪感だけ。

テレビを見れば、出て来る主人公が逆境の中でたくましく生きている。それに比べてなんて自分はだらしない、となる。

家族がお笑い番組を単純に楽しんでいるのを見れば、楽しめない自分に罪悪感を抱く。

成人式の若い子達を見れば、うちの子供たちもいつか巣立って結婚するだろう。でも、こんな母親がいたら、結婚の障害になるかもしれない。何よりお相手の家族とはどうやってお付き合いしたらいいのだろう。

次から次へと不安の種が湧いて来る。一事が万事そんな調子だから、何かを楽しめるわけがない。そして、頭の中は、そうやって一日中自分を責め続けているのです。

だから無口になる。笑顔が消える。私もウツの時は何ヶ月も本気で笑った事がありませんでした。
いつもはよく笑っていた家族の誰かから笑顔が消えたら要注意です!


*ウツになると、確実にバカになる

今まで簡単に出来た事が全く出来なくなる、あるいはとても時間がかかる

もしあなたが商売をしているとしよう。今日はあの問屋にこの品物を10個注文しようと、いつもなら自然に電話に手が動くはずだ。ところがウツになるとそうはいかない。

まず何を注文したらいいかわからない。「これを注文して!」と誰かが言ってくれたら、注文する品物で迷う事はない。

ただし、いくつ注文を出したらいいのか、5個だと何だか問屋に悪いような気がする、はたまた10個だと売れ残りが出て、店に多大な迷惑がかかるような気がする、かといって中途半端な個数でもなあ、あなたは、延々と悩みはじめる。決断をする力が弱まっているのだ。

やっとなんとか個数が決まり、伝票を書き始めると、簡単な暗算が出来ない誤字脱字ばかりでもう紙を3枚も無駄にしてしまった。

集中力も続かない。おかげで、いつもなら10分で出来る事が、30分かかっても仕上がらない。「何という事だ、これほどオレは能力がないのか!オレは、役に立たない人間だ!」とあなたは自分を更に責める。ウツの悪循環である。

もしあなたが主婦なら、夕食の献立に困惑する。いつもなら、スーパーに並ぶ野菜や魚をみれば、「今日は、この献立にしよう。」と、サッと買う物が決まるあなたなのに、全くひらめかない。

ぐるぐるぐるぐる売り場を回り歩くが、買うものがいつまでたっても決まらない。あなたは疲れ果て、自分の無能に呆れ果て、何も買えずに帰って来る事になる。


お弁当作りもあなたの悩みの種になる。いつもなら、さっさっと肉を焼いて、野菜を詰めて、昨日の残りのサラダも詰めてと手際の良いあなたが、考えても考えても頭は真っ白、そのうえ、昨日の余り物を詰めるなんて、自分はなんてヒドイ妻なのかと考え始める。

今までの自分がまるで極悪人のような気がして自分を責める。今まで夫にしてきた全てが大変な罪のようで、申し訳なく思えてたまらない(誰ですか?うちの妻を一度うつ病とやらにさせてみたいなどと考えている不埒な輩は?)こんなヒドイ妻ならいない方がいいんじゃないか。するともう一歩も先へ進めないのです。

*ウツになると人に会うのが嫌になる。

私はとりわけこれがひどかったわね。何がイヤって、人に会わなきゃいけない事がなにより辛かった。もちろんうつ病でも、それほどじゃない人もいる。

変なんだけど気持ちの中で「この道から先はどうしても行けない。」というゾーンが出来てしまって、どうしても歩けない場所があった。不思議だけど車なら平気なんだよね。車で行くのが一番楽だった。車なら人から見られないっていう安心感のせいかもしれない。ほら、閉じられた空間じゃない。だからサングラスかけてるみたいな気分なのかも。

とにかく人に合うと、駄目な自分を見透かされるみたいで怖かった。まともに生きてる相手と比較してますます自分に対する劣等感が強くなるのも嫌だった。

だから、買い物とかで知らない人込みの中を歩く方がずっと楽だった。もちろん、いつも誰か知人に声をかけられるんじゃないかとオドオドはしてたよね。帽子も放さなかった。顔を見られたくないから。

*ウツになると、今まで興味のあった事も全くやりたくなくなる。

私、こうやってコンピューターの前に座るの好き。でも、ウツの時は出来なかった。

ちょっと調子のいい日は、うつ病やら落ち込みやらのサイトも開いたけど、当時は今程どこにどんなサイトがあるかも知らなかったし、読むと安心するようなサイトには会えなかった気がする。とにかく、それ以前の問題として、コンピューターの前に座れなかった。目にみえないバリヤーが出来てた。


とにかくどうしてか知らないが、何にも面白いと思えないのだ。新聞も週刊誌も本も、自分と全く違う世界の物みたいな気がする。朝起きると惰性で新聞は広げていたが、読む記事なんか何一つない。興味がないと、何が書かれているかも頭に入らない。わからない。全く面白いと思えない。唯一ながめていたのは人生相談のコラム。たまに、精神病を扱った相談が載っていたから。


*ウツになると反論できなくなる。

ウツになるとバカになるからかなあ、相手の言った事が100%正しいと思ってしまいます。多分判断力が弱くなるから、自分で考えられなくなってしまうのかも・・・。だから良く言われる事ですが、大事な判断は病気が治ってからにすべきなのです。

そこで、私が病気の時には全く言えなかった反論があるのです。言わせて下さい!

最初のお医者さんに、今言いたい。「先生は趣味が少ないからウツになる、、趣味を多くしなさいとおっしゃいましたが、ウツになるとどんな趣味でも興味が持てなくなるんだから、いくら趣味が多くても同じじゃないでしょうか?」
  ポイント  多分医者は「ストレスの発散の出来る趣味を持て。」と言ったのだと思う。どのうつ病の本にも、そういう指摘が多い。でも、本当にそうなんだろうか?

病気の時はお医者様にも反論できません。反論する力もないのです。

どうか、世の中のお医者様方、初めて先生の前に座る患者の生きて来た道のりを、本人の育った環境や本人の申告だけで安易に判断しないで下さい。「こういう性格ではないですか?」と誘導尋問されると、うつ病患者は必ず「そうかもしれません。」と答えてしまいます。その結果、薬で簡単に治るうつ病が見逃されて、あたかも性格のゆがみが原因のような取り扱いを受け、患者はとても苦しむのです。

*ウツには波がある。

うつ病は、朝方悪くて夕方良いという事、よく言われますよね。でも、いつも正しいとは限らないと思う。まあ、どちらかというとそういう傾向がある程度かな。

私の場合、最初の2回はその傾向が強かった。その頃夕方習い事をしていて、休みたかったけど無理して出ていた。宿題は午後4時を過ぎるとなんとか出来るようになっていた。

無理してでも出ていられたのは、夕方になると軽くなる傾向があったからだと思う。

うつ病のためには、無理は禁物。病気だと知っていたら、絶対出なかったと思う。

うつ病の、朝悪くて夜楽になるというこのリズムを日内変動というらしい。でもその他に毎日毎日「今日は調子がいい。」「今日は悪い。」という変化があったように思います。

5ヶ月は長い。いくら軽いウツだって、よく耐えていられたなあと今になれば思います。多分この日替わりの波のせいでしょう。

毎日最悪の気分の日ばかりなら、今頃この世にいなかったかも知れない。

昨日最悪でも、次の日は少し良いかもしれない。ひょっとすると、とっても楽な一日になるかもしれない。

予測は全く立たないけれど、確実に言える事は、明日になると気分が変っていると言う事

もちろんウツ状態からは抜けられない。でもひょっとすると、すぐにでも治ってしまいそうに気分の良い日だってあったのだ。

もっとも、そう思っていたのに、次の日は最悪と言う事もしょっちゅうで、そんな時の落胆はひどいものでしたけれど。


*ウツになると疲れる。やせる。太る。

ふだんから余り体力の有る方じゃないけど、病気の時は特に疲れました。

一番ひどかった時は、食事をするのに歯で噛むでしょ、それが疲れて疲れて仕方なかった。ふだんは人一倍食いしん坊なのにね。だから、噛むのもゆっくり、ゆっくり。それじゃ太れないよね。(これに関しては、ウツが治らなかったら良かったのにと毎日思ってます、ハイ。)

だから、最初はやせたよね。でもそのうち、ウツが長引いて来ると、イライラがひどくなってヤケ食いしたりして太った事もあった。
つまり、ウツになると、急激にやせたり、太ったりすると思います。家族の方は、目安になるかも。


*ウツになると不精になる。

よく、うつ病が治ったかどうかは女性なら化粧を始めるかどうかで分かると言われますが、全くその通りです。

病気の時は、おしゃれに対する関心などまるで無くなるから、毎日同じ洋服を着たまま。

とにかく違う物を着ようにも、何を着ていいかわからない。だから毎日同じ物を着ているのが一番楽。

お化粧も、医者に行く時はとりあえずしたけれど、とにかくそんな気にならないのです。
自分が今まで買った洋服を見て、なんて無駄使いをしたんだろうとまた自分を責める種にしたりしていました。

*うつ病の時、旅行はなぐさめにならない。

よく家族は、「考え込んでいないで温泉でも行ってみれば気分が変わるんじゃないの?」と考えがち。
でもこれが病人にとっては辛い。
確かに風呂に入ると少しは気分が紛れる気もする。でも、他人と一緒の大浴場なんて入る気にもならない。

うつ病の時一番嬉しいのは、そっとしておいてくれること。そして、辛さをグチリたい時には聞いてもらえること。(もちろん、家族の方はいつも病人に注意を払っていて下さい。)

 


うつ病の症状はとにかく多種多様、以上は私が思いつくままに書いてみたほんの一例です。
少しはうつ病の実態がわかって頂けましたか?
くどいようだけど、これはあくまでも私の場合。そうじゃない人も多い。だから、「おかしいな。」
と思ったら医者に行く事!
素人判断は禁物です!

そして、お医者様を変える事も、あまりためらわなくていいみたい。でもその際大事な事は、自分と相性の合う先生を見つけるようにする事と、薬の効き目を判断するのにあせりすぎない事。SSRIをはじめとする最近の抗ウツ薬は確かに効き目が出るのが早いけれど、少なくとも2週間はじっくり飲んだ方がいいんじゃないかしら。それから、最初のうちは抗ウツ薬の併用はなるべく避けて、一つずつ、この薬が自分に合うのかどうかを判断する方がいい。もちろん、症状が切迫していて、医者が併用を勧める時は別ですが・・・。

ホラ、ネット見てると自分が飲んだ薬を沢山披露してくれてるサイトあるけれど、抗うつ薬だって無限にあるわけじゃないんだし、それこそ全部を試し終わった時、この人どうなっちゃうんだろうと心配になっちゃう事あります。

まあ5本の指かせいぜい10本指で数えられる位医者を変えているうちには、あなたと相性のいい先生が見つかるはず。ただし、それ以上だと性格を疑われるかも。物の本には、「精神科医の3人に1人はいい先生」と書いてありました。
あなたの幸運を祈ります。

*最後に女性独特のうつ状態について

あなたは、生理の前後に精神的な不調を感じませんか?

私の主治医によると、生理の前後だけ、ひどく落ち込んだり、いらいらしたり、怒りっぽくなったり、感情が不安定になるということで、薬を取りに来る女性が多いのだそうです。先生はそう言う場合多くは漢方薬を使われるとの事。結構効きがいいみたい。

そういえば、私も昔から「今日はどうしてもよく坐禅が組めない。変だなあ。」と思っていると、次の日生理が来たということ、何度も経験しています。多分ホルモンの関係で、脳の働きも変わっているのかも・・・・。
そんな風に気楽に精神科に行くのもいいかもね!


4)現在の私

以来ルボックスと再発防止薬のリーマス(炭酸リチウム、主治医に言わせると「塩をなめてるつもりで続けて下さい。」との事)はずっと飲み続けています。多分一生飲み続ける事になるでしょう。お陰で、あんなに頻繁に来たウツの波はなんとか治まっています。

小さい波はありましたが、その度に薬を増やしたり、時には坐禅でしのいだりして大事には至らないでいます。

もし、坐禅を知らないうちに抗うつ薬と出会ってしまっていたら、わたしは決して坐禅をしないで過ごしてしまったでしょう。SSRIはそれほど私に合ったのです。

2001年秋、ルボックスの服薬を中止して半年近くたちました。ちょっと上がりすぎている感じがあって、医師と相談して止めました。ルボックスを止めても以前ほどの気分の波は感じません。むしろ、ルボックス服薬中はわかりにくかった坐禅の良さが素直にわかってとても快適に過ごしています。

その後2002年12月に軽いうつをして以来ルボックスを再開しました。でも、薬を飲みながらだと、うつも軽く済むようです。

リーマスは相変わらず服用中、それこそ死ぬまで飲むことになりそうです。ただし、リーマスは私のように毎年のようにうつの波が来ているという人には必要ですが、うつ状態を一度か二度しか経験していない人にはあまり必要の無い薬のようです。

*それでも私が坐禅=座禅を続ける訳

ここしばらくの間に、私なりのウツ対処法みたいなものが出来つつあります。とにかく薬をきちんと毎日飲む事

そして、「おかしいな。」という時は自分でわかりますから、まず無理をしない事。

30ヶ月苦しんだお陰で、私には坐禅と、良いお医者様という強い味方が出来ました。

薬を飲んでいても、辛い事があると絶対ウツにならないという保証はありません。
でも私なりの解決法として、まずは坐禅をしてみる。

坐禅=座禅は、人生の試練に立たされた時とても有効です

家族の病気や死、仕事のつまづき、人間関係の問題、試験の失敗等、誰にでも起こりうる、誰もが悩んで当然という事態にぶち当たり、自分だけでは解決出来ない時、力を与えてくれるのが坐禅です。

無形大師が度々おっしゃったように、坐禅は何のためにするかというと、自分が持っている無限の力に気づくためにする本当の自分、仏様と同じ力を持つ偉大な自分に気がつくためにするのです。、坐禅を続けている人々がよく口にするのが、「坐禅をすると、自分の悩みがチッポケに思える。どうにかなるさという気がする。」という事です。そして特にウツ状態の時には大嫌いでたまらなかった「欠点だらけの自分」を世界一大好きになるためにするのです。

私も、家族が重い病気になった時は坐禅のお陰で立ち直りました。抗ウツ薬は増やしませんでした。

反対に、いかにも病的な落ち込みの場合は、薬を増やした方がいいみたいです。
ちょっと気の張る事が重なって、気がついてみたら人に会いたくなかったり、好きな事をしたくなくなったりしていたなどという場合です。

*一度でもうつ病を体験したら

うつ病は、再発しやすい病気です。でも、うつ病になる人の中で何度も何度も繰り返す人はむしろ少ないのだそうです。せいぜいが、一生のうちに2、3度程度、中には1度だけという人も随分多いそうです。そんな人々に、いつ来るのかわからない次のウツのために、薬を飲み続ける事は医者も勧めないでしょう。ただし、薬をいつまで飲み続けるかはあくまでもお医者様の判断に従って下さい。

うつ病は苦しい病気です。出来たら繰り返したくありません。そのためにとても大事なことを最後に書いておこうと思います。

横山慧吾先生の言葉です

どんな役でも「○○長」と長の付く役にはついてはいけない。
世の中に不義理をしなさい。
無理をしてはいけない。好きな事だけして生きなさい。


ねっ、お医者さまのお墨付きでこんな気楽な人生が送れるのですよ。うつ病になるのも、まんざら捨てたもんじゃないって感じするでしょ?

もちろん、それが許される人ばかりじゃない事くらい、世間知らずの九子さんにもわかりますよ。
特に、あなたが働き盛りのサラリーマンだったらきついですよね。
そういう時は、とりあえず、良い医師を探すことから始めてみて下さい。

こんな生きにくいストレスの多い社会で、いざという時頼りになる心のお医者様を持っていると言う事は、まさに貴方のセールスポイントって言ったら言い過ぎかな。少なくとも大きなメリットです。
そう考えたら今の世の中、精神科に通う事はちっとも恥ずかしいことじゃない。むしろ、時代の先端を行ってるつもりで、胸を張って下さい。

そして、くどいようですが、薬を勝手にやめないで下さい。いつまで飲むかの判断はお医者様にまかせて下さい。私の様に「死ぬまで飲みなさい。」と言われる事はあくまでも例外で、いつかは薬から離れる事ができるはず。だから、それまでは先生に言われる通りにきちんと飲んで下さい。

万が一長い間飲まなければならない時でも、SSRIは欧米では10年以上も歴史のある安全な薬。トフラニールやアナフラニールに至っては50年近く使用されている。その他の抗ウツ薬や再発防止薬も、医者にかかりながら飲めば全く心配ありません。

とまあ、理屈はそうだけれども、やっぱり社会の第一線で働きづめに働いて来たあなたがうつ病になり、これからの人生のぺースを修正せざるを得ないとしたら、辛いだろうと思います。特に、あなたが負け知らずの勝ちっぱなし人生を歩んで来たとしたら・・・・。そんな時こそ坐禅をしてみて下さい。「俺より無能なあいつがなぜ俺より先に・・・」そんな気持ちがいつの間にか静まって、あなたの人生を受け入れる穏やかな気持ちになれますよ。

 

5)うつ病のある人もない人も、坐禅であなたの人生を幸せで豊かなものにしてみませんか?

確かにうつ病という病気の時は坐禅をいくらしても治りません。風邪が、心臓病が、ガンが坐禅で治らないのと同じことです。

ではどうしてそんなに坐禅がいいか?

またまた朝原九子の独断と偏見で言わせてもらいましょう。活禅寺の和尚さんに叱られるかも・・・。

私のつたない経験からすると、坐禅をすると脳の血流がよくなるみたいです。例えば読売新聞(2001年3月3日)にはこんな記述が・・・・。

酸素が脳内に行き渡らないと、注意力や記憶力の低下、知覚障害、うつ状態が起こる。(医療ルネッサンス「肺気腫になって」より)

裏返せば、脳の血流がよくなって、酸素量が増えれば、こういう状態は改善するわけです。

それとともに脳内の麻薬物質エンドルフィンが出て来るのではないでしょうか。それが坐禅をした後の
幸福感につながっているみたい。

それから、これは笠原十兵衛薬局の薬剤師さんに聞いたんだけど、漢方薬の有名な傷寒論という本に
呼吸者脈之頭也」(コキュウハミャクノカシラナリ)、つまり呼吸は脈の頭脳、平たく言えば脈をコントロールするのが呼吸であるという言葉があるんだそうです。

そういえば、ドキドキ緊張した時は必ず浅い呼吸してますよね。そんな時は深呼吸すると落ち着くでしょ?
坐禅の高僧がみんな長命なのも、もちろん食生活も違うと思うけれど、この脳に良く血を送る事の出来る坐禅をマスターしているからではないでしょうか?だから、ボケにもなりにくいんだと思うよ。

それから良く言われる事だけど、坐禅をしていると脳にα波というリラックス波が出るって。
実はこれ、私が測ってもらって実証済みなんです。

アルファー波を人工的に作り出す装置ってのを売っている人がいて、その装置を使うと全体の70%がアルファー波になるっていうのがウリだったの。それが、その日いつもの通り朝坐禅をして行った私が測ってもらったら、何もしないのにそのままで80%以上のアルファー波が出てたんです。すごくびっくりされました。それが、午後の3時位だったかしら。「ああ、朝の坐禅がずっと効いてるんだな。」って、私も嬉しかった。

うつ病があると、多分こういう頭の中の働きが狂ってしまうんだと思う。だから、それを治すため薬が必要になる。

例えばSSRI(Selective Serotonin Reuptape Inhibitor選択的セロトニン再取り込み阻害剤)を飲めば、セロトニンが少なくなっているために狂ってしまっている頭の働きを元に戻す。
今注目されているSNRI(Serotonin Noradrenalin Reuptake Inhibitor)では、セロトニンだけではなくノルアドレナリンも増やす。

だから薬を飲みながら坐禅をすれば、うつ病の人だって気持ち良く坐禅ができるのだ。


論理的な思考回路の人には、こういう説明をすれば納得して頂けるでしょうか?


だけどね、十子ちゃんも言ってたけど、坐禅ばかりはいくら本を読んでも、いくら頭で納得しても絶対やってみなければ良さがわからない。

坐禅なんか無くたって、自分で何とか出来る自信がある人はそれでいい。

でももし、あなたが、ウツ傾向のある人で、特に薬は何種類も試したけれどうまくいかない人、自分が嫌いでたまらない人、気の弱い人、自分の荷物が重すぎてもう頑張れない人、不安感が強い人、イライラ、ドキドキ、オドオドしながら毎日を過ごしている人、将来に夢や希望が持てない人
そんな人だったら、是非坐禅を試してみて!

ちょっと仏様の話をし過ぎたかしらと、今反省しています。

坐禅をするのに、仏教徒もキリスト教徒もありません。無宗教のあなただってちっとも心配いらないのです。

キリスト教の真髄が「愛」だとしたら、仏教のそれは「慈悲」。

お寺に来る人を決して拒まないのがお寺の良さです。

かく言う私も、入門しないまま一年以上活禅寺に通いつづけました。

入門したのもあくまで自分の意志。強制されたわけでは決してありません。

とりあえずやってみて、合わなかったらやめればいい。良かったらもうけもの。

そんな気楽な気持ちで、まず一歩を踏み出してみてください。



長文を読んで頂き有り難うございました。雲切目薬でもつけて目をいたわってあげて下さいね。( ^-^)!

 

 

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