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まんま写真館

Part 8. くびきのコッペル

 

「くびきのコッペル」というと、ついつい乗工社のモデルを思い浮かべてしまったりするのですが・・・;;

2002年9月23日。百間町に保存されている頸城鉄道2号機関車が初めて公開されました。

頸城鉄道とは、新潟県上越地方、新黒井と浦川原の間15Kmを結んでいた軽便鉄道です。大正3年に開業し、昭和46年まで走っていました。軌間762mm、当初は蒸気、晩年はディーゼル化されていました。

2号機関車は、廃止時まで残っていた唯一の蒸気機関車で、1911年コッペル製9tC型タンク機です。同鉄道廃止後の昭和47年から52年にかけて、西武鉄道山口線で「謙信号」の愛称で活躍していたのを覚えている方も多いでしょう。

西武からの返却後は直江津に有る頸城自動車本社前に展示保存され、その後、丁寧な保存をということで百間町の旧機関庫内に保管され現在に至ります。百間町に来てからは一般公開は今回が初めてとなります。

シャッターが開けられ、コッペルが久しぶりに顔を覗かせました。
会場内ではパネル展示やビデオ上映、写真集やビデオテープの販売が行われていました。

会場には途切れることなく多くの人が訪れていました。(写真撮りたいほうには、只でも狭いところなのでどうしようもありませんでした)

現役時代に機関士をしておられた方も会場にいて、貴重なお話を伺うことが出来ました。

左上:2号機関車 ナンバー

上 :製造銘板 コッペル

左 :左側面には長野工場の銘板も。山口線での使用に先立ち整備した際のものと思われます。

今回の公開は頸城村の「大池まつり」に合わせ、頸城村商工会「まちづくりプラン策定委員会」主催により行われました。

かつては軽便鉄道の駅もあり、村の中心であった百間町に、かつてのような活気ある町に復活させようという主旨の委員会で、コッペルもその一つの「道具」として今回の公開となったようです。

今後については具体的な話は一切決まっていないようですが、会場で話す機会のあった「新潟日報」の記者さんによれば「可能ならば復活させたい」という思いもあるそうです。(そういう情報を得る替わりに、蒸気機関車の仕組みや、各地の動態保存の様子、これ以外のコッペルの情報などいろいろ聞かれてしまいました;; インタビューではありませんが)

頸城鉄道の遺構を求めて(お手軽版)

百間町の機関庫を利用した倉庫です。

コッペルは現在この建物の中(写真奥側)で保管されています。

旧本社の建物です。

機関庫のすぐ隣です。

ここは現在ではバス回転所になっています。

旧本社脇にある「頸城鉄道線発祥之地」の碑
鵜ノ木付近に残る軌道跡
浦川原駅駅舎。

現在は東頸バス本社として利用されています。

駅舎裏側(ホーム側)です。

すぐ上はほくほく線です。ほくほく線のうらがわら駅はこの後方になります。

頸城鉄道の保存車

2号機関車のほかの車輛については、客車および貨車の数両が複数の個人の手により保存されているようです(その性格上詳細不明)。除雪車ラキ1は羅須地人鉄道協会の手により保存されており、現在は成田ゆめ牧場で見ることが出来ます。(参照:まんま写真館2.4.)

 

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