home 新着情報 会社概要 map 仕事 book
ゆにーく雑記 オンデマンド豆本 豆本キット販売 寄せ書き帳 川巡り 和林檎
豆本商品一覧 mail
 私家版 同居の家族 金子晴雄  カナリヤ・ ポチ・ ニャンコ・ ニャンタ                
高坂林檎のウオッカ漬け

長野市吉田・善敬寺さんは、今年もお盆の供物に高坂林檎を活用されて
4年になります。
蘇った和林檎を再び、朽ち果てぬように活用の計画の中で、
お盆の供物は嘗ては使われていたはずと、
お寺に協力を願って始まった。

◎余った供物の高坂林檎を興味半分でシロップと一緒に焼酎漬け、
一年後に試食、
 関西から山国長野に居を構えた某氏「これは旨い・・・」
 「私は旨い物を求めてきて、多少味にはうるさいが、これは旨い」
 気分よくなり、よし旨く作ろうと知恵を絞る。

ウオッカとシロップの高坂林檎、三年ねかせる。
先日、数人で試飲、試食の結果は「旨い・・・汁が旨い」
何でも焼酎漬けにするが、今回サントリーのウオッカ漬け。
参加者の一人 これは飯綱町のご婦人パワーで「町おこし」?
ウオッカとの組み合わせヒントは
サントリーお勤めの女性ソムリエの東澤さんのアドバイス。

お盆のお供え 和林檎・高坂林檎

お盆のお供えに和林檎を唱えて三年目になりました。
今年も白鳥山・善敬寺、セブンイレブン若槻、南堀店、
善光寺表参道・えんがわ各位と飯網町よこて直売所の
賛同を頂きました。
購入者は少しですが増えてきました。


和林檎・供物

八月十二日は長野のお盆・お花市。当社では、昨年に続き高坂林檎(和林檎)を精霊供物としての活用の販売とPRを行いました。初めての試みに賛同いただいた善敬寺さんは、昨年同様に新仏供養に何十個と活用いただきました。同じく、アメリカ生まれ商法のコンビニ・セブンイレブンの長野・若槻店オーナー下澤さんは、少しでも日本的、地域的な商品構成を考えて和林檎販売に協力し、今回も「当社ならでは‥」のポップをさげて精霊供物・和林檎を販売していただきました。成績は一つ残りの完売に等しい成績でした。生産地の飯網町でも長野のお花市にテント出店し野菜、果物などと一緒に高坂林檎を並べて販売しました。

今年の高坂林檎

暑いあつい夏、夜になっても例年のように気温が下がる時間が遅かった。都市部の暑さだけだと思っていたが、高坂林檎産地でも例年のようには夜温は下がらなかった様子。栽培者の米澤稔秋さん「例年より夜温が下がらないので、黄色く成って‥」と語っておりました。米澤さんの二本目の高坂林檎の木に今年は沢山の実を着けておりました。


和林檎
2005年、飯綱町文化財指定された高坂林檎(和林檎)は現代生活にどう組み込まれる か? 組み込まれないと、再び、衰退の危惧がある事から具体的な継続として「お盆の供 物」活用に着目。長野はりんごの産地ゆえ生産農家では自家製りんごを供えている。
街場でも以前は青いりんごを供えていた、これを遡り和林檎を供える風習を提言し、
賛同して頂ける人を探していたら「善いことですね‥」と、長野市吉田の白鳥山・善敬寺ご住職が賛同。今年、新仏の檀家の方に供物として差し上げる事が決まる。この 賛同に勇気つけられて、一部店頭販売も試みた。先ず、飯綱町ふるさと振興公社の産 物直売所から善光寺表参道にある「えんがわ」喫茶店、知人オーナーのセブンイレブ ン古里店。この供物の小さな林檎を初めて見た若い子は「可愛い‥、何?この林檎」、和林檎を知らせる役目は果たせた。
今年、和林檎の生育は十日ほど遅れており、紅色着色がないことが心残りでした。

和林檎の花 9月11日撮影
今年2006年の実りは9月2,3日頃でした。2004年より10日近く遅れました。
完熟し落下する前に皮が剥けてくる。高坂林檎の特徴


  日本で最初に青潮(対馬海流)とブナ林帯文化論を提唱 地理学者
 表紙和林檎の型押しサイズは大凡原寸大、高坂林檎は赤、 
 その中の白はリンキ。
ご購入のお申し込みは↓下記まで。

 〒380-0831 長野市東町152 TEL 026-235-2411 FAX 026-235-4047
 unique@mx1.avis.ne.jp
林檎から西洋苹果の栽培へ
 縄文の昔からあった野生りんご  りんご栽培の始まり  和林檎の栽培事情
 高坂林檎の名声
 ◇三水村の高坂林檎
 北斎と鴻山が描いた林檎の花 川上村のリンキといわれる和林檎
 ◇リンキ育成メモ
  文明開花の果物・西洋苹果  西洋苹果の栽培普及
高坂林檎の育成 りんごで“社会”を知りました
 〜飯綱町・牟礼・二つの小学校の  りんご栽培〜
品種改良にかけた人
川上村ではかつて大概の家で庭木として和林檎が栽培されていた。昭和20年代から30年代にかけて、川上村がわが国有数の高原野菜の特産地になると、農作業が忙しくなり、林檎の栽培管理に手が廻らなくなり、その多くが伐られてしまった。 その結果、現在和林檎は、原では三戸、居倉で二戸、秋山で三戸が作っているに過ぎなくなった。この数値は野外調査の結果であり、見逃している樹もあると思われるが、和林檎の栽培者がきわめて少数であることは事実である。
「川上村のリンキといわれる和林檎」から
小布施町の高井鴻山記念館には『北斎画稿』といわれる動植物のスケッチ集があり、ここには200点余り絵が描かれている。〜(中略)〜 この画集の中で、和林檎の花を描いたものが三点、またその実を写生したものが一点ある。画集を見ると、林檎と書かずに、「俗称リンキ」と片仮名で記している。和林檎とリンキは異なった果樹であるという研究者もいるが、リンキは和林檎の地方名であるという北斎の著述の方が正しいと思われる。
 前述したように明治初期現小布施町に属する北岡村と都住村では、和林檎が生産され、商品化されていた。したがって両村に接する小布施村町組上町にあった鴻山の屋敷においても、和林檎が栽培されており、りんごと呼ばずに、リンキといっていたことがわかる。 なお、和林檎の果実よりも花がより多く描かれている。それは実を食べることよりも、和林檎の花を愛でる観賞作物としての機能が主流であったことを示している。
「北斎と鴻山が描いた林檎の花」から
「ニュートン」と聞いたとき、ほとんどの人は「万有引力の法則」をまっ先に思い出すでしょう。ニュートンが、自分の故郷にあったりんごの木からりんごが落ちるところを見て、万有引力を発見した……というのはあまりにも有名な話ですね。
 でも、不思議に思っていたことがありました。それは「りんごって、そんな大発見できるほどポトポト落ちないよね?」
という疑問です。 長野で育ったので、通学路脇にりんご畑があるような環境でしたが、落ちてるりんごなんて台風の後くらいにしか見たことがありませんでした。 でも今回、その理由が分かりました。言われてみればとっても簡単なこと。りんごの種類が違ったのです。
「りんごで“社会”を知りました
 「飯綱町・牟礼・二つの小学校のりんご栽培」から