2008年 7月号 No.720



名月も翌夜には欠ける



 中秋の名月が楽しめる時節である。中秋の名月は陰暦八月一五日に昇る満月で、文字通りの十五夜である。この満月も翌夜には形が歪み、昇る時刻も五〇分程遅れる。十六夜の月と呼ばれる。いざよいとは迷い、ゆらぐ意味である。さらに翌夜の月は立待月、十八夜は居待月と続き、寝待月、臥待月と月の出を待つ時間によって呼称が変わっていく。
 権力の絶頂に酔った藤原道長は「この世をば我が世とぞ思う、望月の欠けたることのなしと思へば」と歌っった。日本には佐藤や武藤、藤木や藤山など藤の付く姓が多いが、これは藤原一族い連なるという意味らしい。藤原の姓は自らは自立しないで、天皇制という大木に依存し、葉を茂らせ花を咲かせる藤のの繁栄戦略を暗喩したものとの解釈もある。 道長の歌は哀れである。大愚も還暦を過ぎるまでに沢山の権力者や経営者、巨万の富みを得た人物を数多く見てきた。結論をいうと「欠けない満月はない」。栄華の頂点を極めた人物、誰も口を挟めない程の権力を手にした人物、目が眩むほどの富みを手にした人物、いずれもその瞬間、その時が満月の夜で、翌月からは新月の闇、奈落の底に向かって確実に凋落が始まっていた。
 栄華の瞬間は一瞬である。それでも、短く空しきものが人の生である。ある人物が栄華の一瞬を求めて生きる姿勢を否定はできない。何年も辛苦に絶え、オリンピックの金メダルを手にするような生き方は感動的でもある。しかし、一瞬しか持たない権力や名誉、富みや勲章を得るために、周りの友人や同僚、部下や社員に犠牲を強いるような生き方は「お止めなさい」と言いたい。
 闇将軍と畏れられた政治家、日本の流通革命を標榜した経営者。デパート革命を喧伝した経営者、日本一の資産を誇った不動産王など、覚え切れない程の藤原道長を見てきた。悲しくも滑稽な風景であった。
 人は幸運の絶頂、成功の絶頂にある時には、満月が永遠に続くと錯覚するものらしい。冷静に考えれば、有り得ない話である。森羅万象、満ちて欠けないものは無い。衰えない花は無いのである。全ては諸行無常、娑羅双樹の花の色である。

(大愚)