2008年 7月号 No.720



塞翁が馬



 ここ十数年、公務員批判が盛んである。殆どの省庁で各種スキャンダルが続き、殆どの官庁で談合や贈収賄が行われていたとなれば、止むも得ない面もある。
 特に一九九〇年代のバブル経済の崩壊以降公務員批判は激しくなった。バブルの発生とその崩壊自体が経済政策の明らかな失敗の連続であり、戦後の経済成長を主導したと胸を張っていた旧大蔵省や旧通産省に代表される官僚や長期政権を維持していた政権与党、日銀などに対する国民の信頼が全く失墜したのであるから仕方ない。
 戦後史を中央官僚として克明に見る立場にあった元内閣官房副長官の石原信雄氏が東大法学部を卒業した当時はキャリア官僚の初任給は大手民間会社の半額であったという。
 戦争に負け、荒廃した国土の中で官僚への評価は民間の半分で、殆どの地方自治体の財政は火の車であり、給料日前になると職員の給料を払うために、金策に走り回る行政の長が沢山いたそうである。
 これでは公務員批判も起こらないであろうし、堕落し弛緩し切った仕事ぶりにも拘らず、国民を見下したような態度をとっていた旧社会保険庁の官僚のような集団が生まれる余地がなかったのである。
 大愚の父親も当時は教員であったが、勤勉にして質素、生徒のために自己の全て注ぎ込むような生活をしていたので、家族の生活は赤貧洗うが如しであった。しかしその時代の教師は生徒からも父兄からも地域からも高い尊敬を集めている事が子供心にも感じとれた。 日本経済が高度成長となり、財政が安定、公務員の地位が楽で実入りのいいものに変わると共に、公務員は仕事をしなくなり、世間の尊敬も失っていったのである。
 歴史は全て塞翁が馬なのであろう。今、批判に晒され、必死に自己革新している行政や官僚が、再び国民の尊敬と勝ち得る数十年後には、民間の堕落と慢心が始まり、やがて私企業やビジネスマンが世間の侮蔑と嘲笑の対象になるのであろう。
 安定と平穏が組織の堕落と怠慢を生み、次の衰退を招くのは、企業、国家、地域社会ともに防ぎようがないのであろう。

(大愚)