鯨くじら <前 編> ・・・・・さかなのうんちく  

*はじめに
*「陸の生命」「海の生命」〜陸から海に還った哺乳動物〜
*「財物の視点」「生物の視点」〜地球最大の生物を育んだ大海原〜
*「猟の論理」「漁の論理」〜鯨が運んだ日米摩擦〜

 はじめに

「酒池肉林」と言う言葉は史記にあり、殷(いん)の紂王(ちゅうおう)が酒で池を作り、岸辺の木々の枝につまみ用の干肉を刺した故事から出た言葉である。ところがこれを「林立する裸体女性の太腿などを抱きながらへべれけになるまで酒が飲める事」と解釈している友人がいた。

 「肉」という言葉を聞いて食物の「干肉」を連想しないで「生きた肉」を連想するのは彼が穀物を主食に殺生や肉食を忌避してきた日本の風土に育ったためかもしれないが、何となく生真面目で通していた彼の脳裏に描かれた密やかな願望を覗き見てしまった様な気がして笑えなかった事を覚えている。

 この様に大量に飲み食いする事を「鯨飲(げいいん)馬食」とも言うが、この言葉などは逆に西洋人に解釈させれば「鯨を飲み、馬を食う」日本人の野蛮さを表わす意味に解釈されそうである。

 ただ全く同じ意味で「牛飲馬食」という表現があるので「牛を食う西洋人から鯨を食う日本人が野蛮人呼ばわりされる」事に反撃はできそうである。

 確かに馬は良く食い、牛は大量に水を飲む動物ではあるが、表現としたら「鯨飲」の方がはるかに勝っている。理由は2つある。まず鯨は地球上に現存する最大の生物であり、イメージを表現する言葉としたら、 牛と鯨とでは飲み食いのスケールが違う。また「牛飲馬食」が陸の動物だけで比喩しているのに対し「鯨飲馬食」の方は陸を代表する生物と海を代表する生物とを対比させている。

 1972年の第1回国連人間環境会議以来「海に生まれ、 陸に上り、再び大海原に還った生物」である鯨について世界中で論争が続いている。

 米国人は「神聖不可侵な動物」として保護を主張、 日本人は「自然が恵んでくれた食料」であると主張する。この神学論争の奥には陸の論理を体現する西洋社会と、海の論理を主張する日本社会との激しい葛藤があると思える。

「陸の生命」「海の生命」〜陸から海に還った哺乳動物

 鯨の祖先は全ての哺乳類の祖先になったと考えられている白亜紀(1億5千万年前) の原始哺乳類のクレオドントだと言う。これが偶蹄類の牛や羊に近い生物を経て、 海に入り出したのは白亜紀の終り頃(6500万年前) と言う。 それから4万6000万年の年月をかけて、中新世初期 (1900万年前) には現在の鯨の姿になったと推測される。 こうして地球誕生以来この惑星に生息した生物の中で 最大のシロナガスクジラ(体長34m、体高6m、体重170t) が誕生した。人間が地球上に現れてから80万年、キリスト生誕からだと2000年しかたっていない。鯨から見たら人類は生まれたばかりの赤ん坊である。

 「個体発生は系統発生を繰り返す」(ヘッケル・独・1834 〜1919)は生物の成育過程はその種が進化してきた過程を再現するとの意味で、人間の胎児にも魚のエラが発生する時期がある。母の羊水の中で浮んで育つ胎児の原体験は海から生命が発生して来た過程そのものなのかもしれない。

 鯨の胎児にも4本足が発生する時期がある。また鯨 が海の中で交わす囁(ささや)きは赤子が母の中で聞く音に限りなく近いと言う研究がある。

 現在では11種のヒゲクジラ(髭鯨)と67種のハクジラ(歯鯨)の生存が確認されている。但し、ヒゲクジラとハクジラは全く違う祖先から別々に進化したものだと考えられている。

 オキアミなどの動物プランクトンを口の中のヒゲで漉して食べるヒゲクジラは一般に大型で性格もおとなしく北極や南極の氷の海に棲む。

 一方、イカや深海魚などを捕獲して食べるハクジラは小型だが性格は獰猛で潜水能力にすぐれ、暖かい海にいる。マッコウクジラは1000mの深海に2時間近く潜水し100 気圧の暗闇の中で体長10mを越えるダイオウイカを捕える。イルカはハクジラの中で3〜4 m未満 の小型のクジラに対する呼称である。

 C・W・ニコルの小説「勇魚」は紀州・太地の捕鯨の家に生れ、日本の伝統や思考方法を体現した甚助が、 海難事故で米国捕鯨船に救助された後、文化や慣習の違いを克服して米国人として生きて行く姿を、江戸から明治・鎖国から開国へと変わる時代を背景に描いたものである。この江戸時代の「イサナ」と言う呼び方は古代朝鮮語からきたものらしい。また「京」と言う字は小高い丘の上に建つ家を表す漢字から転じ、都や首都を意味する。後に「大きい」事も表す様になった。

 鯨は「大きい魚」を意味する中国語である。ドイツでもwalfische であり、洋の東西で「魚」と考えられていた事が分かる。

 ギリシャの哲学者アリストテレスは2400年前に既に鯨は哺乳類であるとの観察記録を残しているが、実際に鯨が魚類でないと西洋でも東洋でも認められる様になったのは1758年にスウェーデンの博物学者リンネ (1707〜78) が哺乳類であると公表してからである。同じ頃に日本でも紀州の薬種商・山瀬春政が「鯨志(げいし)」で 尾が水平である事や陰門がある事などから魚でないと主張した。

 「陸の生命」だった鯨が「海の生命」に変わるためには、まず目を小さくし、耳たぶを無くし、首を短くし、性器を格納し、泳ぐに適した流線形を作る必要があった。また後足を消し前足は鰭(ひれ)に変えた。水の抵抗が強い体毛は消し、呼吸のために鼻は頭の上に移動させた。さらにヒゲクジラでは効率良く大量の動物性プランクトンを採るために口の中にヒゲが生えた。この 巨大な海のジャンボジェット機が完成するまでの期間は人類誕生の60倍に相当する。


リーフィ・シードラゴン(写真提供:鳥羽水族館)

 海の中には写真のリーフィ・シードラゴンの様に海草と全く同じ擬態を完成した者がいる。陸でも木の葉虫の様に完璧に周辺の枯れ葉と同じになった昆虫がいる。これらの生物や鯨の進化の歴史を前にすると「生物進化は突然変異から生じ、最適者生存によって進行する」としたダーウィンの説はとても信じる気になれない。ひたすら神の創造への意思に畏敬するのみである。

「財物の視点」「生物の視点」〜地球最大の生物を育んだ大海原

 世の中には大柄な女性が好きな男と小柄な女性が好きな男がいる。もちろん両方とも好きと言う男もいるが、 一般には男は大柄な女性に母の部分を、小柄な女性に女の部分を多く見ている様に見える。

 確かに母のイメージは「ゆったりと大きい」イメージである。無力で小さな子供にとって母の膝は「ふん わりと大きい世界」であったであろう。

 全ての地球生命は海から生れたので当然であるが、世界中でも海は母のイメージでとらえられており「海」と言う言葉は殆ど女性形の事が多い。その大海原をゆったり泳ぐ鯨のイメージはまさに母そのものである。

 太地くじらの博物館、越前松島水族館などには鯨の2m近い雌雄の生殖器がにぎにぎしく展示してあるが、 あれは一体何の意味があるのだろうか。大きい事が重要なら鯨の脳は4〜7kg (人間は1350g)もあり生物の中で最大である。しかも表面に皺(しわ)が多く人間の脳に似ている。 この事から鯨やイルカは知能が高いとの説が生まれた。 しかし体重比では相対的に小さい上に、複雑な作業をしなくても海中で生きていける鯨の知能が高いとはとても考えられない。

 捕鯨反対派が言う「知能が高い動物だから殺してはいけない」と言う論理は世の中で最も恐ろしい考え方である。これだと知能に自信の無い私などは頭の良い人に虫けらの様に殺されても文句が言えない事になってしまう。

 鯨の寿命は人間に近く25〜80 年くらいであり、9〜19 年で成熟に達する。ホッキョククジラ、ニタリクジラなどの一部を除き殆どのヒゲクジラは年に数千kmも旅をする。かれらは冬に赤道寄りの暖かい海で出産し、夏になると餌の多い寒い海に移動する。つまり太陽が北に寄ると北半球の鯨は北に移動し北極海で餌を食い、 南半球の鯨も北に移動し、こちらは赤道近くで子づくりに励むと言う事になる。


ザトウクジラ(写真提供:鳥羽水族館)

 最近はホエールウォッチングと称して鯨見物が盛んである。豪快なジャンプを前に船上の人間達は鯨が歓迎してくれたとはしゃいでいるが、あれは皮膚に寄生したクジラジラミなどを鯨が痒がって振り落としている事が多いのである。鯨見物の流行に「鯨を食べる日本人に対する西洋社会の牽制と当つけ」を感じない人にとっては大海に跳ぶ鯨の豪快な姿は確かに見応えがある。

 ザトウクジラは潜水時に写真の様に尾鰭を水面に高 く上げる性質があり、この尾鰭の模様で個体が識別できる。この座頭鯨は背が曲がっており、姿が座頭が琵琶を背負った形に似ている事から琵琶鯨とも呼ばれる。 英語名はせむし鯨(humpback whale) である。マッコウクジラは腸の中から香料に使われる龍涎香(りゅうぜんこう)が採れる事から日本では抹香(まっこう)鯨と呼ばれるが、英語では精液鯨(sperm whale) である。マッコウクジラの頭は図の様に巨大で中はオイルタンクである。


マッコウクジラ

 潜る時にはこの中の脳油が凝固して重くなり、浮上すると白濁した液になる。船上で切断される時にドッと噴き出すこの脳油が精液に似ている事から命名され た。脳油は高級ローソクの原料やロケットなどの潤滑油として最近まで幅広く利用されてきた。

 すべすべの背中が美しい背美(せみ)鯨も英語はカモの鯨 (right whale・のろまで捕りやすい) である。この命名の仕方には鯨を単なる物質と見た西洋社会の「財物の視点」と生き物として接して来た日本社会の「生物の視点」の違いが表れている。

「猟の論理」「漁の論理」〜鯨が運んだ日米摩擦〜

 日本の開国を迫ったペリーの来航が当時太平洋を我がもの顔で走りまわっていた米国の捕鯨船に日本から水と食料を補給させるのが目的であった事は広く知られる。「陸に育ち海に還った鯨」が仲介した陸の文化と海の文化の最初の出会いであったとも言える。

 当時の捕鯨は米国が鯨を追いかけてモリで突いて捕ったのに対し、日本では網に追い込み動けなくして捕獲した。米国人が鯨を獣と見て「追う猟」を選択したのに対し、日本人は鯨を魚と見て「囲い込む漁」を選択したと言える。日本では今でも鯨肉は魚屋で買うものである。捕鯨が全面禁止となった現在でも調査捕鯨や沿岸小型捕鯨で年間2千t程度の水揚げが日本にはあり、国民一人当り17gに相当する。鯨肉は今でも食えるのである。

 いずれにしろ長い太平の中で固く閉じられていた日本の扉は陸の追跡型の猟を具現化した米捕鯨船がイキリ立たせた大砲の前に脆くも開かれてしまった。最初の米国総領事として下田に滞在したハリスに召し出され、後に乱酔の末に死んでしまった唐人お吉の開国悲話は、愛憎を繰り返し最後は戦争にまで突入してしまったその後の日米関係を暗示していたともいえる。

 今でも原油は米国の国家戦略の一つであるが、ペリーが浦賀に来た1853年の6年後ペンシルバニア州で石油が発見されるまでは、鯨油が米国の「国家」そのものであった。強力な輸出品であったロウソクの原料として、また勃興する近代工業の原料やエネルギー源として国を上げて捕鯨に邁進していた。太平洋には米国の約700 隻を筆頭に、英・仏・独などの捕鯨船が計900余隻ひしめき、主に日本沿岸の三陸沖で操業をしていた。当時の日本はライオンがうようよいる中で草を食む子鹿か、荒くれ男達の体臭と酒息でムンムンしている酒場に迷い込んでしまった生娘の様なものであ った。

 これが日本の時代劇だと悪役代官は決まって「アレ ー」とか言いながら逃げ回る町娘の帯をゆるゆると引き寄せ、良からぬ思いを遂げようとする。

 西部劇だとカウボーイは女の両肩を突き飛ばしベッドの上に仰向けに倒す。一方が「網に入った魚を船に引き上げる発想」を思わせるのに対し、他方は「平原に追つめた獲物を槍で突いて仕留める発想」を思わせ る。陸で狩りをする民族にとって「追いかける」と「突く」は生存するために必要な根源的な発想である。 狩猟ではバラバラに行動した方が獲物に出会う確率が高い。集団で狩りをする場合は声が大きいか、足が早いか、槍が上手かで分担が決まる。また常に新しい狩猟方法を開発しなければ相手に逃げられる可能性が高いので「独創性」が重視される。

 逆に魚相手の漁では常に同じ季節に同じ潮目に網を入れる事が肝要なので「継続性」が重視される。

 アメリカのTV漫画「トムとジェリー」にストーリーはなく画面の中で延々と猫が鼠を追いかける。大人向けのアクション映画でもテーマは殆どが「追跡・chase」で、一人のヒーローが活躍する話が多い。チームで活躍する場合には各人の役割分担がはっきりしており、リーダーは常に先頭を切って走り、誰よりも早く獲物やターゲットに近づく。「猟の論理」である。

 一方、日本の子供漫画では主人公が必ず集団で登場し、チームで行動する。各人の役割と個性は最後まで はっきりしない。合体ロボや「〇〇レンジャー」と称する戦士などが次々に登場、種々のメカ部品や宇宙パワーなどを主人公の方へ引き寄せてみせる。リーダーはグループの御輿(みこし)に乗って全体の流れを作る事に腐心する。網揚げの時に船の舳先から指示する者の発想に極めて近い行動様式である。「漁の論理」とも言える。

 捕鯨禁止運動を巡る日米の論争を見ていても、この発想の違いが色濃く出ている。大袈裟に言えば鯨が背負った陸の歴史と海の歴史が葛藤している。               

全国中央市場水産卸協会『全水卸』2002. 5 より)

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