秋刀魚 さんま  ・・・・・さかなのうんちく  

*はじめに
*サンマの生態〜サンマの寿命はたった1年〜
*サンマの歴史〜日本人がサンマを食べ出したのは江戸初期〜〜
*資源としてのサンマ〜サンマの輸入はゼロ〜
*サンマの漁〜サンマの見る海はカラフル〜
*食品としてのサンマ〜サンマを食べると頭がよくなる〜
*サンマのグルメ〜サンマの料理は無限〜
*おわりに

 はじめに

 サンマの季節である。魚屋さんが減った現代ではスーパーのショウケースにサンマが並ぶのを見て、我々は秋を感ずるようになった。一本いくらで売られ、庶民の魚として秋の味覚の代名詞のようなサンマであるが意外とその素顔は知られていない。
 水と魚の恵みの中で生きながら、その身近にして神秘の横顔を知らないではいられなかった事が私がサンマを調べ始めた動機である。調査を始めて見ると、普段余りに身近すぎてその魅力に気づかなかった人にある日突然に恋をしたような気分になった。
 名刀を見るような気品に溢れたスタイル、たった一年のはかない命、日本列島から離れる事なく回遊する誠実さ、炊きたての新米に合うその味、落葉炊き、夕焼け、紅葉に合うその風物詩、何から何まで日本人の為に生まれて来てくれたような魚である。
 晩秋に家族と食卓を囲むとき、友と縄のれんで熱澗を傾けるとき、私がここでサンマに捧げた思いを再念して頂けたら幸いである。

*サンマの生態
   〜サンマの寿命はたった1年〜


 従来、サンマは1年物、2年物、3年物という言われ方をしていた。サンマの耳石に日々年輪のように刻まれる輪の本数が 365本以下で、大部分のサンマは1年しか生きないと、水産庁東北区水産研究所渡辺和朗室長の研究で明らかにされたのは1991年である。
 太平洋に広く分布するサンマは夏に千島沖に集結、8月下旬に入ると移動と産卵エネルギーの脂20%以上を身に蓄えた群れから日本列島に沿って南下を始める。それが11月末に紀州沖で水揚げされる頃には身も痩せ脂は5%以下に減り、腹にはもう卵が無いと言う、いったい何処で産卵し稚魚はどうやって広い太平洋の中で育つのか全く謎である。
 ちなみにサンマはダツ目サンマ科に属し親戚にサヨリとトビ魚がいる。日本刀を思わせる青い背と銀色の腹は空から見たら藍色の海に溶け、下から見たら銀色に輝く海面と同一になるという浮魚類の知恵から生れた配色である。浮魚類とは魚の生態から分類された概念でイワシ、アジ、サバと同一である。他にはヒラメ、カレイ、スケトウダラに代表される底魚類、サケやマスに代表される溯(さく)河性魚類がいる。マグロやカジキを高度回遊性魚類として別に分類する人もある。
 我々は寿司店で時折数の子をばらした様な茶色の魚卵に出会うが、あれがトビ魚の卵である。トビ魚は満月の夜に鏡の様に静まり返った南シナ海に舟を浮かべ海草の束を連ねて待てば、やがて遠くの水平線がざわざわと波立ち大群がヒタヒタと押し寄せて来ると言う。
 海草の束に出会ったトビ魚達は一匹また一匹と空に飛び上り波に揺れる海草めがけ産卵する。産卵を終え死を待つばかりとなったトビ魚が月光に銀色の腹を光らせ一匹また一匹と波に消えて行く光景は言葉にならないと言う。
 翌朝、漁師達が海草の束を上げ海草に着いた卵を振り落とし乾燥させた物が我々に届く。
この話はロマンかも知れない、しかし同じ目に属すサンマもまた紀州沖のどこかで密やかに同じ儀式を行なっていないとは断言できない。
 サンマの種類は少なく我々が出逢うサンマは北太平洋に広く分布し、大西洋、南太平洋に生息する物はハシナガサンマと呼ぶ。最近はこれに10cm前後の小型2種を加え4属とする考えが主流である。
 前述の11月に相模湾を過ぎる頃一斉に産卵すると言う説に対し、四国および九州沿岸で1〜4月に海に漂うホンダワラなどの流れ藻に沈遊卵を生みつけるとの説もある。しかし年中稚魚の採取が出来る事から広い太平洋の何処かで1年中産卵は行われているのではないかとの考えもある。
 サンマには鯉と同じく胃が無い、養殖はむろん1年以上飼育に成功した水族館が無いのも痛快である。フグのようにドタッと食物を腹に溜め水槽の中をゆっくり泳ぐサンマの姿は永久に見たくない気がする。

*サンマの歴史
  〜日本人がサンマを食べ出したのは江戸初期〜


 日本人が何時頃からサンマを食べたかも謎である。縄文時代にはもう釣針があり、弥生時代の遺跡からはモリや漁網の錘、タコツボ、擬餌などが出土してくる。
 万葉集には「石麻呂に吾(あ)れもの申す夏痩によしといふものぞ鰻(むなぎ)とり食(め)せ」の大伴家持の歌があり、大和時代には租・庸・調の調として塩魚や干し魚を京へ持参する農民の苦労が記録されている。
 平安貴族のメニューもかなり解明されており、キジの干肉、干しアワビ、サザエの干物などが分っている。
 貧しい農民達により全国から平安貴族に献上された魚は木簡の記録に残り、タイ、カツオ、アジ、スズキ、イワシ、サバ、ヒラメ、カレイからカマス、サメまであるがサンマは見当たらない。
 当時のサンマは名前が無いほどの卑しい魚だったのか、それとも日本近海にいなかったのかも謎である。余りに美味しいので都に送らず農民達が密かに自分達だけで食していたとしたらこれまた痛快である。
 サンマ漁の最初は江戸初期の紀州熊野灘と言う。現在の三陸沖に比べると随分と南である。当時は利根川関宿(千葉)あたりでサケが良く捕れており、(平安時代には和歌山県熊野川でも捕れた記録がある)寒流がかなり南下していたらしく紀州が本場だった事は不思議ではない。
 現在殆どサンマ漁のない和歌山県も戦前までは全国一の生産量を上げる事が多く、明治25年にはサンマ漁船60隻余が勝浦沖で突風転覆、749名のうち八丈島漂着179人などを除き行方不明者229人と言う海難史上の大事件もある。
 サンマが文献に登場するのは『本朝食鑑』(1697年)が最初らしい。『梅翁随筆』によると明和(1764〜72年) 年間は未だ下賤な魚として食べなかったそうである。
 1772年の安永改元の頃「安くて長きはさんまなり」と書いて売る魚屋が現れてから庶民が食べるようになったが、武士はほとんど食べなかったと言う。江戸時代の下等魚にはこの他にマグロとイワシがあり高級魚はタイとされた。落語「目黒のさんま」の初出の文献は「重修本草綱目啓蒙」(1801年)である。しかし明治24年頃に禽語楼小さんによって演目として完成したものらしい。1766年本所緑町に住んでいた狂歌師・白鯉館卯雲(はくりんかんぼううん)が京都御所の別殿造営に京都に滞在した折に上方の雑俳点者や浮世草子作家達が集めていた「咄(はなし)」を持ち帰ったものが「鹿子餅(かのこもち)」(1772年)に結実、1798年に三笑亭可楽が下谷で寄席を開いたのが落語の最初と言う。すると「目黒のサンマ」は庶民がサンマを食べ出したのに、武士は未だ食べなかった時代にぴったりと合い、当時としては話題性十分の演目だったはずである。
 秋刀魚と書かれる様になったのは明治以降で漱石は『我輩は猫である』の中では「おさんの三馬を盗んで返報してやったから、胸のつかえが下りた」と、江戸時代のままに「三馬」の字を使っている。
 「あわれ秋風よ 情あらば伝えてよ 男ありて 今日の夕餉にさんまを食らいて 思いにふけると。・・・さんま苦いか塩っぱいか・・・・」で有名な佐藤春夫の詩「秋刀魚の歌」は1921年(大正10年)の発表である。
 サンマの呼び方は地方によりサヨリ(富山、和歌山)サエラ(兵庫)サイラ(関西各地)など様々である。
 天保時代の『魚鑑(うおかがみ)』には「京都ニテさよりト称フ」とあり、昔はサヨリとサンマが混同されていたようである。
 サンマの由来についても、大漁祈願の供物「祭魚(サイラ)」からとの説や、その体型「狭真魚(サマナ)」からとする説がある。学名もサイラ(saira) で、サヨリが訛った紀州地方の方言から取ったものと言う。

*資源としてのサンマ
   〜サンマの輸入はゼロ〜


 200 カイリ問題以降「寿司店でのネタの大部分は輸入物」と言う論が盛んである。しかし99年の海面漁業(内陸河川を除く)の生産量を水域別に見ると自国2百海里水域が85%、公海が9%、他国2百海里内が6%である。
 99年の全漁業生産高662万トン(金額1兆9,868 億円)は量的には全国民の食用消費を賄うに十分なのである。しかし殆ど国内で水揚げされるイワシの8割が非食用(飼料が主)に回される一方で341万トン(金額で1兆7,395億円)の高級魚を輸入しているのである。上位3傑はエビ類(3,049億円)マグロ・カジキ類(2,305億円)サケ・マス類(1,340億円)である。
 国内生産量のほぼ5割に相当する輸入量が、金額では国内生産額とほぼ同額になり、高額な輸入魚に頼る日本の食卓の贅沢さが見える。因みに輸入水産物の1割以上は空輸で「成田空港は魚臭い」との外国人の冗談があるが成田は今や漁港なのである。
 98年の日本の漁業生産高は世界シェアの5.3 %を占め世界2位である。1位は世界シェアの35.1%を占める中国である。88年には日本のシェアが13%で世界一であったが、この10年間に日本のシェアが半減した一方で、中国のシェアが3倍に急成長した。日本の漁業の急速な衰退の裏で、中国が工業分野以外の農漁業分野でも急激に勃興して来ている様子が伺える。
 国内生産を部門別に見ると、遠洋漁業で99年83万トン、沖合漁業で280万トン、沿岸漁業で285万トン、内水面漁業で13万トンとなっている。
 サンマ・イワシ漁は沖合漁業の代表でサンマは2000年は17万トン収穫され、加工用(冷凍・罐詰)が30%、生食用が40%、飼料用が30%である。同じ年イワシは20万トン水揚げされているが生食用は6%である。
 中国に頼らなければ賄えなくなった日本の漁業は99年の日本人1日当たり動物性たんぱく質摂取量46.4グラムの中18.3グラム(39%) を供給している。
 世界でサンマを獲る国は日本の外にソ連、韓国、台湾があると言われるが、漁獲量から見ると日本独自の魚と言え、輸入に頼らない日本の資源としてのサンマはもっと見直されて良い。

*サンマの漁
   〜サンマの見る海はカラフル〜


 サンマがどうして回遊するかも謎である。産卵場所を求めて回遊するとの説や餌を追いながら移動するのだとの説がある。必ず決まった季節に決まった海域に現れる事から変温動物ゆえに身体に合った水温を求めて回遊するのだとの説もある。しかし広い海に同じ温度の海域は外にもあるのに1年性のサンマが親と同じ場所に現れるのも不思議である。
 生まれた場所の水の匂いを嗅ぎ分けているとの説と太陽の位置から自分の位置を割り出しながら回遊しているのだとの説がある。
 真相はともかくサンマが光に敏感なのは確かである。2隻の船で魚群を取り巻く巻網漁が流し刺網漁に変り、さらに現在の集魚灯による棒受網漁に変ったのもサンマの光に集る性質を利用したものである。
 満月の夜のトビ魚の産卵の話とは別に闇夜にはサンマも回遊しないと言う。気仙沼の漁師によると満月の晩にはサンマが黄金色の大海原一面に散って、耿々(こうこう)と輝く月を楽しむが如くきらめく波間に遊ぶので漁にならないと言う。
 深海魚は別にして多くの魚は色に敏感である。各種の実験からも色盲でないことは裏付けられている。常識からしてもカレイの様に保護色を持つ魚が色盲である筈はないが、海に潜った経験のある者にとってはあの美しい珊瑚礁の魚達が人間より色に敏感でないはずは無いと確信できる。
 深夜に海に潜るとたくさんの魚が眠っている。気の毒であるが時々触ったり懐中電灯を当てたりして安眠を妨害するとキョトンとしている。
 いつもフルスピードで泳いでいないとエラ呼吸が出来ないマグロやカツオのような回遊魚は泳ぎながら眠るそうである。
 例外的に色彩の豊かでない海を泳ぐカツオなどは色彩に鈍感と言うがサンマの見る海は一体どんな色でどうやって眠っているのだろう。

*食品としてのサンマ
   〜サンマを食べると頭がよくなる〜


 昔から秋に食卓にサンマが上るようになり夏バテや肩凝り腰痛が直る事を「サンマが出るとアンマが引っ込む」と言うそうである。
 ロンドン動物園付属比較医学研究所のクロフォード教授の「日本の子供が欧米の子供より知能が高いのは魚を食べてきた食習慣による」と言う発表は世界中を沸かせた、当時流行の日本人おだて上げの一種としても「文明が陸と水の接点で発展したのは、人類が魚介類を食べるようになった為」との説は一部の真実も含まれているような気がする。
 脳の障害を防ぎ頭を良くすると言われる必須脂肪酸のDHA(ドコサヘキサエン酸)や心臓病や動脈硬化を防ぐと言われるEPA(エイコペンタエン酸)の含有量でもサンマは優等生である。
 これらの物質は体の中では合成出来ないと言われ、戦後の食事内容の変化と共に増加した各種成人病への有力な対抗策として注目されている。
 さらにサンマには若返りのビタミンと言われ目の劣化を防ぐビタミンE、風邪に抵抗力をつけるビタミンA、貧血を防ぐビタミンB12なども豊富と言われている。これにビタミンCのレモンとジアスターゼの大根おろしを添えたらさらに旨いとなると、こんな食物を寒い冬に向かう時期に丁度に用意してくれた天の配剤に感謝しないではいられない。
 子供の頃に母がサンマの骨を焼くか、から揚げにしてくれた。カルシウム云々はともかくあのカリカリした歯ざわりは忘れられない。

*サンマのグルメ
   〜サンマの料理は無限〜


 塩焼が主流のサンマ料理であるが9〜10月の脂ののった頃の刺身も格別である。加工方法も切る、開く、つぶす、干す、凍らせると何でもあり、料理方法も焼く、煮る、揚げる、生でなど全ての料理法に耐えられる。
 サンマのかば焼きは旨そうであるがウナギの刺身はゾッとする。カツオのフライなどもまずそうである。
味醂(みりん)をつけたサンマの開きはビールにも合うがナマコやアナゴの丸干しなど考えるのも嫌だ。
 サンマは「水」をベースにした日本料理だけでなく、「油」をベースにした中国料理、「乳」(バター・チーズ)をベースにしたフランス料理のいずれにも合う不思議な魚である。
 美味しいサンマの見分け方としては、先ず身の太い物が脂の乗りが良い。下アゴがオリーブ色の物が雌で、オレンジ色の物が雄で雌の方が美味しいと言う説もあるが俗説らしい。さんまの雌雄を外見から決めるのは専門家でも無理と言う。但し下アゴ(吻)が黄色で尾の付け根が黄色く膨らんでいる物ほど脂の乗りが良いのは確かである。
 水温11℃以下から捕ったサンマは焼くと燃え出すと言われ、水温18℃以上のなると脂が落ち出すと言う。水温17℃はサンマにとってお肌の曲り角でこの水温以上だと肌を虫に食われ日本刀のような銀色の肌に染みができる。輝くような肌のサンマを探すのも大切と現場の漁師さんから忠告された。
 日本人のために生れて来た様なサンマが世界の料理のどれにも合うと言うのも不思議である。

*おわりに

 身近にありながら気がつかない事は我々の周囲に幾らでもある。強い恩恵を受けながら我々が空気や水に普段感謝しないのに似ている。
 これだけ我々の身近にあり恩恵をこうむりながら我々はサンマについて何も知っていない。
 空気に値段が無いように人にとって大切で大量に必要な物ほど無視される。サンマも高級魚だったら養殖の関係だけからも研究されていたと思われる。サンマは他の青魚下魚の代表で5〜10年は生きるイワシ、サバと丁度「じゃんけん」のグー・チョキ・パーの関係のように互いに牽制し合い増えたり減ったりしているとの論もある。しかしサバが減り、ニシンが幻の魚になり、イワシも減少を続けている現在、サンマの重要性はもっと注目されて良い。
 ニシンが来なくなったのはなぜなのか誰も正確には答えてくれない。人が捕りすぎたのか、海に何かの異変が起こっているのか、地球の気温が変わっているのか、他の魚との競争に負けたのか?
 このロマンと不思議に満ちたサンマまでもが幻の魚になる日が来ない事を祈りたい。
                    
全国中央市場水産卸協会『全水卸』2002. 9 より)

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