2008年8月号 No.721



「アイスクリーム」



 今では日常的な食物であり、一日に一回は食べる人もいるであろうアイスクリームは、実は意外に新しい食で、戦後それも昭和四〇年代に冷凍冷蔵で食品を流通させる為のコールドチェーン革命が進展した以降に定着した味である。 冷凍品は生産現場から流通、小売店やレストランの厨房にまで冷凍装置が整備されて初めて普及する製品である。さらに家庭でも日常的に食べられる様になるには家庭用冷蔵庫が全戸に普及する必要があった。それまでの日本人は鈴を鳴らしながら麦藁帽子のおじさんが自転車で売りにくるアイスキャンデーが唯一夏場に食べられる氷点下の味だったのである。西瓜を井戸に垂らして食べる方法ももあったが、冷える程度には限界があった。
 アイスクリームの普及と同時に冷蔵の清涼飲料水も急速に日本社会に普及していった。典型的なものは米国から入ってきたコーラであろう。あれは冷やして飲むから美味しいのであって、常温で飲んだら甘さが強くて飲めない人もいるであろう。同じ意味で、戦後の高度成長と共に伸びてきたビールも、その急速な普及はコールドチェーンの整備に助けられた面がかなりある。
 人の舌は冷やされると、味の感覚が鈍るものらしい。特に甘み、苦み、辛味などは感じなくなる。暖めて口にすればコーラの甘み、ビールの苦み、キムチの辛さなどに驚愕する事が多い。
 アイスクリームも同じであろう。あの甘みは口の中でアイスが溶け、体温と同じになって初めて感じる甘さである。コーラ類も口の中で温度が上がり、甘みを感じる瞬間には喉を通過してしまうから美味しいのであって、温めて飲んでみれば、全く別の味がする。温いビールに至っては飲むに値しない。 昭和四〇年に科学技術庁から出された「コールドチェーン勧告」は穀類中心の日本人の食生活を欧米並の蛋白質や脂肪の多いもの変える事で、日本人の体位の向上を目指したものである。その結果、日本人は初めて氷点下の温度帯の味覚を手に入れたといえる。夏の暑い盛りに氷水でキンキンに冷やしたざる蕎麦や素麺の旨さを知る事となった。冷し中華も氷水で締めてなくてはあの美味しさは出なかったであろう。
 しかし冷たい食品は味覚を狂わせる。特に甘い物は冷やされると甘みを旨みと錯覚しやすい。その意味では昭和四〇年代以降の日本人は知らない内に冷たい食品から想像を越える糖分を摂取してしまうリスクを常に背負う事になった。 冷たい事は匂いや辛味も封じ込めるので、臭くて食べられないトドの肉などは冷凍のままルイベとして食べれば美味しい食になる。 逆に辛味や香りを楽しむかカレーなどは冷えたら不味くて食べる気がしない。冷や飯も同じである。飯の味、香りが死んでしまうので食べていて文字通り悲しくなる。 アイスクリームは需要が急増する夏場に向け、メーカーが冬の内から翌年の夏に向けての生産準備に入る商品である。前年から製造が開始されたアイスクリーム順次超低温の冷凍庫に積み上がられて行く。夏の到来と共に、この積荷は洪水の様に消費者に向かって流れ出して行く。夏の終りに冷凍庫が空っぽになればメーカーの社長の頬が緩み、来夏に向かっての増産計画が始まるのである。

 今や我々は食べる温度や食べる時期までをも完全にコントロールされた社会の中で、人工の味を楽しんでいるのである。少し悲しい。



(ターグ・ターケン)