以下の書簡集は、九子と活禅寺の熱心な門弟であられるfujiwara氏との邂逅がきっかけとなって始まったものです。fujiwara氏は稀有な文才を発揮して、ネット上でプロ志向の書評を発表しておられます。(リンク集を参照ください。)
 この春、開催されたインターネットoff会ギターコンサートin長野に出演して見事な演奏を披露したfujiwara氏に九子の心はトキメキました。勇気を振り絞ってfujiwara氏に差し出した一通のメールが育んだ、面白可笑しいやりとりの一部始終をここに掲載します。二人が(主にfujiwara氏が)語る薀蓄話、活禅寺と坐禅の魅力などなど。とくとご堪能下さい。

 

【九子のメール 4/18】

藤屋さんのコンサート素晴らしかったです。
実は無厳さんから、「懇親会にも参加したら?」と呼んで頂いていたのですが、何しろ一応主婦ですので、夕食の準備のため失礼させて頂きました。(注:無厳さん=活禅寺HP管理人 無厳権正和尚)
それから気も弱いので(?)、初対面の貴方にお話できずにおりました。
雲切目薬もう使って頂けましたか?お役にたてれば幸いです。
坐禅を続けて下さっていると伺ってうれしいです。

無厳さんって方は、ご存知の通りしごくあっさりした方ですし、そのせいか活禅寺のHPで、坐禅の良さとか大々的に触れられていないでしょう。それが、彼らしい所なのですが・・。でも、私はそれでは不満だったのね。っていうのは、自分が昔、心を病んでいて辛くて仕方がないときに坐禅で救われて、そういう事、みんなに知って欲しいのにHPのどこにも書いてない。だから、自分で書いちゃったんです。自分とこのサイトに。
笠原十兵衛薬局のホームページと、番外編の心のページ、もう見て下さいましたか?(もしまだなら、活禅寺のリンク集にあります。)

誰も来てくれないので、ジオシティーズ(登録済み)やジャパンメンタルヘルスリングにも登録中です。(こちらは、商用サイトと切り離して)
坐禅の良さをどうしてみんなわかってくれないのだろう。
こんなに楽になるのにね。

本当は書評についても、おもしろ話があるのですが、初対面(?)のあなたにあまり長い手紙はまずいかと思い、次の機会にしようと思っています。メールの山と格闘されてる時にごめんなさい。こちらは、そんなに忙しくありませんから、良かったらメール下さい。待っています。


【fujiwara氏の返事 4/18】

九子さん、こんばんは。
メールを拝見しました。
コンサート、お褒めにあずかり恐縮です。由緒正しい目薬、有り難うございました。
少しずつ大切に使わせていただいております。

早速HP拝見しましたよ。坐禅の功徳 随分と詳しく紹介されていますね。
私も感ずるところ九子さんと同じです。

無形大師様のご垂示を拝聴しながら坐禅を組んでいて、身も心も素軽くなりました。
坐禅の前には、必ず水行。(注:作法にのっとって基本的には水を七杯かぶります。)これがミソですね。

昨年から参禅を始め、夏安居(注:お釈迦様在世時からインドで行われていた夏季の集中的な行。活禅寺でも酷暑の時期に全国から信徒が集まり、一週間の厳しい修行を集中的に行ないます。)にも入行しました。

当初は脚が痛みましたが、今は1時間でも2時間でも平気で坐ってます。
先日、業消行(注:悪業縁消滅の為の読経行)の後の夜坐では、気づいたら23時近くになってました。
毎月、最低一度は帰山(注:お寺に来ることです。ちなみに、お寺から帰る時は「行って参ります。」と挨拶します。)しますが、待ち遠しくてたまりません。
永遠に ご本山に居座ってやろうかと考えてしまいます。

坐禅の魅力を伝えたいのは無厳さんも当然のこと。
但し、ありきたりの禅寺のHPとは一線を画して、豊富なトピックを散りばめて、視覚に訴えて、なるべく間口が広くて敷居の低いHPにしようと考えておられるみたいです。
実際にネット経由の参禅の問い合わせが すごく増えているそうです。

私の拙い書評を読んでいただいて恐縮です。
おもしろ話 披露してください。お待ちしてます。


【九子のメール 4/19】

藤原さん、こんばんわ!
>だいぶ良くなってから活禅寺のご本山のお世話になったんです。
>坐禅の前には、必ず水行。これがミソですね。

良い時に坐禅を始められたと思います。私も初参禅は丁度うつの波が終わりかけてる頃でした。うつ真っ只中の頃なら駄目だったでしょう。
水行、偉い! 続けて下さい。若い頃は良くやっていました。本当に坐禅の坐りかたに差が出ますよね。
私の場合は、読経も大事な要素です。大きな声で読経すると、お腹の中が空っぽになるみたいで、良く坐れます。

>当初は脚が痛みましたが、今は1時間でも2時間でも平気で坐ってます。

これは、すごい!すご過ぎる!
私は駄目です。15年もやっているのに、最高でも多分1時間半。数息観(注:坐禅中、ひとつふたつとゆっくり十まで数える。これを繰り返すうちに呼吸が整う。)なんてせいぜい30分。だから、困った初心者なのです。でも、貴方のメールでまた若い貴方に負けないように(というか、負けは最初から決まってますが)頑張って(うつ病は頑張っちゃいけないのですが)やろうと思っています。数息観が一番大事と先輩からも教え続けられています。
私は男尊女卑でも、フェミニストでもありませんが、体力気力はやはり男性が勝ると思っています。とことん突き進む力が、もちろん個人差はありますが、女性の方が弱い気がする。酒飲みでどうしようもない人でも、修行に純粋な人は上り詰められるって気がしますね。
修行というのは生易しいものではありません。それなりの体力も気力も情熱も必要なのです。男女にかかわらず、その覚悟がある人を無形大師は見抜いていらしたと思います。

>永遠に ご本山に居座ってやろうかと考えてしまいます。

どうぞどうぞ、貴方みたいな優秀な方なら大歓迎です。
でも才能のある貴方が、社会で活躍していらっしゃる現在を捨て去ってお寺にいらっしゃる事は、どんなもんかしら。何しろ、「活禅」ですから、禅を生活に活かして始めてヨシとするのではないかしら・・。お寺においでになられる和尚様は、そういう御縁が満ちて活禅寺に寝泊まりして修行を続けられておられる方々なのだと思います。それは、真似したくても誰にでも出来ることではないのです。私たちは私たちで、社会にいながら禅を生活や社会に生かす。「おまえたちのそれぞれの居場所で使命に生きよ。」と無形大師は、在家、出家それぞれの立場で禅を社会に活かす事を教えて下さったのではないでしょうか。
ついでですが、貴方は大学生ですか?東京大学?
その読書力、文章力、そして、メールを下さる早さ、どれをとってもただ者ではないでしょう。

>坐禅の魅力を伝えたいのは無厳さんも当然のこと。
>但し、ありきたりの禅寺のHPとは一線を画して、豊富なトピックを散りばめて
>視覚に訴えて、なるべく間口が広くて敷居の低いHPにしようと考えておられるみたい
>です。実際にネット経由の参禅の問い合わせがすごく増えているそうです。

これは、とてもよくわかります。うちのHPが全然読まれていないのは、私の書き方がストレート過ぎて敬遠されてるのかもと、思えてきました。最近・・。
やっぱり、無厳さんだな、所詮は和尚さんと初心者の違いだなって・・・。
でも、ひたむきさは買って欲しかったんですけど、友人にまで、「胡散臭いんじゃない?」と言われて、今ちょっと落ち込んでます・・。

>おもしろ話 披露してください。お待ちしてます。

じらすみたいで悪いのですが、(そんなつもりは毛頭ありませんが)話すと長くなるのでこの次にするとお約束します。○○○氏についてです。


返事を待ちきれない九子からのメール 4/19】

お忙しいのに、何度もごめんね。ちょっとこのところメールも滞ってまして淋しいので、また書いてしまいました。お約束もあるし・・・。(結局のところ、暇なのは誰かという問題に行き着きます)
では先ずお約束から・・・。

数年前私はある男性から一冊の本をもらったのです。
彼は、私の’はとこ’(親同士が従兄弟。どういう字でしょう?)
の御主人でした。
彼女、つまり私のはとこのS子さんは、親戚中で評判の美人で、でも目立つ事の嫌いな、穏やかでとても地味な人でした。
彼女と私は英語が共通の趣味で、いっしょに月に2回、うちに来てくれていた米国人に英語を習いだした頃から親しくなりました。それまでは、年齢もちょっと離れていたし、お互いすぐ目の前に住んでいても、そんなに話す事もなかったように思います。
今から思うと、彼女は美人でしたが、いや、美人たる故かどちらかというと薄幸の人生を送られたように思います。
御主人になった人の強引なアプローチで、親御さんの反対を押しての結婚だったと伺っています。(彼女のお母様は今でも御健在ですが、とてもモダンで、当時の女性としては珍しく女子大を卒業された才媛です。そこで、お母様同士がお知り合いで、後で、「彼女の事知ってたから、なおさらS子を嫁がせたくなかった。」とおっしゃったのを覚えています。)
S子さんは癌で45歳の短い命を閉じられたのですが、私が彼、つまり彼女の夫であった○○△氏から、その本、当時話題になりつつあった○○○氏の本を「弟が書きましたので読んで下さい。」と託されたのが、彼女が亡くなる前だったか後だったか記憶にありません。
確実なのは、私がその本をほとんど読まなかったと言う事。今も我が家のどこかで埃にまみれているに違いありません。
貴方がおっしゃるように、次々と話題本を書かれる○○○氏という方は、素晴らしい才能の持ち主に違いありません。貴方の書評を読ませて頂くと、自分でもその本をすっかり読んで理解してしまったように感じてしまいます。貴方の才能に脱帽!
○○△氏は、S子さんの死後ほんのわずかで再婚なさり、我が家の前からも去っていかれました。S子さんが病床にあった頃からおつきあいの女性だそうです。
「あんなに熱いプロポーズをして結婚したのに、熱しやすく冷めやすい人だったのね。」
そんな訳で、○○△さんの評判はイマイチ芳しくありません。悪い人ではない。それはみんなわかっているのですが・・・。
今年もつい昨日まで、閉じたドアの隙間から桜の花びらが風に散ってうちの薬局の中まで入り込んで来ていました。
うちではその桜を誰いうともなく「S子さんの桜」と呼んでいます。不思議な事に、全く花を咲かせる事がなかったのに、S子さんが亡くなった年から万開のみごとな花を咲かせるようになったからです。

もちろん、○○○氏には全く関係の無い事です。貴方が書かれたとおりあらゆる賞をそういう理由で拒否していらっしゃるのであれば、人間的にも素晴らしい方に違いありません。これを機会に私も少し読んでみようかと思っています。

そんな程度です。面白話といっても、とんだミーハーで、藤原君にはばかばかしかったかも・・・。ごめん。

お忙しければゆっくりでいいので、又メール下さい。とても楽しみにしています。
特に、うちのHPを始めて読んだ時の素直な感想(胡散臭いとおもったかどうか)とか、どうすれば3時間も坐禅が組めちゃうのかとか・・。その辺りを中心によろしくお願いします。

では

【fujiwara氏の返事 4/23】

九子さん、こんにちは〜。(^^)/~~~
面白話のメ−ルを拝見しました。ありがとうございました。
先ずは、先日から、いろいろとお褒めにあずかり恐縮です。
私、既に社会人10年目です。IT関連の某メーカーにて開発設計業務をやってます。
東京大学、とんでもない。田舎の某国立大学を素通りしただけです。

さて、昨日は北アルプス別院の有明稲荷大明神大祭に入行してきました。
北アルプス連峰の眺望が絶景でありました。信州、そして安曇野 素晴らしいですね。
こんな所に別荘建てたいなどど思ってしまいました。
ご本山から別院まで、正和尚さんの車に同乗したのですが、計らずも九子さんの件が話題に挙がりました。私の書評や修行ぶりを俎上に載せて頂いているようで、
お恥ずかしい限りです。

九子さんのHPの印象ですか?先日お話しましたように、私は胡散臭さを全く感じませんでした。
私も鬱&不眠でしたから、症状の逐一から薬の処方に至るまで自分の経験とオーバーラップさせながら興味深く拝読しました。私は典型的な鬱気質(責任感強く、仕事を他人任せにできないタイプ)で昇進を期に発病しました。おっしゃる通り、食欲、興味、性欲とも著しく減退し、自分は存在意義のない人間だと思えて、ほとんど廃人状態。通算4ヶ月ほど出社不能状態でした。
周囲にも同類の精神を病んだ人間が多いんです。週一回、会社の診療所でカウンセリングがあるのですが、目つきが完全にイッちゃってる連中の行列ができます。あっ、苦しんでるのは俺だけじゃないんだと分かる。SSRIも効果はあったと思いますが、吐き気には悩まされました。
 一番効果があったと思うのは、やはりガンバらないこと。怠惰に生きることですね。
私の好きな論客の一人の佐高信氏の造語で 『家畜ならぬ社畜』 というのがあります。己の能力を過信して働き蟻を演じている連中は、『社畜』である。俺は『社畜』はとっくに卒業したんだ、と。
こうして周囲の『社畜』どもを罵ることができるようになり(口に出しては言いませんが)、一気に気分が楽になりました。収入が減りましたが、精神衛生上は極めて良好です。ちなみに、私の『社畜論』の駄文を次号の「活禅の友」(注:活禅寺の機関誌)に掲載予定だそうです。
あと、日本人に特有のメンタリティも影響していると思いますね。鬱とか自殺願望は、本来は社会が安定している時に顕在化するもの。周囲に何の問題も無い場合は、怒りの遣り場がなく、叱責の対象が自分に向かうわけです。

 ところが日本人は、戦時中に集団自刃というのがあったし、不況と閉塞感に喘いでいる現在も年に3万人あまりが自らの命を絶っている。こうした戦争とか不況とか不安定な社会の状況下では、人々の不平不満が爆発して、テロや暴動が起こり、社会を変革する大きなエネルギーが生じるものです。(即ち、他人や社会が攻撃対象となり、自殺は少ない) 日本人は全く逆。実に不思議な現象です。洋画では、ギャングの子分が 「指図は受けねえ」と言って、ボスを射殺するけど、日本のヤクザ映画では逆に 「親分、なぜひとこと死ねと言ってくださらねえんです?」となる。『滅私奉公』に『ケイレツ』、『カイゼン』、『カロウシ』 。 これらは日本が世界に誇る『マゾヒズム文化』ですね。・・・(爆笑!)

話が逸れました。
活禅寺の凄さは、出家得度を旨とせず、禅のパワーを社会生活に活かし自己実現を目指す教義にあると思います。
あの夏安居の厳しさ、業消行など どこの寺院にも負けない。そして、単なる御利益信仰を越えて、様々な才能と度量を持った門弟信徒を娑婆に送り出していることを誇るべきと思います。主婦、農家、学生、舞台にドラマに活躍する俳優、大学教授、経営者、世界に飛翔する弁護士、億単位のカネを動かすファイナンシャルプランナーなど錚々たるものです。
この点をもっと広報すればいいのにね。と思います。
『静坐法』の続きには期待しております。少し拝見したところ、中村天風の安定打坐式瞑想法に似た健康法とお見うけしました。(違ってたらゴメンナサイ。)
勘違いされるといけませんが、私は脚があまり痛くならないというだけで、全く初心者の域を出ていません。いろいろ実験してみて判ったことは、円座はある程度高くて固いのが良いということ。縫い目を破って、綿をシコタマ詰め込んでみました。
また、揺身(註:坐禅の体勢を整えた後に、上半身を前後左右に揺さぶって全身のこわばり を取り除くこと) を十分ネンゴロにやると良いみたいです。

S子さんにまつわる○○○氏の話は、興味深く拝見しました。ちょっと感涙のドラマのワンシーンのようなお話ですね。
特にS子さんが咲かせた桜の件は、少々ホロリとした気分になり、不思議なえにしを感じました。○○○氏は、ご自分の家族の話など殆ど書かれませんので、実に貴重なエピソードですね。

ヤバイ。簡潔にまとめるつもりが、大論文になってしまった。


【九子のメール 4/24】

ヒョエ〜、すみません。お若く見えたので、大学生とばかり思っていました。そしたら社会人10年生、しかも今をときめくIT企業の最先端でバリバリご活躍とは・・・。今後藤原さんと呼ばせて頂きます。
ところで、男性にとって若く見えると言う事は誉め言葉なのですか?女性にとってはいつでも例外なく嬉しいものですが・・・。
でも、文科系人間も真っ青という立派な書評をものす方が実は理系の方だったというのは、またまた新たな驚きです。藤原さん、貴方はびっくり箱のようだ。まだ次々とびっくりがありそうですね。実は妻子が複数いたとか、ここで複数は妻ではなくて子にかかると一般的には考えるのですが・・・。 それから、あえてびっくり箱と申しました。パンドラの箱でない事を祈ります。

私のHPが胡散臭くないと伺って、ほっと致しました。藤原さんの様な方に好意的な評をいただくと、なんだか力もりもりです。でも、藤原さんはもうこっちサイドの人だからなあ。大部お寺に染まったでしょう。その辺がちょっと・・・。
でも、とにかくいいお寺でしょ?貴方はネットで活禅寺のHPを見ていらしたそうですが、以前も書いたとおり無厳さんが作られたHPにはお寺の宣伝らしき事あまりないでしょ?どこにひかれたのですか?あまた、禅寺のHPはあるでしょうに・・・。やっぱり、目に見えぬものの力かしら・・・?

そうなんです、私今夜に参禅しています。昔はもっと真面目に週に4〜5回は朝通っていました。でも、母が大病をしまして、朝母に子供たちを任せて参禅する訳にいかなくなったのと、自分の病気がわかって、とにかく無理はしたくないと、今はウオーキングを兼ねて(仏様、すみません)夜週に2回〜3回通う位でしょうか。
前置きが長くなりましたが、夜行くとこの頃受け付けが正和尚様なのです。だから、ついつい藤原さんの事など尋ねてしまいました。貴方の事が俎上に載ったのも確かですが、アルプス別院の帰り、私の事も大いに俎上に載ったのではないですか?
正和尚様も実はS子さんと少うしだけ関係ある人なのです。彼はS子さんの一番下の妹さんの御主人の従兄弟でいらっしゃるのです。つまり、私と正和尚様は遠い親戚同士であります。

活禅寺に始めて来た時、知らない人だらけの中で近しい人がいるとわかって、とても心強く思いました。もっと近しく思ったのは、正和尚様が「活禅の友」に昔書かれた文章を読んだ時です。正和尚様お話されました?多分話されなかったと思いますが、彼こそ藤原さんと並び称されるほどの頭脳の持ち主です。ところが正和尚様が書かれた文章には、自分が学歴の高い事をむしろ卑下していらっしゃって、「自分は大学こそ出たものの、着物も自分でたためないような人間だ・・。」などと書いてある。そして、それから正和尚様はもっぱら肉体労働つまり作務業にのめり込んでいかれるのです。実は私も親に「あんたは勉強さえしていればいいから・・・。」と言われ続けて育ち、学校の成績はまあまあで入試に受かる運と技術だけは人より少したけていたとみえ、親のいうとおり、薬学部にはいったのですが、薬大在学中から実習ひとつ満足に出来ない自分に焦りを感じ、社会に出てからは、つくづく自分の社会性の無さに悩み続けた経緯があったので、正和尚様の文章をまるで自分の事みたいに読みました。
私も以来作務に目覚めていたら、もっとましな主婦であり母であったと思いますが、何しろ坐禅で気持ちを楽にしてもらっちゃったもんですから、坐禅が好き。坐禅をしては自己肯定して、進歩のない日々を送り続けています。

日本人のマゾヒシズムの件、おもしろかったですねえ。でも、景気が良かったり世の中が住み易い時は逆に自殺は減るのかしら、日本では。どちらにせよ、日本人ほど他人を責める事の少ない非戦闘的な民族はいませんよね。でも、それってとてもうるわしいこと、日本人の美徳じゃないかしら・・・。まあ、外交では弱いでしょうけど・・・。
貴方のような読書家はもうとっくにご存知と思いますが、欧米ではディベートの時間があって、日々討論の訓練を受ける訳でしょう、小学校から。日本も少し見習ったらどうでしょう。
沈黙は金なんて、日本でしか通用しないものねえ。
うちのPC,7年近く前ので、611MBしかない所へ重い調剤ソフトがはいっていて、これを書いているうちにそろそろ音を上げて来たみたい・・・。
私はやはり物を書く事は好きな人間のようなので、貴方のようなメール友達が出来た事とても嬉しく思います。
暇な時はまたいつでもメール下さい。楽しみに待っています。
ところで、活禅寺以外に書評をどこかに載せていらっしゃらないの? この頃気になって見るのですが、あんなに手間暇かかった力作なのに長い反応を寄せる人がいないみたいでもったいないなあと思ってしまったわけ・・・。だから、もっとどんどん、もっと多くの人が読んでくれそうなサイトにも載せてみればどうかしら? 日の目を見るかもしれませんよ。
いらんことまですみません。では。

【fujiwara氏の返事 4/29】

九子さん。こんばんは。(^^)/~~~
メ−ルを拝見しました。お返事遅れまして失礼いたしました。
普段、仕事の報告書とか特許とか無味乾燥なものばかり書いていますので、情緒と主観を交えた大論文を嗜好してしまう私ですが、九子さんも相当な大論文の書き手ですね! しかも長文なのに中身が伴っている!敬服しております。

そうなのです。実は私、そんなに若くはなかったのです。でも若く見られるというのは男と言えども嬉しいものです。
幸い妻子はひとりもおりません。(隠れ妻子もおりません) ご安心を。(笑)
どうも初対面の方には若く見られる傾向があるみたいです。でも肝心なのは中身ですね。世の中には有名無実人間というのもいるものです。正和尚さんや私の好きな作家・広瀬隆氏に倣って、無名でも有実の人間になりたいと常々考えております。広瀬氏の本では、 『東京に原発を!』も良い本ですが、私が以前に活禅寺のBBSで取りあげた ‘パンドラの箱の悪魔’(NHK出版¥1500)と ‘地球の落とし穴’(NHK出版¥1500)は話題が豊富なので、より面白いと思います。 同氏は、巨悪を憎み、経済効率至上主義と科学技術万能主義の文明に警鐘を鳴らして自分の娘や孫(最近生れたらしい)の世代のことを本気で憂いています。お薦めです。

正和尚さんの文章ありましたよ。
確かに 以前から只者ではないとは思っていましたが、これほど苦悩に満ちた過去を背負っていらしたとは・・・・。
とても奥ゆかしく、普段は黙々と作務供養に励みながら、門弟の前でご提唱をされることもない方で、ご自分の境遇を語ることもありませんからね。
『破滅から希望の人生へ』 とは何ともスゴいタイトルです。天下の秀才が社会へ出てから挫折と苦悩を味わったのですね。無形大師に救いを見出して参禅し、そのまんまご本山で修行の日々。今月号の「活禅の友」に寄稿されているインド巡拝の旅を拝読しても、ただならぬ知性を感じさせられます。

先日、帰山の折りに某門弟の方から昔の無形大師の写真を見せて頂きました。前後に沿うているのは、若き日の権大和尚さんと紅顔の美青年の正和尚さん。(入門 間も無いころだったのでしょう)。実に貴重なショットでありました。

活禅寺のHPの魅力ですか?うまく言えませんが、初心の参禅者に優しくて、とても敷居が低いところでしょうか。
檀家を持たず葬式もやらないお寺。これぞ本物の仏教だと思いました。門弟の方は皆さん親切ですしね。おかげで、初参禅から8週間続けて帰山いたしました。厨房で○田○さん(現在は○田正叡さんですか)とご一緒に料理作らせて頂き、感激しました!
それからすっかり染まっちゃたみたいです。

また、日本人のディベート能力の件 全く同感です。来年から小学校では円周率=3 になり、台形の面積も教えなくなるとか。
子供たちがどんどんバカになり、これからの国際競争に伍していけなくなるのではないかと心配です。 教育改革に大反対!
再び 広瀬隆氏の話なのですが、小学校時代の氏は 0×1=0 が分かったけど 1×0=0 にはどうしても納得出来なかったそうです。「ゼロに何を掛けてもゼロは分かるが、最初に何らかの数がある時は、ゼロを掛けようが簡単にゼロになるはすが無い!」
と先生に泣きながら食ってかかって廊下に立たされたとか。今も納得していないとか(笑)  発想がユニークだと思いませんか?
円周率=5とか10だと何故いけないのか考えさせる。国語の教科書は重要ポイントに線をひくのではなく、納得できないところに線をひいて徹底的にイチャモンをつけてみる。生物に雄と雌がいないと何故都合悪いか?考えさせる。織田信長が生き延びていたら歴史がどう変わって、今の日本がどうなっていたか考えさせる・・・。もっと発想を柔軟にする訓練が必要だと思います。

政治・経済、エネルギーと環境問題、教育、福祉とかいろいろと言いたいことがあって掲示板に寄生しているわけです。(構想はありますが)自分のHP主宰しても、観客が来てくれそうにないし、メールマガジンには私など足元にも及ばない剛者の書評がひしめいていますし・・・。そんなわけで無厳さんのところに紙魚のように寄生してるわけです。
本日もこれから行ってきます。

あまりに長くなるといけませんので、本日はこの辺で。
ではまた・・・♪
今回は、このへんで失礼します。〜♪

               

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