まんま写真館
Part 6. いもむし 永遠に
〜名鉄 3400系 定期列車より引退によせて〜
昭和12年、東部線(名古屋〜豊橋)に登場した流線型電車。「いもむし」の名で親しまれてきた。当初は2連だったが、戦後になり中間車を増備し一旦3連となった後、すぐに更に中間車を増備し、4連となった。他のAL車と共に活躍してきたが、他の旧型車とともに淘汰された。その時、3編成の内1編成が記念碑的な存在として動態保存されることになり、制御車のパンタ撤去など、最小限の改造で2連化され、犬山付近のローカル列車に利用されるようになった。その後、旧塗装の復元や冷房化が行われて現在に至っています。
正式なアナウンスはありませんが、旧型であるが為、保守に手間が掛り、部品調達もままならなくなってきていることが主な原因のようです。谷汲線などの廃止で旧型が減ること、また京福の事故も遠因になっているかもしれません。
本線で活躍している時代は、本格的に写真を撮りに行ったのは1回きりで、その後も運転日が平日だったこともあり、ほとんど撮影はできていないのが実情です。本来、お見せできるようなものではないのですが「さよなら」の気持ちをこめて紹介したいと思います。
はじめての「いもむし」との出会い。 なんの知識も無く、名鉄電車の写真を撮ろうと名古屋から1駅乗った栄生に行ったときのものです。
反対側の金山または神宮前にいけば良かったのでしょうが・・・
1984/02/04 栄生
大学1年の鉄研の夏合宿での写真です。 我が鉄研では夏合宿は1年が企画することになっており、私は迷わず名鉄を選びました。(これがきっかけで国鉄(JR)オンリーだったのに私鉄に目覚めた人もいたとか)
AL車HL車が本線系統最後の活躍をしている頃です。
1987/08/27 坂部〜阿久比
説明の必要がないくらい有名な「犬山橋」をわたるいもむしです。 名鉄に行ったらはずせないポイントでした。
1987/08/28 犬山遊園〜新鵜沼
実質動態保存化された後の姿です。冷房改造、旧塗装化前の1コマです。 1992/07/31 学校前〜明智
パンタが撤去された以外、4連時代とおおきな違いは見られません。 1992/07/31 学校前〜明智
’01年9月末の端末線廃止イベントの一つとして、八百津線に「蘇水湖号」が運転され、本線をパノラマカー、新可児〜明智をいもむし、八百津線内をキハ30で運転された。 犬山から普通電車として到着し、「蘇水湖号」に衣替え中のいもむし。
2001/08/13 新可児
新可児を出発し、車庫でくつろぐキハ30のわきを通りすぎる「蘇水湖号」いもむし。どちらも見られなくなってしまいます。 2001/08/13 新可児
犬山から「蘇水湖号」としての前運用として新可児行きローカルとして広見線を行くいもむし。旧型とは言え、良いスピードを出して走ってきます。 2001/09/22 善師野〜西可児