幼い頃、おじいちゃん子だった私は写真にうつると寿命が縮むとか、3人で写真にうつる場合は早死にするから真ん中は避けなさいだとか、写真にまつわる迷信を懇々と聞かされ続けた。そのため、私は写真を撮られるということにもの凄く抵抗がある。
そんな訳で、私はこれまでの人生をできるだけ写真にうつらないようにして生きてきた。義理でどうしても写らなければならない集合写真なんかでも端っこで極めて目立たないように努めてきたし、そして、これからもそんな心霊写真の幽霊のようにしていきたいと思っている。それが私に科せられた運命なのだ。今さらどう足掻いたってカメラを前に笑顔でピースサインなんて性向になんてなれるはずもない。
そんな写真嫌いの私の心に深く刻まれて忘れられない出来事がある。
そう……あれは遠い昔。まだ私が中学一年生の頃の話である。あの日、私は数人の友人達と同級生のエロ井君(仮名)の家へと遊びに来ていた。
エロ井君とは部活が同じ水泳部とあって学校でちょくちょく話をする間柄だったのだが、特に仲がいいというわけではなく、学校以外で遊ぶのはその日が初めてであった。実際、共通の友人に誘われなければ彼の家へ行くこともなかっただろう。彼はとにかく風変わりな少年で、学生服の内側にお手製の武器(木製の小刀だとか)をいつも装備しているような奴だった。話題はもっぱら元素記号と武器の話に終始していて、どういう訳だか彼に気に入られた私は入学してから夏休みまでの3ヶ月間、毎日元素記号の話を耳元で囁かれる羽目になった。さすがに夏場の蒸し暑い時期に元素の話を延々された時は「お前を原子分解してやろうか!」とも思ったのだが、それでも根はいい奴なので普通に友達づきあいはしていたのである。
そんなエロ井君。意外にもお客のもてなし方は心得ていて、私達を自分の部屋へ通すと、「まぁ、くつろいでよ」なんて一声かけて甲斐甲斐しくお茶とお菓子なんぞを取りにキッチンへと向かって行くのであった。なかなか殊勝な心がけである。
そんな心配りを見せるエロ井君を見送った後、不心得者ぞろいの私達は屋主がいないのをいいことにさっそく部屋を物色しようと盛り上がった。いつも武器のことばかりを嬉々とした表情で語っている危ない中学生エロ井君。現在ならば警察からの徹底マンマークを受けること請け合いのエロ井君。そんなエロ井君のプライベートルームが今私達の手中にある。溢れ出る好奇心を抑えることなどできようはずもない。
かくして私達は好奇心の塊となって家宅捜索を断行したのである。
すると出てくるわ、出てくるわ。襖の裏に隠された木製の刀。ベランダの出入り口の横に置かれた木製の刀。机の上には製作中の木製の刀。次々と発見される木製の刀。
「木製の刀ばっかりじゃねーか!」
いたるところにある木製の刀に半ば呆れていると、一人の友人が机の引き出し奥深くに押し込められた一枚の写真を発見した。大体こういった引き出しの奥深くにある写真は、いかがわしい写真と相場は決まっている。これがもし木製の刀の写真だったら、私は彼を尊敬する。
取り出してみると、はたしてそこにはピースをしている女の子の写真があった。
いつもわけのわからない武器の話をうわ言のようにしている武器職人エロ井。やはり彼も人の子である。密かに想いを寄せている女の子の写真をこんな風に机の引き出しの奥に隠していたりするのだ。そして、そんな彼の聖域にずかずかと土足で踏み込んでいる不心得者ぞろいの私達。
「こいつはあれだよ。6組にいる奴だよ。名前しらないけど見たことあるわ」
「へ〜。エロ井はこういうのが好きなんだぁ……」
「美人っていうより、かわいいってタイプだな」
しばらく好き勝手言いながら写真に見入っていたのだが、私は囃し立てる友人たちを尻目に、ひとりこの写真に対して言い知れぬ違和感を持っていた。なんだろうなぁ、と目を凝らしていると……ああ、なるほど。ピースをしている彼女の写真。あろうことかその彼女の鼻の穴から、鼻毛が二本ピースしていたのである。
友人達もその鼻毛に気付いたようで、さっそく指をさして笑いはじめた。
私はその光景を見ながら、なんともやるせない気持ちになった。この写真を白日の下にさらけ出してしまった負い目からも、この事実をエロ井君に告げるべきだと思った。「エロ井君。せっかく裏から手を回して入手したと思わしきこの写真なんだけど、よりにもよって彼女の鼻から鼻毛出てますよ」――と。
しかし、よくよく考えてみれば盗み見した私達がすぐに気付くような秘蔵の鼻毛写真である。いつも眺めているであろう、持ち主のエロ井君が気付いていない筈はない。彼はきっとこの鼻毛のことを知っているはずである。そんなことは百も承知でこの写真を大切にしているのである。痘痕も笑窪と言うではないか。これは教えるだけ野暮というものだろう。
いや、そもそもエロ井君はこの鼻毛を出している彼女こそが好きなのではないだろうか。よくダウンタウンの松っちゃんが、鼻毛の出ていることや鼻くその出ていることを相方の浜ちゃんに指摘された際、
「いや、この鼻くそも含めてダウンタウンやからね」
といった旨のボケで切り返したりしているが、今回のこの鼻毛写真にも同じことが言えよう。彼女の鼻から飛び出している鼻毛。その鼻毛も含めてダウンタウンなのである。
私はエロ井君の愛情の深さに感動しながら、そっと写真を引き出しの奥へと戻したのだった。
写真は真実の姿を写すというが、だからといってなんでもかんでも形にして残せばいいというわけではないと私は思う。写真は事実をうつす。でも、それだけである。大切なのはその時なにを感じたかという心の風景なのではないだろうか。そして、その心の風景こそが掛け替えのない記憶“思い出”になるのだと思う。それをあの鼻毛写真は雄弁に語っているような気がしてならないのだ。
記録よりも美しい思い出を記憶に残したいなぁ、と思う。
―2004年11月30日―