2008年8月号 No.721



「最後の晩餐」



ダヴィンチ 最後の晩餐 人は最期を迎えた時に何を食いたがるのであろうか。
 日本には末期の水という言い方があり、死者の口に水を含ませる習慣が最近まであった。
 死を迎えた時に逢いたいと思う人と食べたいと思う物が、生涯を通してその人の心の奥に住んでいたものといえるのであろうか。
 どんな人でも永い一生の間には好きになった人がおり、最期の瞬間にその人の顔や香りが走馬燈の様に逆回転する記憶の中を横切って行く可能性がある。それが臨終の枕辺に寄り添う最愛の配偶者ではない可能性もある。いや可能性が高いかもしれない。
 同じ様に最期の記憶の中で甦る食べ物の味は家庭の中で平穏に食べていた味ではない可能性がある。山で遭難し、氷雨の中で最後に食べたチョコレート一枚だったり、小学生の頃に父の酒瓶から盗み出し、押し入れの中で初めて飲んだお猪口一杯の冷酒だっりするのであろう。それが、別れの朝に二人で飲んだ最後のブラックコヒーの香りだったりしたら、死にかけていてもそいつの頭の一つも叩いてやりたくなる。
 K君が最期の時に思い出すであろう味は、父に叱られて真冬の夜に家を追い出され、震えながら物置の軒下で泣くじゃっていた時に母がそっと届けてくれた麦飯入りのぼろぼろの握り飯一個だろうという。冷たい飯の上には熱い熱い焼き味噌が乗っており、これを涙や鼻水と一緒に口に頬張った時の味と匂いは生涯忘れないという。その後の人生でどんなに美味しい物を食べてもその時の味を越える事はなかったそうである。
 ダイエット特集の隣にあるグルメガイド欄を読む飽食世代の若い女性が本当の食べる喜びを味う事は永久にないのかもしれない。
 イタリアはミラノのサンタマリア・デレ・グラツィエ教会はデオナルド・ダ・ビンチの最後の晩餐の絵で有名である。十字架に架けられるキリストが自分を裏切ったユダを含む十二人の弟子達ととる最後の晩餐の緊迫感が良く出ている絵である。今でも晩餐は時として互いの腹の中を探り合う場であったり、これから敵となる相手への別れの合図だったり、戦いを仕掛ける前のセレモニーだったりする。裏切者に最後の引導を渡す場であったりもする。
 食べる事は人間関係の中では時として重大な儀式ではあるが、同時に個人的には極めて主観性の強いものでもある。左遷され不満たらたらで飲む酒は苦く、どんな料理も味のないものであろう。
 食べる事は食べる人の思想と価値観、食べる時の状況と場面などが深く関わってくる作業なので、平成グルメの人々が食べる事も困難な状況を生きた終戦直後の人々よりも幸せで美味しい食をとっているとは断定できないであろう。
 人には実際に経験しない限り、永遠に分からない事が一杯あり、太平洋戦争の末期、敗戦の色が濃い南方戦線に父や夫を送り出さなければならなかった家族がとった最後の晩餐がどんな味で、何を語り、どんな気持であったかを他の第三者が追体験する事は永遠にできないのである。

 さて、皆さんは自分の最期の晩餐を考えた事がありますか、家族に囲まれてとるのか、老人ホームで独りぼっちでとるのか、旅の空の異国でとる食事となるのか。そして、その最期のメニューはいったい何になるのでしょう。



(ターグ・ターケン)