2008年 7月号 No.720



命のささやき



 長野は全国有数の長寿県で、老人医療費は全国最低である。なぜ長寿なのであろうか。 様々な推論ができる。@斜面畑が多く雑穀雑食。A老人が園芸・果樹栽培に従事。B坂が多く、老人が良く歩く。C老人対策に早くから取組んできた病院が多いなどなど。
 春、信州の里山を歩くと、高齢者夫婦が朝霧の中で、木に掛けた携帯ラジオのボリュームを一杯に上げ、二人で林檎の摘花をしている姿に良く会う。夜明けと共に起床、夫婦で山道を登り、盆地を見下ろす斜面の林檎畑で「お父ちゃん、この枝、剪定(せんてい)するかい?」 「お母ちゃん、鋏(はさみ)、取ってくれや」などと大声で会話している。爽やかな空気と陽光の中、吐く息は白く、額には汗が滲む。陽が高くなると、山を下り、朝風呂後に、自家製野菜沢山の味噌汁、山菜と雑穀で遅い朝飯をとる。
 この夫婦は正真正銘の現役就業者であり、林檎や葡萄、梨や白桃を出荷した代金で、孫に何か買って上げる事を無上の楽しみに生涯働き続ける。このピンピンと働き、コロリと死ぬ高齢者の多い事が、長野県の不思議伝説を作った理由の一つであろう。
 本誌トップインタビューのライターだった須田治さんには「こんな死に方してみたい」などの著書があり、人の死をやさしく透明な目で見続けていた方である。彼は四九才の春、それまでに逢った沢山の死者に招かれる様にして、忽然と黄泉の国に旅立った。
 死の数か月前、インタビューを終え、須田さんと有楽町のガード下で飲んだ。須田さんが言った「大愚さん、多くの死を見てきたけど、長野県の年寄りは幸せですよ。高齢になって、土に親しむ人は、死が訪れる日を土から風から植物から、告げられているんですよ。信州には、朝、果樹園に出掛け、何時もの朝飯に戻らないので、孫が山の畑に呼びに行ったら、咲き誇る林檎の幹に背をもたせ、お婆さんが眠る様に亡くなっていたという例が山ほどあるんです。しかも体を清めようとすると、全く新しい下着をつけていたというケースが・・」と話してくれた。
 土の生命から、召される日を密かに囁かれる様な死を迎えたいと切に思う。

(大愚)