随筆:「脳の記憶機構」

by ご近所のきよきよ


 
 4月7日が近づくと、なんかやらねばと思うのですが、今朝もうつらうつらしながら、脳の記憶の機構について考えていました。
 そもそも歩胆は古い日誌を書庫で発見したことでした。もう思い出さなくなって久しいのですが、2回ぐらい読むほどに、「そうそうこんなこと書いたっけ」とありありと当時の事が蘇ってきました。記憶は消えてなかった、読み出せなくなっていただけ。
 サバンシンドロームってあるじゃないですか。目にした物を全て事細かに速やかに覚えていって忘れない。人間の脳の基盤がむき出した状態がサバンシンドロームなのではないかと日誌を見ながら思いました。
 日誌を読むなどして、感覚刺激があると思い出す機構がある一方で、心に思い出そうと念じる事によって思い出す機構があり、それらは別々ということですよね。この頃は名前が思い出せない事が多々ありますから、自信持ってそういえます。前者を基盤記憶と呼んで、後者を作業記憶と呼んでみましょう。
 感覚入力があれば、意志とは関係無しに基盤記憶は呼び出されますから、神経のネットワークの中に埋め込まれて、自動的に連想が働いて呼び出されるものということになります。そんなのを単純に考えれば、大脳表面のネットワークの中の適当なところに広く分布している機構にすればいいというものです。ある神経パターンがここの領域を刺激すると活動するというそんなものでいい。
 一方の思考などの意志を経ないと思い出せない情報は、特別な領域に保管されている。それは、基盤記憶の要素へのポインタの集まりになっている。そして、この世界では記憶を意志によって操作できる。自動機械では無いのですね。大脳前頭葉にはワーキングメモリというものがあるそうですから、そこが意志によって扱える記憶の領野かなと思ったりします。
 ワーキングメモリ内の記憶の特色として、時間空間の枠組みが明確にあるということですね。基盤記憶には時間とか、空間感覚はないですから。結婚式は何時の事だったと思い出すとき、4月だったという記憶に基づいて春だったと思い出します。リアルな時間感覚は無い。空間感覚もない。
 自然言語処理もこの認識の下、設計していこうと思って、布団から出てきました。春です。4月7日はもうじきです。
 

今回は、考察「意味理解に一手法」をまとめました。


それと、考察「意味理解に向けて」に記事を追加しています。


 
 
 

おわり