「終わりへの準備」
赤ちゃんは文字通りの赤子で、薄い髪の毛と産毛に覆われて生まれてくる。一年もすると頭髪、眉毛、まつ毛もはっきりとして、頼もしくも可愛らしい顔となる。
やがて思春期を迎えると、体毛が下半身や脇の下に生える。男子では口の周り、脛や胸にも生える。第二次性徴と呼ばれる現象である。この変化は異性へのアピールのためであると説明される事が多い。視覚、嗅覚、触覚を動員し子作りの行為に導くためであるという。 しかし下半身の毛と脇の毛に関しては、樹上生活をする猿の子が、この三点にある毛の束に掴まって親から振り落とされない様にする事から、かって樹上生活をしていた人類の子育への準備の名残りではないかと説明する学者もいる。 問題は、老境に入ってから伸びてくる毛である。ターグは自分自身が男であり、日本文化の粋である秘境の露天風呂に同行する日本人の友人も多い事から、老境に入った多くの男性の体に生えてくる毛については言及する事ができる。しかし女性については知る事ができないので、ここでは論じない。 口髭や鼻毛に白い物が混じる年齢に達すると、耳の穴の周辺にも毛が生えてくる男性がいる。鼻の穴の出口近くの毛が増加する人も多い。場合によっては正面からも白髪混じりの鼻毛が見える。
実は毛が伸びる場所は下半身にもう一カ所ある。第二次性徴時の正面と違い、後ろの方である。
老齢に始まるこの変化は長い間のターグの疑問であった。
ある夜、日本で親しかった友人の通夜に参列した時、ハタと気が付いた。老齢に達して毛が生えてくる場所は、死を迎えた時に、体の内部の物が流れ出してくる可能性のある場所ではないか。死因にもよるが、耳や鼻、肛門などは、死者の尊厳を守るために綿などで塞がれる事が多い部分である。
女忍者「くノ−」は漢字の女を分解したという説と、人にある目、耳、鼻などの九個の穴の他のプラスーを暗示しているとの説がある。 老齢を迎え、毛が伸びるのは、尊厳ある死を迎えるための準備なのではないだろうか。思春期に始まる増毛が次の世代を残し、子を育てるための体力を養う目的で始まる変化とすれば、その役割を終えた時点で始まる変化は、死によって起こる体の内容物の流失を秘すために可能性の高い穴の周辺を覆う準備なのではないだろうか。 神道の地鎮祭では、祭壇に神を呼ぶ降神の儀に続き、献饌の儀が行われる。そこではお神酒の入った平子の蓋を開け、神に捧げる。
儀式が終了、神にお帰り頂く昇神の儀の前には撤饌の儀がある。平子に蓋をし、一連の儀式の終りを告げる。文章のピリオドと一緒である。生命の誕生とその終焉の場合も、開いた穴に蓋をし、これを覆う事で命の終りとするのではないか。これに気付いた瞬間、ターグは敬虔な霊感に打たれ、神の存在を思った。尊厳ある死を迎える準備が、自分の体内時計にも組み込まれており、時がくれば、自分の意識に関係なく、これが動き出すと考えれば、人生に何を煩い、何を恐れる事があるであろうか。生きる事も死ぬ事も大きな自然の意思の中で執行されており、そこでは悠然として死に就けば良い。 以来、老境を迎えた友人の鼻に伸びる白髪が気にならなくなった。敬虔で愛すべきものとして眺められる。本人が気付かないうちに、体内意思が、尊厳ある死を迎える準備を始めた気配がそこに現れているとするならば、嗤う事などできないと思うからである。
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