まんま写真館
Part 4. 日本最後の現役SL in 糸魚川
糸魚川は日本最後の現役SLがいることで一部ファンの間では有名でした。そこで活躍しているSLは「協三工業」製のこれまた「国内で製造された最後のSL」と言われていました。SL自体はその後各地の遊園地などに同社製SLが納入されたことにより、「製造最後」の名称は無くなりましたが、「最後の現役」(=保存目的や遊戯施設ではなく利用されていると言う意味)の称号は消える事は無いでしょう。
このSLの活躍していたのは糸魚川にある「東洋活性白土」の専用線です。国鉄の引込み線(国道148号線陸橋下付近)から貨物を積み替えて工場まで数百m(ぐらい?)を走っていました。この専用線は「羅須地人鉄道協会」の活動の地としても有名です。
1982年3月23日。中学の卒業旅行(というほど大げさなものではありませんが)として、友人と長野〜直江津〜糸魚川〜松本〜長野と回ったときに同線を訪問しました。只、場所がわからず歩き回り、やっと見つけたときにはすぐそこまで走ってきていた、というのが下の写真です。
この時は絶対再訪するぞ!と思っていたのですが、なんとこの年の秋、会社が解散することになり、当然専用線もSLも廃止となってしまいました。10月10日「羅須地人鉄道協会」によるさよなら運転が行われ、その訪問が同線を訪れる最後の機会となりました。
それから数年後、先の旅行に一緒にいった友人と糸魚川を訪れた際、同線の跡を見に行ったのですが、区画整理もされておりまったく痕跡は見つかりませんでした。「羅須地人鉄道協会」のその後については、紆余曲折を経て「成田ゆめ牧場」での今日の活躍へと繋がっています。
国鉄貨車がら積み替えた貨物(燃料?)を積んだタンク車1輌を従えて2号機関車がやってきた。 バックには北陸線、その向うには明星セメントの工場が見える。
機関車のサイドビュー たとえ小さくても現役で活躍するSLには「風格」が感じられます。遊園地のSLや保存機では絶対感じられないものです。
道路を横切り、列車は工場敷地内へ入っていく。柵に見える赤旗は列車が来ることの印か。 工場内を望む 一番右の線に先ほどの列車。その隣は「羅須地人鉄道協会」の客車など、左端に頚城のラッセル(まんま写真館part.2参照)が見えます。
記憶は定かでないのですが、手前に腕木式信号機があるようです。
おまけ
糸魚川駅周辺を散策した際見つけました。 「水」用タンク車ミム100です。 |
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戦災復旧車です。 救援車スエ71。このころはまだこのような車輛が各地に残っていました。 |
撮影:1982年3月23日 糸魚川