2008年8月号 No.721



「巻き寿司」



 世界の食文化を見渡した時、日本の食には「巻く」調理法が実に多いことに驚く。
 ターグが知る限りでは、包む、挟む、塗る、乗せるなどの食文化は世界各国にある。中華料理には、ぎょうざ、しゅうまい、肉まんなどの包む食が多い。春巻きも巻くよりも包んである。サンドイッチやハンバーグ、ホットドッグは挟む食であろう。カナッペやピザなどは塗る・乗せる食で、メキシコ料理のタコスは挟む食であろう。
日本食でも大福餅や最中は包む菓子で、どら焼きは挟む菓子である。しかし巻き寿司、伊達巻き、鳴門巻き、鰊の昆布巻きなどの巻く調理は日本食の独壇場である。 端午の節句の縁起物である米宗は、餅米やうるち米の粉で作った長方形の餅を笹などの葉で巻き、い草で縛り蒸してある。正月のお節料理や種々の祝い膳に並べられる料理には伊達巻きなどなどの巻き物が圧倒的に多い。これは偶然ではない。日本人は巻いた料理をハレの食と考えている節がある。
 白飯にタラコ、海苔の三種の材料を用意された場合、握り飯にすれば、子供に与えるケの食で、巻き寿司にすれば客に出すハレの食になる。子供の運動会に持たせる場合にも多くの母親は握り飯を避け巻き寿司にしてハレの食を演出をしようとする。鯖の棒寿司も高級品は鯖を乗せた後にわざわざ昆布を巻いてある。
 節分に吉方に向かい太巻きを黙々と一本食べると福を呼ぶとされる恵方巻きの習慣などもこの延長であろう。
 大根の桂剥きや林檎の皮剥き、かんぴょう干しの作り方なども、巻く発想を逆回転させた中から生まれた包丁の使い方に思える。
 絵巻物や掛け軸なども初めから「巻いて」保存する事を前提にデザインされている。和服の着付けも腰巻きから襦袢、振り袖、腰紐、帯、帯留めまで、巻くのオンパレードである。日本以外のほとんどの国の衣装は身体を包む発想でデザインされているものが多い。
 食べる・着るという生活に最も密接な分野で、日本人が「巻く」という発想をこれだけ強く持っているのはなぜなのだろうか。
 親友のK君は「さかな物語」という変わった本を執筆してしまうほどの海好き、魚好きである。彼によると、日本人の血の中には海洋民族のDNAが色濃く流れているそうである。生活習慣、伝統文化、祭などの、しぐさや手足の使い方には、海の匂いが感じられるものが多いそうである。
 日本料理に巻く発想が多く取り入れられたのは、網を巻き、錨を巻き揚げ、とも綱を巻き、釣り糸を巻いてきた海洋民族の発想や動作が反映されたものなのかもしれない。寿司ネタに向かないイクラやウニのために考えられた軍艦巻きも巻く発想がない民族であれば、まぶ皿の盛った飯に乗せるか、飯と塗してスプーンで食べたであろう。 祝い事に使われる水引も巻いてあり、着物の帯と同じ発想である。五層の天守閣さえも古い物は縄を巻き結んだ木材がその構造を支えている。締め縄や五色幕も神社や寺の周りに巻いた物であろう。横綱の綱も腰に巻いている。

 箸を使う日本の食文化の中で、寿司は例外的に素手で食べる事を前提とした食である。それも立ったまま食べる方がいなせである。 巻き寿司も元は屋外で素手で食べる事を前提に考えられた食であろう。それがハレの食になってしまった所には、日本人のルーツにまで辿れる心理深層の中の何かが関わっている気がする。



(ターグ・ターケン)