2008年 7月号 No.720



年功序列



 バブル崩壊後の一億総懺悔により、高度成長を支えた日本の経営思想は根本から見直される事となった。コンプライアンス、アカンタビリテイなどの曖昧で舌を噛みそうな経営思想が洪水の様に米国から流入し、理念なき経営層と、横文字を縦に直す事が仕事だと考える経営コンサルタントによって日本の終身雇用と年功序列が全面的に否定され、尻馬に乗った経営が社員の首切りに奔走した。
 戦国時代の日本では腕一本で各藩を渡り歩く豪傑が輩出し、有能な大名を選んでは寄寓、しかし主人が無能と分かれば、さっさと逃げ出す社会でもあった。
 江戸時代になると、武士は官僚化し、藩や主家に一生仕えるようになった。終身雇用の誕生である。当時でも商家などは終身雇用ではなかったが、時代と共に、商家も従業員を生涯雇うか、暖簾分けで独立させるように変わっていった。
 終身雇用を前提にした年功序列は、長い年月を掛け、人柄、能力、人望などを判断し、それに相応しい人物を指導者に選ぶという、日本の知恵が積上がって生まれた制度である。 同じ時期に中国で採用された科挙制度は、もっぱら空理空論の知識偏重の試験で官僚を抜擢した結果、国を滅ぼす結果となった。日本に残った擬似科挙ともいうべきキャリア官僚制度が、今の日本の困難を生んだ要因の一つである事は誰もが認める事であろう。
 年功序列は年齢序列ではない。日本の風土、歴史、文化、伝統の中から誕生したもので、長い年月を掛け、人物の「功」を見極めながら昇進させる制度で、全員が最前線の現場を経験する事からスタートする。科挙制度に比較して、現場の汗の匂いや、働く者の苦悩を体全体で知る者の中から指導者を選ぶという極めて慎重で安定した制度なのである。
 横文字に飛びついて年功序列を否定した企業の多くが今、内部統制や人事管理に多大なコストを払っている一方で、巷(ちまた)では次の時代を担う若者が職業訓練の機会を得ないままニートと化し、荒(すさ)んだ世情から信じられない様な凶悪犯罪が多発している事実を見れば、年功序列・終身雇用否定で日本全体が失ったものの大きさが分かるであろう。

(大愚)