郷土の偉人 ; 刀匠「山浦真雄」とは

「刀匠;山浦真雄」について簡単に紹介します

 兄、山浦真雄(やまうら まさお)の生涯
 1804年、信濃国小県郡赤岩村、名主山浦家に生まれる。
 記念碑の正式名は「刀工山浦真雄・清麿・兼虎生誕之郷顕彰碑」です。
 国道18号の「菅平入口」信号脇にあります。お花畑は大石区のおじさんたちが咲かせてくれています。
 現在は、道の駅「雷電くるみの里」に移転しました。
刀匠記念碑
   屋敷の管理を頼まれている人も、しばらく留守のようです。
 庭には秋草が咲いていました。見晴らしの良いはずの布引山も、生い茂った川原の木々で遮られ千曲川の流れが聞こえるだけです。
鍛冶場跡     
10歳 弟、清麿が生まれる。
12歳 剣術入門、刀剣収集。初代水心子正秀に刀を注文、気に入らなく作り直しを依頼したことで巨匠を立腹させる。独自の「刀剣武用論」を述べ、感心した巨匠は、真雄に相槌させ一刀を仕上げる。
19歳 結婚。
22歳 長男、兼虎が生まれる。剣術修行。
25歳 鍛冶入門。弟の清麿に作刀法を教える。
26歳 相学入門。上田藩の鍛刀に従事する。
27歳 弟と脇脂を合作する。
28歳 生家の門脇に石灯籠を建てる。独習研鑚。名主職、昼は農業で多忙、夜に協同鍛刀。この頃、弟も正行名で活躍する。
34歳 京都に赴き協同鍛刀。
41歳 弟と協同鍛刀。
42歳 水論争が起こり一家は赤岩を去る。
43歳 小諸に帰住。
44歳 上田藩の大太刀鍛。長男の兼虎24歳、父のもとに戻り叔父清麿に入門。
50歳 真雄の刀、激賞される。弟、清麿病中自刃。
58歳 真雄、「老いの寝覚め」を回想記(日記)として記す。
61歳 この年に佐久間象山が暗殺される。
68歳 秋に「老いの寝覚め」を執筆する。時、明治4年、廃藩置県、散髪脱刀勝手令が布告。
71歳 赤岩の生家が焼失、焼け残った納屋で寝起きし病に倒れる。松代より妻子が看護するも没、赤岩村の墓地に埋葬。
  
 真雄が28歳のとき門脇に建てたという石灯籠、赤岩地区は道が狭いので車のすれ違いはできません。
 車は、お墓のそばにしばらく止めさせてもらいました。
石灯篭
   真雄の墓は3ケ所(赤岩、上田、松代)にあります。写真は生誕の地、東部町赤岩にあります。
 いくつもある石塔の中から71歳没を目当てにやっと探し当てました。それほど質素なお墓です。
赤岩にある真雄むの墓     
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