2008年 7月号 No.720



桜の下に、春死なむ



 桜の季節がやってきた。全国の名所は咲き誇る桜を愛でるお年寄りで一杯である。
 日本人は年齢を重ねる毎に、桜への思いが強まる民族らしい。桜の便りが届きだすと、居ても立ってもいられないお年寄りが沢山いる。この人々が熱病のように押し寄せることで、平日の桜の名所は高齢者の雑踏の渦と化す。平和ニッポン、高齢日本のめでたい風物詩ともいえる。
 桜の花の命は短い。人もその残り時間が少なくなればなるほど「今年の桜が、人生の最後に見る桜となるかもしれない」との思いが強くなるものらしい。
 「願はくは 花のもとにて 春死なむ 
そのきさらぎの 望月のころ」西行晩年の作である。この歌は日本に生まれた多くの人々心境を表している。
 十代で海に空に散った海軍飛行予科練習生の制服ボタンも「桜に錨」であった。
 「桜の下には死体が眠っている」という。夜空に映える桜の古木の下に立つと、この言葉が実感として迫ってくる。人の精霊を吸い、男女の愛憎を静かに見守り、数百年を生きてきた命の囁きが聞こえてくるからである。
 日本人が、散り急ぐ花に自分の人生を重ね、加齢と共に、桜への思いを強めることは重要である。その美意識が、この国民の人生観や価値観の一番深い根っこにあたる部分を占めている可能性が高いからである。
 潔く、はかなく死ぬことに価値を見出す日本教徒と、泥水をすすり、糞尿の中を何十年、何百年と這いずり回ってでも、最後の勝利を求める一神教徒との違いは大きいであろう。
太平洋戦争の最終決着を見ぬまま海に散った若き命に哀悼を感じる民族と、数千年後の祖国復興を誓い、数千年間も残る石の建造物を作ってきた民族との差は大きいであろう。
どちらが正しいとはいえないであろうが、自分たちが刹那的な美に、はかなさやイキを感じ、そういう生き方に感動する人間であること意識しながら、桜吹雪の中を歩いて・・も、楽しくはないでしょうね。きっと。
 失礼しました。美味しいお酒と共に、今年も桜のもとに出かけましょう。古人(いにしえびと)との語らいをしに。

(大愚)