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―― 禁煙友愛行進曲 ――

 私が禁煙を始めてすでに2年の月日が経とうとしている。生来、意志の弱い私がよくぞここまで禁煙を続けてこられたものだと、自分のことながら感心してしまう。 これを『少年ジャンプ』風に書くと、「禁煙を続けて730日。結構意志の強い仮面マスク先生に励ましのお便りを!」といった感じだろうか。

 ここまで来るともはや禁煙というよりは『断煙』である。煙草は私の生活の中から、文字通り煙のように消えてしまったのだ(たまに夢の中で煙草を吸っている夢を見て「しまった!」と思うことはある)。

 そんな折、先だって久しぶりに部屋の整理をしていた時のことである。机の下に収納されていた3段重ねの引出しをがさごそと整理していると、

  日本禁煙友愛会

 という筆文字が印刷された、なんとも怪しいノートが発見された。「友愛」という文字上にとまる鳩の印章が不気味な表紙である。

 私の記憶力が確かならば、このノートは中学生時分に「煙草を吸っちゃいかん!」という戒めを込めて、各クラスに配布されたものだろうと記憶している。道徳的なのか、非常識なのかよくわからん話だ。

 ノートを開いてみると中身は使われた形跡がまったく見られない、なんともきれいなものであった。恐らく当時の私は、 「こんな日本禁煙友愛会なんて書かれたノート、恥ずかしくて使えねぇよ!」と憤慨して、ノートを引出しの奥へと叩き入れたのだろう。 各ページに引かれた行をわける灰色の線が、停止した心電図のようで物悲しい限りである。

 そんな日本禁煙友愛会のノートであるが、表紙の裏に『禁煙友愛行進曲』という題名からして面白い詩が印刷されていた。 この詩に関してあれやこれやと語りたいのだが、百聞は一見にしかずというので、まずはアイーン体操のような出だしで始まるその歌詞をご覧いただきたい。

禁煙友愛行進曲

作詩 内与詩守

1.あの日たばこを やめたから
  今日も元気だ さわやかだ
  吸いたい気持 たえぬいた
  心をつなぎ 肩をくみ
  そうだ 世の為人の為
  われら われら 禁煙友愛会

2.ひとつしかない この命
  何で粗末に できようか
  たばこはだれも やめられる
  励まし合って がんばれば
  そうだ 明るい明日がある
  われら われら 禁煙友愛会

3.たばこ さよなら さようなら
  二度と吸わない この決意
  一人の夢は 小さくとも
  集めて愛と友情に
  そうだ地球をつつむまで
  われら われら 禁煙友愛会

 いかがだろうか。私としては3番の詩の枯渇した感じ がたまらなく好きである(「さよなら さようなら」ってオフコースじゃあるまいし)。

 大体がこういう道徳的な詩というのは話が大きくなるもので、この詩も例外なく同じ轍を踏んでいる。

「よし! 明日から煙草は吸わないぞ」

 というオッサン達の決意が地球を包み込むことにより、どんないい事が起きるのか は皆目見当もつかないが、地球のことを思うなら煙草の煙より光化学スモッグをなんとかした方がいいのではないか、と思うのは私だけだろうか。

 「禁煙・友情・愛情」と少年ジャンプまがいのようなテーマを扱ったこの詩にケチをつけるつもりはないのだが(面白いから)、 禁煙に友情と愛情を結びつけるのはちょっと無理があるのではないかと思う。とどのつまり禁煙というのは自分の為にするものである。 集団で禁煙を行うことにより仲間意識は芽生えるだろうが、他人の為だとか、友情、愛なんかを盾にしても、煙草の誘惑を防ぐのはどだい無理な話なのだ。

 そもそも「他人に迷惑だから禁煙しろ!」と叫んでいるような人達は、自分にとって迷惑だから という人達ばかりじゃないんだろうか。

 私が『禁煙』できた理由、それは煙草が自分の体に悪い と本気で考え、自分の為だけを考えたからこそ出来たことなのである。

 嫌煙家のようにね。

―2002年7月2日―

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