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―― わかり合えない人達 ――

 古くから多くの物語が示しているように、男は女の考えることがわからないし、女は男の考えがいまひとつわからない傾向にある。この世の中には多くの分かり合えない人達がいる。それは言葉の壁だったり、仕来りの違いだったり、信仰する宗教の違いであったり、理由は様々である。

 かく言う私もこれまでに何度もお互いの考えを相容れることなく平行線を辿ったという経験がある。

 デビュー当時の知念里奈は「あり」「なし」で数年に渡って友人と口角泡を飛ばし続けたし、「どっちがより要潤に似ているか?」というくだらない理由で兄弟間の醜い争いを繰り広げたりもした(最終的にジャンケンで私が要潤ということになった)。また、愛し合いながらもついぞ結ばれることのなかった昔の恋人が、ペルーのパリニャス岬の港で楽しかったあの日の写真を胸に私の帰りを待ち続けていたということも、つい先日、風の噂で聞いた。

 人はある時期を互いに分かり合えたつもりでも、それは一時の幻想に過ぎなくて、本質的には分かり合うことのできない生き物なのかもしれない。



 小学生の頃、私には同じクラスに林田博也という友達がいた。

 林田君はユーモアの精神に溢れ、スケベで、シャイで、そして何より金持ちだった。面白いことが好きでスケベだった私は、彼とよく暗くなるまで遊んだ。スーパーボールが偶発的に入ったと見せかけてそれを取りに女子トイレへと潜入したり、通学路を破って帰り道に買い食いをしては先生に怒らたり、急な山道の斜面を猛スピードのスケボーで同時にすっ転んだりもした。女の子には自分達にない3つ目の穴があることも彼から教わった。エロビデオを見たのも彼から借りた物が最初である。とにかくいろんなことを彼から学び、彼と一緒に楽しんだ。

 そんな彼を私は親しみを込めて「ヒロピー」と呼んでいた。

 やがて中学に上がり、ヒロピーとはクラスが別々になったのだが、それでも私達はたまにどちらともなく相手のクラスに顔を出しては小学生時代のように遊んでいた。中学に上がってもヒロピーは相変わらずスケベで、影でコソコソとエロ本を読んでいた私を尻目に堂々とクラスメイトの女子の胸を揉んでいた。揉まれた方も怒りはすれ、「もう、しょうがないなぁヒロピーは……」で済ませてしまえるのがヒロピーの人徳である。

 そんな彼を私はいつしか羨望の眼差しで「エロピー」と呼ぶようになっていた。

 ある日、そんなヒロピー改めエロピーが神妙な面持ちで相談したいことがあるからと私を自宅に誘った。いつものようなおちゃらけた様子はない。

「いやに真剣な感じだったけど、一体どうしたんだろうか? あまりにクラスメイトの女子の胸を揉みすぎて、総スカンをくらったのか? あれほど金回りの良かった親父の仕事がまずくなったのだろうか? まさか、チンコに黒真珠を埋め込みたいなんて言い出すんじゃ……」

 不吉な考えが頭の中を渦巻いては消えた。

 一旦家に戻って鞄を置いた私は、脇目もふらずに、一路、エロピーの自宅へと自転車を飛ばした。一体彼は何を悩んでいるのだろうか。



 数分後。私はエロピーの自宅の一室にいた。

 普段はエロピーの自室に通されるのだが、今日に限ってはなぜが別の部屋である。いつもとは違う雰囲気に多少の戸惑いを感じながら、私はカーテンの閉められた20畳はあろうかという薄暗い部屋で当の本人と対座していた。部屋は純和風然りといった感じで、中には年代物のタンスやら壺やらが所狭しと並べられている。おそらく普段は物置代わりに使われているような部屋なのだろう。それにしてもこの家は部屋が多い。

 エロピーは私に何かを言おうとするのだが、どうもいい難いようで口篭もってばかりである。そんなエロピーを前に、私はカールを口いっぱいに頬張りながら彼から聞かされる相談の内容を今か今かと待った。

「あのな、仮面マスク……」

 暫しの沈黙を破ってエロピーが話し始めた。

「うん。何?」
「俺さ…………こ……告白しようかと思うんだよ」
「告白って……。女の子に?」
「…………おう」

 私はそれまで自分の頭に渦巻いていた不吉な相談内容とは違うことに安心をおぼえた、と同時にこの前向きな悩みに非常に興味を持った。そうか、エロピーに好きな人ができたのか。私はカールを食べる手を止めると、オレンジジュースで流し込んでから話の続きを聞いた。

「で、誰なんだよ? エロピーの好きな人って」
「……ん……あれだよ。………な、なんか恥ずかしいな……」

 柄にもなくエロピーが照れている。そんなエロピーを私が促す。

「大丈夫だよ。言ってみ、言ってみ」
「うん。あのな…………お前のクラスにいる………………み、水沢さん」
「うそぉーーーーーー!!! マジで!!!!!」

 水沢と言えば当時の学年で1、2を争うモテモテの女子である。確か放送委員会が企画した『我が学校の美男美女コンテスト』とかいう一癖ある顔の女の子から難癖をつけられそうな企画で、BEST3に食い込んだことのある兵だ。勉強もできるし、スポーツもできる。あんたど偉いもんに目ぇつけたなぁと思ったが、友達としては協力しないわけにはいかない。例え99%の可能性がなくても1%の可能性にかける。これぞ少年ジャンプ黄金期世代。

「で、どうする? いつ、どうやって告白する?」
「もういつでもいいよ! このままだと俺の水沢さんに対する想いが胸から溢れて、マジで破裂しちゃいそうだよぉぉぉOhhhhhhh!!」

 恋はここまで人を狂わすのだろうか。早くから性に目覚め、私に性とは何かを啓蒙し、クラスメイトの女子の胸を平然と揉みしだき、「処女はダメだ。つき合うならSEXを知っている女がいい」などとまるで中学生とは思えない名言をはいたエロピー。そのエロピーが今、か弱き子羊となって私に救いの手を求めている。以前、つき合いで連れて行かれたスナックの店のママに「女はね。男をダメにすんのよ」との人生哲学を聞かされたが、この時のエロピーは全くもってその通りだった。

「わかったよエロピー。落ち着けって。そんじゃよ、取り敢えずどうやって告白するかをこれから考えようぜ」
「どうやって告白するかは、もう考えてある!」

 間髪を入れずにそう答えるとエロピーは立ち上がり、部屋の隅に置いてあったCDコンポにスイッチを入れた。そして予め用意してあっただろうマイクをタンスの上から拾うと、コードをコンポに接続して、「あー。あー」とマイクチェックを始めた。

 私は彼が何をしようとしているのか理解できず、「なにしてんの?」と至極もっともな質問をした。

「これでな、ラブソングのCDを流すんだよ。それで、その曲をBGMに俺が愛の告白をして、それをカセットテープに録音して水沢さんに渡すの」

 さすがエロピーである。凡人ならば放課後の体育館の裏に呼び出したり、手紙をそっと下駄箱に忍ばせてじっと返事を待ったりするものを、カセットテープに愛の囁きを録音してそれを相手に聞いてもらおうとするとは……どう考えても無茶だろ。

「エロピー、それはやめた方がいいんじゃない? だってさ、例えば普段話したこともないような違うクラスの女子から“好きです……”なんて録音されたカセットテープなんか送ってこられてもさ、それはちょっと……怖いと……」
「大丈夫だよ! 俺だったら女子からそんなテープ貰ったらすっげぇ嬉しいもん!」

 恋はここまで人を狂わすのだろうか。もうこの人には何を言っても無駄なのだろう。

 私達はさっそく告白の台詞をあれやこれやと考えて紙に書き写すと、いよいよテープに録音する準備を整えた。手順は、まずCDを流して適当なところでエロピーが告白文を読み始め、全てを読み終えたところでBGMの音量を徐々に下げてフェードアウト――といった単純なものである。

 本番に入る前、「やっぱシンプルに告白した方が……」と再度忠告する私に彼は頑として耳を傾けようとはしなかった。さすが金持ちの長男。TVゲームの最中に腹を立ててスーパーファミコンに踵落としをくらわせ、その光景に驚いた私に向かって「壊れたらまた買えやいいんだよ!」と吠えた男である。

 そして、当時のヒットチャートを席巻していたCHAGEandASKAの『SAY YES』が流れる中、エロピーの一人舞台が始まった。

  ♪よけいな〜ものなど ないよね〜

 で始まる名調子を合図にエロピーが手紙を読み始めた。ここでぜひともその全容を書き出したいのだが、残念ながら「いきなりこんなことをしてご迷惑かもしれませんが……」という棒読みの出だし以降、笑いをこらえるのに必死だった私は肝心な内容をまるで憶えていない。取り敢えずエロピーは無事テープに自分の気持ちを記録したということをここに記す。

  ♪セイイェ〜エ〜エ〜エ〜ス セイイェ〜ス

 できれば私の忠告に「はい」と言って欲しかった――そんな思いも虚しくエロピーの一人舞台は幕を閉じた。

「ありがとう! なんとかうまいこといったよ!」

 未だ興奮覚めやらぬエロピーが満面の笑みで私に握手をしてきた。その顔を見ていたら、この計画に反対していた私にも不思議な満足感が生まれた。

 始めはエロピーの考えに難色を示していた私だが、よくよく考えてみればこの告白は他の誰でもないエロピーの告白なのだ。確かにちょっと滑稽な告白かもしれない。でも大切なのは告白するエロピー自身が考えて、自分の納得いく方法で好きな人に気持ちをぶつけるということなのではないだろうか。例えそれが失敗でもいいではないか。その失敗がエロピーを成長させるのだ。私のアドバイスはできるだけ失敗をさせぬようにと余計な道均しをしてしまう過保護な母親のそれと変わりがなかったのではないだろうか。

 私は自分の考え方をちょっと恥じつつも、エロピーの告白を通じて前よりも彼と分かり合えたような気がするのを嬉しく思った。

「じゃあな。がんばれよ!」
「あー! 待った、待った!」

 満足感を胸に家へと帰ろうとした私を、エロピーが不意に呼び止めた。

「じゃあ、明日これを水沢さんに私といてくれ!」
「えっ! 俺がこのテープを渡すの!?」

 てっきりエロピーが自分の手で渡すものだと思い込んでいた私は驚かされた。

「そう。頼むぞ!」
「でも……自分で渡した方が……」
「だって、恥ずかしいんだもん! 頼むよぉ……」

 こんなことの片棒を担がされたことがバレたら、こっちだって恥ずかしいわ! そんな思いがハヤブサのように胸を駆け巡るなか、私はそのカセットテープを受け取ると「うん……」と力なく返事をした。やはりこの男の考えることはわからない。

 後日。私はエロピーの注文通り、嫌々ながらも「ちゃんと聴くように」と念を押して苦笑いを浮かべる水沢さんにテープを渡した。きっと彼女はきちんとした方向感覚の持ち主だろうから、テープを聴いて笑うなどということはなかったのだろうと推測する。残念と言うか、当然と言うべきか、その後に彼女の口から聞いた返事はエロピーの期待に添うものではなかった。

 私とエロピー、エロピーと水沢さん。今回のことでこの3人が分かり合うということはなかった。しかし、人生においてのある大切な時期の思い出を互いに共有できたということが、おもしろくもあり、実は大切なことなのではないかという気がしないでもないのだ。

―2004年4月23日―

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