笠原十兵衛薬局第17代店主が語る

         

         笠原十兵衛薬局のあゆみ

           

           

         

            私どもの薬局は、遠くさかのぼる事460年前、種子島に鉄砲が伝来しました1543年に

                          初代笠原十兵衛が製造いたしました家伝薬 「雲切目薬」を、以来販売し続けて参りました。

                       
          
             もちろん「薬局」などというものはなかった時代です。当時は「眼界堂 笠原十兵衛薬房」

            という店名で、それこそ善光寺の参拝客を中心に、目薬一筋で商売をして参りました。
          
           

            そういう長い善光寺さまとの御縁故か、善光寺の寺社奉行を言い付かり、名字帯刀を許されま

             した。代々善光寺信徒総代も勤めております。

                  
            また近年になると、店主が政界に身をゆだね、国会議員になった祖先もおりますが、特に地元

            長野市の市会議員としてほぼ100年にわたり「市会議員 笠原何某」を名乗っております。
          
            かく言う私も、40年間10期にわたる議員生活を1999年までし続けておりました。
                     
            

                               選挙というものはとてもお金がかかります。

                                 先祖もそうであったように、笠原家では、店主は雲切目薬の調合の仕方を全く知りません。

                               家伝薬、実は、家内薬。

                                 姑から嫁へと、家内たちの手によって延々と受け継がれてきた伝統の雲切目薬で、笠原家は代々

                                  生き延びて参りました。

             父16代笠原十兵衛の時代はもっと悲惨でした。なにしろ、市会議員は名誉職ということで無給

            だった時代が長かったからです。


            父はしかし、お蔭様で長野市の市議会議長を20年以上勤めさせて頂き、長野市の名誉市民

            第1号も頂戴いたしました。

            それでも昔の話を聞く限り、雲切目薬はかなり売れていたようです。(写真参照)
    
             

                             ところが、我が家にとって晴天の霹靂とも言うべき一大事が起こりましたのは昭和57年のことです。

            もともと「目にしみる」つまり刺激の強さが売り物の目薬でしたが、現代の薬事法という壁に阻まれ、

            すでに昭和60年には販売中止が決まっておりました。

            

                             しかし突然、医薬品である目薬を薬局以外でも販売しているのは薬事法違反であるという告発に合い

            (当時は善光寺の宿坊の何軒かや土産物店の数軒でも買って頂けました。)、新聞に大きく報道され、

            雲切目薬は予定より3年も早く販売中止に追い込まれてしまったのです。

            それが当店の何百年来の商法であったからという言い訳はもちろん通用致しません。皆様に

            多大なご迷惑をおかけしてしまった事をこの場をお借りして深くお詫び申し上げます。



            でも私の心の中に、「もし自分が政治に携わる事がなければ、これほど大きく報道されること

            はなかったかもしれない。もともと、自分を選挙で落選させようという連中の、雲切目薬は格好

            の標的になってしまった。ご先祖に申し訳無い。」 という気持ちが広がったことは確かです。

            

                                平成十年、長野オリンピックの年に雲切目薬は復活しました!

            

                                もちろん、昔どおりの目薬は出来ません。PHやら浸透圧やらが、現代の目薬の基準に適合していないからです。

            その上、現在はこんな小さな薬局が目薬を作れる時代ではなくなってしまいました。

            何億円もかけた無菌室やら、とにかく近代設備が整った工場でないと、医薬品の製造は出来ないのです。

 

            ですから現在、雲切目薬の製造は目薬製造では定評のある「佐賀製薬」さんにお任せしております。

                  

            

            そんな訳でやっと私も、ご先祖様に顔向けができました。このうえは私が生きております間に、昔と同じま

            でとは欲張りませんから、せっかく17代もの間「目薬屋」として続いた我が家が、せめてこの先

            何代かは代を重ねて、同じ目薬屋で細々と続いていってくれることだけを望んでいます。 

                             

                                 17代店主近影

           

            (当薬局の自慢めいた話まで出てきて申し訳ありませんでした。80歳を超えた年よりのたわごととお聞き流し下さい。) 

 

                              ::::: 追伸 :::::

         

            これは私が亡くなり、長年雲切目薬を作り、一人で薬局を切り盛りしてくれた私の家内が同じ年に亡くなったすぐ後の事だ

            ったそうですが、2007年NHK大河ドラマ「風林火山」の主役である山本勘助を取り上げた

                  ディアゴスティーニ社「日本の100人」51号(2007年1月 16日号)に、

                    雲切目薬の写真と記事を大きく載せて頂く事が出来ました。 

            先祖が雲切目薬を作ったちょうど同じ1543年に、山本勘助は武田信玄の元へ仕官していたそうです。                    

            ご承知の通り山本勘助は眼帯をしておりました。

 

            聞くところによると松の枝で目を突いて目をつぶしたという話が残っており、今でも北信濃に残る勘助の子孫は、

            元旦の門松にも松を忌み嫌って使わないそうであります。

 

            とにかく目の悪かった勘助のことですから、川中島の合戦で少なくとも四回も長野に出向いた折、雲切目薬の事を聞き及

            んで買い求めた可能性は大いにあると思います。

           

            広告など皆無の、そして世界中に通用するディアゴスティーニ社の本に我が家の雲切目薬を載せて頂いた幸運と、そして先

            祖がよくぞこの年に雲切目薬を作ってくれた偶然に感謝し、非力な18代の、ただ運だけは良い事に期待して、私と家内のお

            役目はこれで終わりにさせて頂きたいと思っています。

            

                    

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               「笠原十兵衛薬局の理念」を読む。      目次に戻る