【お鍵渡し】

 お鍵渡しというのは、堂童子が大晦日の夜から堂内に参籠し、仏餉の献備は勿論勧化銭の収納一切を司るにつき、散銭箱等の鍵を大勧進及び大本願から受取りの儀を行ったものであるが、昭和初期以後改められて今はそのことはないが、従来の善光寺堂童子の役柄を示しているので、これを記すと次の通りである。

 その次第は、大晦日の夕刻四時、自坊で年取りを済ませ、白無垢、黒衣、折五条で中衆中へ廻り、唯今本堂へ登るにつき留守中よろしくと挨拶を行い、入相の六時本堂へ登るが、昆布、三つ組盃に銚子(冷酒)を寮房に持たせて行き、以後の御仏餉の番割(仲間坊に割付け)を行う。次いで勤番所で院代奉行に昆布を肴に盃を呈し、院代奉行これをうけ、盃を堂童子に進めるが、この時賽物納金の鍵を肴として堂童子に渡す。八時大本願へもお鍵渡しに御登り下さいと使者をやり、御使者が参ると堂童子部屋で、使者に三つ組盃を以って冷酒を進め、肴に昆布を出す。大本願使者は御膳米、蝋燭を片木にのせて参り、これと共に同じく賽物納金の鍵を添えて堂童子におくる。これをお鍵渡しといった。

 今はこの大晦日の夜、十五日間参籠中の箪子ほか諸道具を堂童子部屋に運び込むが、これは従前通りである。

【御朝拝式】
【御朝事】

 堂童子は大晦日の夜九時頃本堂に参り、掃除し、双盤四丁を直し置き、香を盛り、喰積み盛りなどをして御朝拝の用意を行う。

 十二時、堂童子は除夜の鐘と共に仲間中へ御朝拝にお登りなされいと二度触れ廻らせるのが例であった。これと同時に三卿前で双盤を打ち始め、これを合図に堂番は妻戸の大太鼓を打ち鳴らす。これを寝覚の太鼓というが、同時に西廻縁の喚鐘が鳴る。これを開堂の鐘といい、同時に本堂正面の扉と内陣の唐戸が開かれる。

 双盤を打終ると、勤番の間で白無垢長素絹に頭巾をつけ、内陣西寄りの堂童子の座(床という)につき山内一同の昇堂を待つ。浄家は東入側を経て色衣、威儀細で昇堂し、まず三卿、本尊に礼拝し、西入側を経て堂童子の床に至り、堂童子に会釈して勤番の間に控え、台家は中陣西側の道心部屋脇から西控の間に入る。ついで堂童子は、浄家一同の揃うのを待ち、台家一臈が勤番の間に年頭挨拶に来るを見て座を立ち、本尊前の御仏供台前を通り勤番の間に至って、台家一臈に挨拶を行い床に戻る。その間に、中衆一同は浄衣に着替える。堂童子は、一切が整うを見て台家奉行を通して僧正の昇堂を促す。

 僧正が昇堂すると、堂童子は座を立って出仕口に至って迎え、続いて堂童子は道心部屋に入り、僧正に年頭の挨拶を行い床に戻る。午前一時、喚鐘合図に浄家は法臈下座より本尊前、三卿前に焼香してその前に着座し、心経を唱い双盤念仏に入る。台家は、七条長素絹に威儀を正し、双盤念仏の中頃より下座入りにて本尊前、三卿前に焼香し、各経机前に着座するが、台家一臈の着座と同時に、中衆は総回向偈を同唱し双盤念仏を終える。

 次いで妻戸の棚で鳴る鐘に合わせて、瑠璃壇の塵除けが上り、続いて七五三の鐘に合わせて御戸帳が静かに上る。堂童子はこの時床を立ってゆっくりと本尊前に進み、焼香三礼し、続いて三卿前では焼香のみ行って善光卿に向って座す。

 台家の読経が始まり、鐘の合図で僧正は本尊の扉を開き開扉を行う。この前に、堂童子は立って本尊前に進み、御仏餉の第一飯を本尊の御開扉と同時に仏餉台に捧げ供える。続いて二飯、三飯を供える(三飯は弥陀、観音、勢至に供える)。後住は、三卿前へ御仏餉を二飯供える。僧正は、読経と共に瑠璃壇から下り、本尊の御仏餉前に立ち修法により御仏餉加持を行い、さらに三卿前にも立ち御仏餉加持を行う。御加持が終ると、導師壇の前に立ち内陣に向って授与十念(南無阿弥陀仏を十遍唱える)を行い再度瑠璃壇に登り鐘を合図に厨子の扉を閉じて降壇する。続いて戸帳が下る。この時堂童子は座を立って本尊の仏飯を下げ、後住は三卿の仏飯を下げる。堂童子は後住の助けを借りて仏供台下で仏飯を分け取って、片木盆にのせて導師部屋に行き、仏飯を差し上げる。僧正はこれを懐紙にうける。後住は台家一同へ、又後住は浄家臈僧以下全員に仏飯をわかつ。終って台家一同は三礼して退出する。

 続いて浄家の御朝事が行われる。作相を合図に浄家一同経机に移り、大本願上人が導師部屋から内陣に入り、本尊、三卿に線香立礼後、導師壇の前に長跪すると、堂童子が立って三卿下東脇台に用意しておいた御仏餉を本尊前に、後住は三卿前に供える。御仏餉が供え終ると上人は導師壇に登り御仏餉加持を行い、浄家の読経が続き念仏一会と大鐘の合図で戸帳が上ると、上人導師壇から下り、総願偈三帰礼の後、内陣に向って授与十念を行い、送仏偈にて閉帳となる。上人退座を待って堂童子、後住が御仏飯を下げ、まず堂童子は導師部屋に至って御仏飯を上人に進め、後住は浄家一同に、又後住はその他の付人に御仏飯をわかつ。これが終ると一同退座し御朝事が終了する。

【喰積】

中衆には正月中、玄関に喰積を飾って賀寿をあらわす習慣がありますが、これは堂童子の作法にその源があると思います。

喰積は、12月31日大晦日の夜、堂童子昇堂の行列に従って本堂に運ばれ、朝拝式から七草会までは上人・僧正の出仕の間に飾られ、その後15日までは内陣堂童子壇に飾られて、御印文授与の際参詣者にもご覧に入れています。

喰積は、三方の中央に心松を立て、その台を昆布で巻いて紅白の水引で結び、それに凡そ2升の米を盛って台上に整えて、その上に正面には勝ち栗・左右後ろにかやの実・銀杏・金時豆などを一つ一つ整然と積み上げて出来上がり。

【喰積いろいろ】

年中行事辞典(西角井正慶編)には、次のことなどを紹介しています。三方などに米飾・勝栗・榧・柑子・昆布・譲葉・シダなどを積んで飾ったもの。地方によっては手掛けともいう。

浜名湖北の山村では、三方に似た形をした台の上に米を盛って、大根を輪切りにしたのに水引をかけ、これに松竹梅などをさして立て、これを中央に置いて周囲に栗・干柿・蜜柑などを置いたものを年始の客に出す。これを一つだけとって食べるのをオクイツギという。

東京では、正月料理を三方に盛って玄関に出しておくのを喰積といい、京都では装飾的で蓬莱盆という。高知市付近では、三方に白米・橙・譲葉・海の幸を盛ったものを朝山といい、家の者は一人一人この朝山を捧げて年神を拝み、賀客が来る度にこれをもって出て挨拶を交わす。

福島県糸島郡では、御初取といって年賀客は三方に盛った定めの食べ物の中、一品だけ頂いて帰る風があるなどです。

【修正会】

 正月一日から三日まで、本堂で台家、浄家各別に行う法会で、その目的は、天下泰平国家安穏、五穀豊熟万民快楽を祈願するもので、正月の修法であるので修正会という。古くは元日から七草まで行ったと記録に見えている。

 大本願を中心とする浄家の法会は午前十一時に行われる。飾り物は導師壇前机に引継の三方を一対置き、うば玉5ケ、みかん5ケを供える堂童子は白無垢長素絹で堂童子床に着き、浄家一同は色衣に肩五条袈裟をつけ、中啓を携えて本尊前の経机に着く。この時大本願上人が導師部屋から内々陣に入堂し、本尊、三卿に礼拝後、導師壇下で三礼して導師壇に登る。磬を鳴らし、同時に上人句頭で開経偈、阿弥陀経一巻、広開偈を誦し、十念に続いて上人の句頭で般若心経七巻の読誦があるが、この間に本尊の開帳が行われる。この時には本尊瑠璃壇内のローソクは全て消され、堂童子の灯ゲ一対が灯される。堂童子は心経の読誦が始まると、床を立って仏供台上の金剛杖(白手という)をとり、上人の後に廻り導師壇の右脇に贈り、後住は同様金剛杖(黒手)をとって浄家一同ほかにおくる。鐘を合図に読経を終って、上人は念仏を唱え、導師壇をおりて内陣に向かって授与十念を行う。終ると閉帳し、礼拝後起立して退座し法会を終る。

 台家の修正会は午後三時から行われる。これより先、堂童子は本尊前へ御仏供をそなえるが、導師壇の前机に砂糖をかけた小豆汁、うば玉、切餅、仏飯など六器の皿に盛り供える(飯・汁・餅・栗)。

 次第は堂童子が例のように白無垢長素絹で定めの床に着き、僧正に御案内を出し、昇堂の時は出仕口に僧正を迎える。作相を合図に一同経机に着き、僧正は入堂すると導師壇下で三礼の後、導師壇に登り焼香し読経となる。この間に開帳となり、瑠璃壇上の燈明は浄家と同じく、堂童子の灯ゲ一対のみになる。

 阿弥陀経が始まると、堂童子は床を立って仏供台上の金剛杖(白手)をとって僧正の後から右脇におくり、次いで一臈二臈三臈までおくり、引続いて後住が次座の僧以下に金剛杖(黒手)をおくる。次いで僧正が授与十念し再び導師壇に登る。この時台家一同は金剛杖をとって一臈より御戒壇に入り、咒を唱えつつ板壁を打鳴らす。これを鬼払いという。この間僧正は修法を行う。台家一同帰座すると、さらに僧正の修法があって、終ると退座し導師部屋に入る。堂童子はまた出仕口に至って僧正の退堂を見送る。かくして一同また三礼して法会を終る。

【大御膳について】

正月中の朝事には、大御膳一対を金塗り大三方に乗せ、導師壇の前机に飾り、如来前に供えます。

1. 大御膳をあげる当番を「御膳番」といい、中衆から法臈順に定められています。御膳番にあたる坊では、当番日の前日午後までに造り、夕刻堂番と寮坊2人が長持ちにて本堂西窓下に運んでおき、翌朝、晨朝の双盤の時に堂童子によって供えられます。

2. 朝事が終わって一旦堂童子宅に下げられた大御膳は、両寺をはじめ信仰のある所縁の家々に授けられます。

3. 大御膳に使われる皿は、各坊に代々伝わる直径30B程の大皿で、

(1) 真ん中の立ち物は、長芋・人参・牛蒡を前後に各2本(計6本)、20B程の長さに切って、前には紅白の寒天を立て、前面を45゜程の角度に揃えて斜めに切り落として紅白の水引で結ぶ。
(立ち物は、畑からの自然の賜り物であるので、形状など素材選びには毎年八百屋さんを巡っています。)

(2) 寒天の前にリンゴ1個を置きその両側にミカンを半分に切って中身を内向きに並べ、その周りには線切りにした大根・人参・昆布・セリ・牛蒡などを椀型に盛り合わせ、境目の所々に金柑を榊の葉に刺して配し、彩りを添えて出来上がり。

4. 戦前は、立ち物皿と盛り物皿は別で、さらに重箱五重に香物・豆腐・三つ葉・昆布などを扇型・さくら花型などに飾り切りにした「大大御膳」を供えましたが、戦後になって現在の姿に簡素化されて、その後「大大御膳」は堂童子によって正月15日に朝事にのみ供えられていたが、これも昭和64年(平成元年)から廃止されています。

【謡初め】

 一月二日の晩、堂内の堂童子道心部屋で行うもので、当日、当夜泊り番の奉行へ呼使を出し、勤番、後住等へも昼のうちに知らせておき、寮坊には屏風、火鉢その他晩に必要な品々を取揃えさせる。

 午後五時半、案内をうけた人々は道心部屋に集る。人々が揃うと堂童子は挨拶の後、用意の油揚及び豆腐の四ツ切りを大皿に盛り、取肴は煮〆三重をだす。豆腐、油揚を炉の炭火で焼き、寮房の酌で一献後、焼けた油ゲや豆腐をゆずみそ、ふきみそ、生姜などで食し、またお重の煮〆を肴にして酒盛を行う。おつもりは、精進のなべ焼きうどんが例である。

 この時、謡曲を謡うを習わしとする。

【御印文包替え】

 正月六日行う七草会準備の行事で、前日堂童子は御供所道心を浄家中へ廻らせ、明日御印文の御包替えを行う旨を触れさせる。

 六日、御朝事後、堂童子、後住、又後住は控の間で堂奉行から御印文箱等を受取り、道心を浄家中へ廻らせ御印文包替えと触れさせる。御包替えは導師部屋において、堂奉行と同座で中衆三臈僧の手で行う。包替えというのは、三顆の御印文の上包みの金欄を新しいものに取り替えることである。金欄は、緑、紅、紫の三枚を四十五度違いに重ねて御印文を包み、身と鈕の間を紐でククり、三方に紐をつけ、御印文の鈕を牛王杖(勝軍木で作り、長さ二尺六寸余、先の径二寸三分、手元の径一寸一部、先端は内刳りである)の内刳り内に挿し込み、さらに麻紐で牛王杖に結びつける。御印文を牛王杖に取り付けると、杖の部分を奉書紙で巻き、その上に熨斗形に折った奉書紙でもう一度包み、その上下を元結二本で「トンボ結び」とする。さらに御印文に大奉書紙をかけて留め、余り部分を外に開かせ、御印文箱の上面の枕木上に横たえ紐で合せ締め、如来前右寄りに備える(通称「アサガオ」という)。他の二顆は、御印文箱内に納める。

 他方、三臈を除いた中衆一同は本堂内陣西窓下で金剛杖を作る。まず中折紙に印文をおす。印文は三顆あって木製で牛王宝印本師如来となっている。御印文の復刻印である。中折紙の上半分に三印、下半部に逆さまに二印を押し、上下二ツ折にしたものを勝軍木の先端の折目に挟みこんだものを作る。これは先端の皮を剥いだもので、ほかに白木(勝軍木の全体の皮を剥いだもの)のもの、皮付きのもの、これら各二本づつ合せた六本を束にして結んだ六手(むて)と称するものを五組作り、ほかに勝軍木、若木で数十本つくる。これを金剛杖という。

 一切が終了すると、内陣西窓下で、三臈を除いた中衆一同は煮〆、黄金餅(黄粉餅)で、また導師部屋では台家奉行と中衆三臈とが同様の肴で、祝儀を行うことが習わしとなっている。

【びんずる廻し】

 正月六日の夜、善光寺本堂妻戸壇右脇にあるびんずる尊者をもみ上げ、妻戸壇の周りを五度廻す行事が行われる。尊者は十六羅漢の一人で、かつて末法の人のために斎会を設けて食事等を供養したという故事にちなんで、一尊の独立像に作られ、僧堂の中央に安置された像で、また食堂に安置されることが多い。さらに病患のあるものがこれを摩すれば平癒するとの信仰がある。

 この行事は、七草法会の参拝と御印文頂戴の式に便宜を図るために、尊者像を妻戸壇から移動させたことに始まった行事で、単なる移動にとどまることなく、もみ上げ廻すようになったといわれている。この時、参籠中の堂童子が尊者像に読経祈念し、前記したように妻戸壇の周りをもみ上げ廻り、五周後に堂童子から参拝者に用意された杓字が授与される。参拝者は、その杓字で尊者像をなでて持ち帰り、一年中の来福と無病息災を祈る。

【七草会】

 正月七日早朝の三時から行われる。前半は朝拝式と修正会を併せ修せられるが、唯異なる点は本尊前の御仏餉の向って右脇に御印文箱上に御印文付牛王杖(通称アサガオ)を据え、開山前には牛王杖、左脇に六手、金剛杖(白・黒)の束がおかれることである。

 僧正の仏飯加持が終り、堂童子が本尊の仏飯を下げ、後住が三卿の仏飯を下げ終ってからが、この法会の中心的行事となる。

 堂童子は仏飯を下げ終ると、直ちに御印文箱ごと本尊正面に据え直し、僧正の御印文加持があり、台家は読経を行う。この時堂童子は白手(金剛杖)を僧正におくり、大本願上人の昇堂を出仕口に迎える。後住は金剛杖(黒)を台家一同に、又後住は浄家一同他役僧にもおくる。僧正は導師壇にあって修法を行い、台家一同は金剛杖をとって御戒壇に入り板壁をたたき打鳴らすことも修正会と同じである。戸帳、塵除けが下ると、堂童子は本尊前に進み礼拝祈念した後、後住に手伝わせて牛王杖を御印文箱上からはなし、捧げ持って本尊前に立ち、弥陀、観音、勢至の三尊に三度づつ御印文を捺す。続いて三卿前に至って善光、弥生の前に同様三度捺すが、善佐へは捺すことがない。御印文捺しが終ると、須弥壇の東前に立って、東、南、西、北へ向って三度捺し、南面して天と地に向って三度捺す。終ると導師壇上の僧正の後に廻って僧正の袈裟に三度捺す。次いで本尊前に帰り御印文箱を下におろし、後住に手伝わせて牛王杖から御印文を取りはずして一旦箱に納め、袱紗で覆い箱に蓋をする。

 この間に僧正は導師壇東脇に南面して座し、上人はまた導師部屋から出座して導師壇の西に同様に座す。堂童子は印文箱を捧持して僧正の前に行き、第一の宝印をとって僧正の頂に捺し、さらに第二、第三印を捺す。宝印を箱に納めて、次に上人の前に至り、僧正と同様三印を捺す。上人はこれが終ると退座する。堂童子は導師壇の東に行き、三方上の折紙に三印を捺すが、東叡山に後日届けるという。

 次いで堂童子は台家一臈の前に御印文箱を据えると、一臈がこれをとって堂童子に宝印を戴させ、次に堂童子が一臈に三印を戴かせ、続いて二、三臈に戴かせる。次いで後住から台家全員に戴かせ、次に又後住が引き継いで浄家一臈から全員に戴かせ、終って仏餉台の右に安置し、御印文頂戴を終る。

 この後、堂童子は六手を僧正及び上人におくり、台家一、二、三臈にも六手をおくる。

 さらに後住は、宝印を捺した金剛杖(二本)を台家の法臈順にひき、又後住から浄家一同にひき、台家、浄家の役人にも一本づつひく。これが終ると僧正退座し、台家一同も続いて起立三礼して退座する。

 この後、浄家は経机前に移り御朝事と修正会を行う。上人が導師壇に登ると堂童子は本尊前へ、後住は三卿前へ仏餉をそなえ、上人の授与十念があって、御仏餉を下げ、心経七巻続投中に上人に金剛杖(白手)をおくり、後住より浄家一同、役人に金剛杖(黒手)をおくり、送仏偈で法会を終る。

 お朝事と修正会が終ると、堂童子、後住、又後住が内陣端で一印づつ持って台上に立ち、待ちわびていた大衆に御印文を戴かせる。以後、堂童子以下中衆によって、十五日まで、御印文頂戴が行われる。

【お備割り】

 七草会が済んだ翌日の八日に行うもので、十二月三十一日から如来前に供えた丸輪の御備餅を、この朝、堂童子は後住に手伝わせて内陣西窓下で切り割るものである。古くは善光寺小工に行わせたが、今は後住と御供所道心で行う。後住は御備餅のうち、上から二番目を寮房に持たせて大勧進に届け、大勧進は返礼にのり入れ紙一帖と末広一対を堂童子に贈る。大本願へは最上部の御備を贈る。返礼は大勧進と同様である。

 最下の御備餅は浄家及び御供所に頒つが、その分配方法は、円に内接する方形を描きこれを十六等分し、大鋸で切り割りこれを贈り、三、四重のものは堂童子の坊へ届け、最上部に載せた福袋は院代奉行へ贈る。三卿前の鏡餅は、大本願へ堂童子から送り届ける習わしである。

【餅振舞と若餅】

 餅振舞とは正月十日に行ったもので、堂童子が浄家、台家を御供所に招き雑煮を振舞うのが例であった。九日御供所道心に台家、浄家中へ明朝例の通り御備餅を差上げたい旨を触れ回らせ、当日御供所で煮〆雑煮を振舞ったが、今は行われない。今は当日朝、大勧進へ、一重にのし餅、二重に長芋五本、三重に栗の皮むき、椎茸、凍豆腐各五、四重に大根、青板昆布の短冊切り、五重に杉葉を敷いた上に奈良漬一舟五重を箱に入れ、上を封じ道心に持たせ後住が届ける。

 また十三日には、大勧進へは、一重に白餅(搗き立ての餅を流し込んだもの)、二重にこしあん(薄塩味のもの)、三重に奈良漬一舟、四重にみがき長芋五本を入れた四重を箱に入れ、堂童子の素絹の腰紐で封印し、砂糖包を添えて、道心に持たせ後住が届ける。大本願へはあんこ餅、きなこ餅入れ二重、蓮根等五品の煮〆一重の三重に砂糖包を水引で結び使の者に届けさせた。これを若餅といったが、大本願の分は鬼門除け祈祷寺である安茂里の正覚院へ行く。

【十四日念仏と袖切り】

 明治初年の記録には、正月十三日、堂童子は浄家中へ明朝御印文惣御供えの事を申し触れさせているが、どのようなことをしたのかはっきりしない。十四日には、衆徒(台家)中へ明朝の大般若転読のことを、また中衆(浄家)へは今晩の十四念仏のことを触れ廻らせた。十四日念仏というのは、正月六日の夜から十四日の夜まで裸参りといって、男は腰に七五三を張り、女は単衣をまとい、山門と本堂の間を百度参りをし、十四日はその満願にあたるにつき、念仏回向を行うを十四日念仏といったというが今は行われていない。現在の十四日念仏は、午後六時、黒衣、折五条で一臈が導師壇の前に座し、後に仲間二人が双盤を前にして座し、他は後一列に座し、偈に続いて双盤念仏回向があって法会を終る。

 法会が終ると、臈僧と堂童子が内陣西窓下で堂童子の長素絹の袖切りが行われる習わしであった。

 堂童子は浄衣を脱ぎ、臈僧がこれを拡げて両袖を付根から切り離し、袖先を除き、後一巾を杉原紙に包んで水引をかけ、片木に載せて大勧進へ届ける用意をし、また一巾を二寸四方に切って牛王杖に挟み、大本願上人及び三寺中へ配る用意をする行事である。今はその形だけを行い、実際に袖切りはしないで、大勧進、大本願へはのり入れ紙一帖づつを巻き、上を元結で結び、とんぼ結びにして片木に載せて届けるようになった。

【東門開き】

 正月十五日の未明に行うもので、堂童子絵詞には「無上大利の御印文頂戴も、この日を以て成満となるを以て、今日迄は現世安穏を祈りて頂戴せしめたるを、今日は後世極楽の為、極楽の東門を開きて、往生決定の思いに住せしむるものにして、名づけて極楽の東門開きと云ふなり」と記しているように、この朝に限り、本堂中陣西の堂童子部屋南の西扉を開く。ここは本堂の西であるが、西方極楽浄土からは東にあたっているので極楽浄土の東門開きというのである。

 この朝は、六時、内陣西側に堂童子を中心に後住、又後住が各一判を持って台上に立ち、御供所道心に大傘をさしかけさせて御印文を戴かせる。頂戴した人々はこの東門から西回廊へ進む。堂童子等は弥陀の名号を唱えながら御印文を戴かせる。

【堂童子年頭】

 十五日。以前はこの朝大勧進、大本願から送られた餅入小豆粥を食して後、堂童子は後住と共に御印文を捧持して両寺に入り、御印文を戴かせ年頭の挨拶を行い、自坊でも祝儀を行った。次いで浄家、台家各々へ年始の挨拶を行い、牛王杖一本づつ使者に配らせるのが例であったが、今は行われない。この牛王杖を配るのも、古くは堂童子袖切りが行われた頃、これを金剛杖に挟んで三寺中へ配ったが、今は金剛杖を配って年頭の挨拶をしているが、この儀式の名残として、浄家日中後の副住様御印文と午後の浄家住職家内の集まり、「和光会」堂童子御見舞が現在行われているものと思われる。


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