これがすなわち、仏様みたいな人だね。
人間誰でも、自分が一番可愛い。
昔、活禅寺の無形大師が、「わしは世の中で自分が一番可愛い。」とおっしゃった時、
びっくりした。そして、少しほっとした。無形大師ともあろう方だってそうなんだ!
(でも、それを鵜呑みにするわけにはいかないこともすぐにわかった。)
多分中には、生まれつき仏様みたいな優しい心根に生まれついてる幸せな人、そう、山元
加津子さんみたいな人もいるんだろう。だけどほとんどが、「本音を言えば自分が一番可愛い
よ。」という人ばかりじゃないだろうか?
「犠牲になるな!」と教えられた。ちょっと変だと思った。
宗教なんだもの、人の為に尽くすことは良いことなんじゃないの?
犠牲になることは、自分を殺すことだ。自分を殺すと、後で必ず恨みがましい気持ちになる。
相手に対する憎しみが生じる。だから、他人も生かし、自分も生きる道を考えよ。それが仏教の
答えだった。
そんな調子の良いこと出来るのかなあ?
坐禅が多分、答えを教えてくれると思う・・・。
これがドクターSみたいな人かな?
でも女の子はこのほかに、容姿の悩み、絶対深いよね。
同じ才能で、同じ性格なら(性格悪くても)、可愛い子の方が必ずモテル!
ひどい話だよね。一生尾を引くことだもの。絶対可愛く生まれた方が得!
男の人は、やっぱり出世や収入の悩みかなあ?
世の中、なんて不公平なんだろう。みんな一度はそう思う。
だけどさあ、本当にそうだろうか?
悩みやすい人は、結構自己評価が低い。他人の長所は簡単に見つかるのに、自分の長所を
見つけるのが下手なんじゃないだろうか?本当に客観的に考えたら、あなただってかなりイイ線
いってるんじゃないだろうか?
十歩譲って、本当に何にも取り柄が無い人がいたとしよう。そんなあなたが、ある日突然、心底
羨ましいと思う人の環境と、「王子と乞食」のお話みたいに入れ替わっちゃったとしたらどうだろ
う?あなたはそれで、本当に今より幸せになれるだろうか?
恵まれてるように見える人だって、家の中に入るといろんな問題抱えてるかもしれない。
親にも期待されてる分、結構プレッシャーきついかもよ。それにさ、みんなに羨ましがられてる
くらいだから、見えないとこでイジメにあったりしてるかもしれない。イジメに合わないまでも、
ただでさえ目立つんだから、ちょっと何かあると「お高くとまって!」とか何とか、口さがない連中
の陰口の餌食になってるかもしれない。
皇室が良い例かもしれないな。みんなにちやほやされる。どこへいっても注目される。あなたは
それに耐えられるだろうか?あなたは今の環境を、そこそこの幸せを全部捨てて、雅子様に
なれるだろうか?
そして、雅子さまはあなたより絶対に幸せなんだと、あなたは言いきれるだろうか?
東井義雄先生まさにその人!
そしてこれが本来、坐禅を続けて行きつく理想的な人間像なのだろうと思います。
無形大師はいつもおっしゃってました。
「人間はな、偉大な力を持っているんだぞ。出来ないのは、やらんからだ!
それが正しい願いである限り、努力精進を続けて行きさえすれば、必ず願いは叶う!
出来るまでやれ!」
活禅寺の和尚さんの中には、本当にこの言葉そのままを実践していらっしゃるなあと感心する
方々がたくさんおいでです。そういう方々はみんな柔和な目をして、穏やかな笑顔の中に、
凛とした強さを秘めていらっしゃいます。立ち居振舞いに、威厳があるのです。ああ、私も少し
でもこんな風になりたいなあとは思ってみるのですが、いかんせん怠け者の私にはまだまだ
遠い道のり・・・。
ほら、そんなこと言うとまた無形大師に叱られるぞ〜!
「自分の力はここまでだ・・などと、せせこましい心で限界を作ってはいけない!
お前達はみんな仏様の赤子(あかご)なんだぞ!無限の力を持って生まれてきているのだ!
自分はダメな人間だなどと、二度と口にしてはならない!」
でも、その無形大師が、私の2年半続いたうつ病の始まる3日前に
「無理するな!無駄するな!」という声を下さったのです。
「頑張れ!」と言い続けた無形大師があの時、私には「頑張るな!」と言って下さったことは、
今考えてもとても不思議な気がします。
この頃こんな風に考えることにしています。
確かに生まれつき気性が強く、頑張れるように生まれてきた人もいれば、私のように、びくびく
オドオド生きてきて、意志薄弱で、大した仕事もこなせない人間もいます。
強くなるって、一体どういう事でしょう?
私のような人間が、東井義雄先生や、山元加津子さんみたいになることでしょうか?
いいえ、そうではありません。
自分が自分になること。自分本来の自分らしい自分になることなのです。
「トカゲも一生、ナメクジも一生」という言葉も、良く無形大師の御提唱の中に出てきました。
とかげのように、ちょろちょろ忙しく動き回って一生を送る者もいる。なめくじみたいに、のっそり
のっそりゆっくりと一生を送る者もいる。トカゲもナメクジも、自分の生き方に忠実に生きている。
ただ人間だけが本当の自分の生き方をわからないでいる。
まさにナメクジのようにしか生きられない九子は、あっち見こっち見して、トカゲを羨ましいと
思うけれども、結局ナメクジであり続けて、それに満足して生きていくことが、九子なりに強く
なることだと思っています。
強くなるって、自分を変えて他人みたいになることではなく、自分の弱さも含めて愛して
あげられて、どんな環境にあっても、それなりに満足して幸せに生きていられるようになる
ことではないでしょうか?
もちろん、坐禅を実践するうちに、弱い自分を強く変えていった素晴らしい和尚さんもたくさん
おいでです。でも、それはあくまでも第二段階として、次の大きな宿題として取っておきましょう。
弱いと思っているあなた自身を認めてあげること、なかなか可愛いヤツだなあといとおしんで
あげること・・・。ねっ、それから始めて見ましょうよ。
あなたなら、きっと出来るから・・・・。
ここに出てくる坐禅の話、大本山活禅寺の無形大師のお話は、あくまでもたった20年に満たない私の体験をもとに、今の段階で成し得たつたない解釈です。どうぞご理解下さい。 |