悲しき錯誤
安政五年(一八五八)年六月、神奈川沖のポーハタン号上で米国総領事ハリスと、下田奉行井上清(きよ)直(なお)、海防掛目付岩瀬忠震(ただなり)間で、日米修好通商条約が締結された。同じ条約は七月にオランダ、ロシア、イギリスと、九月にはフランスとも締結された。その内容は、公使の江戸駐在、神奈川・長崎・兵庫・新潟・函館の開港、江戸・大阪の開市、さらに領事裁判権(治外法権)、協定関税率制度、片務的最恵国待遇供与などであった。
明治になり、領事裁判権と片務的最恵国待遇の不平等是正のため、岩倉具視や伊藤博文が奔走した。日本の商工会議所が設立されたのは、この不平等条改定の一過程であったというのが定説である。最終的に条約が改正されたのは明治三十二年である。
井上・岩瀬はハリスの強腰に負け、不平等条約を結んだと、どの歴史書にも書かれている。しかし、当時の日本は「馭外(ぎょがい)の法」で、長崎で貿易に従事するオランダ人や中国人が国内で罪を犯した場合、日本ではなく当該国が処分するのが原則であった。国内犯でも罪人の処分権は犯人が属する領主にあり、犯罪が起きた場所の領主にはなかった。
江戸時代の法体系は属人主義であった。従って井上・岩瀬には落度も罪もない。明治政府が後になって西欧社会に倣(なら)って採用した法体系が、犯罪はそれが起きた国が裁くという属地主義に変わったに過ぎない。関税問題も、低率関税を押し付けられたというのは誤解で、ハリス側が高い輸入関税と輸出関税無用を提案したにも拘らず、貿易実務に不慣れな日本側がその逆を提案をしてしまったらしい。
歴史には、この様な誤解が無数にある。後世の人が納得し易い物語の方が真実として定着して行ってしまう。その時代にその社会で行われた慣習や、論理やその思考過程は時代の彼方にかき消される。
この現象は、今でも日常的に起きている。芸能界ゴシップから法律改正の本音、事故や犯罪の報道に至るまで、虚偽であっても大衆が納得しやすい方のストーリーが真実として世間に定着していく。
裁判員制度の公正さが危惧されている。犯罪者が置かれた状況や、犯罪に走った心理状況などを、他人が追体験するのは不可能である。状況を正確に推測し、現代社会が要求する正義を冷静・公正に適用できる人は、果たしてどの位いるのであろうか。
幕末に日本が置かれていた状況を冷静に認識し、井上・岩瀬の立場が理解でき、中立な立場から歴史を評価できる能力と知性を備えた人にして、初めて人を裁く事ができるのではないだろうか。
同時にこの態度は、上司が部下を評価する場合や、事件や政治に対して人からコメントを求められた場合にも、求められる見識といえるかもしれない。
情報を三度の食事の様に浪費する時代である。日々、洪水の様に飛び込んでくる事象に対しも、慎重な上にも慎重な検討と、歴史の裏を洞察できる能力が、今、求められるのではないだろうか。
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