この時期になると季節柄、古今東西の怖い話を寄せ集めて涼を求めたりするわけである。
私も怪談話というやつはわりに好きな方で、『夏』という単語を聞くと“海”や“花火”といったものより“怪談”が真っ先に
思い浮かぶ。TVや雑誌などで怪談特集が組まれていれば必ず目を通すし、この前なんかケーブルTVでやっていた「稲川淳二特集」
6時間分を余すところなくビデオに録画してツメを折ったくらいである。
怖い話が苦手な友人からは「そんな気持ちの悪い話を好んで聴く奴の気が知れねぇ!」なんて言われるが、怪談はあくまで娯楽。
雑誌にちょこんと載っている占いみたいなもので、話半分で楽しむのがいいのである。そんなことを言うなら、オシッコの混ざったプールで
大勢の人が楽しんでいるという事実の方がよっぽど怖いではないか。
しかし、そんな私でも苦手な類の話というものがある。これはもう何と言ってもジンクスを扱ったものである。これは質が悪い。
どのように悪いのかというと、自分がその怖いジンクスを本やテレビで知る分にはなんてことないのだが、普段の生活の中で、
「ねぇ、ねぇ、知ってる? お風呂に入っている時にね、目をつぶって瞼の裏に白いものがボヤーって見えたら天井に幽霊がいるんだって」
なんて知り合いの口から言われると、気構えがないだけに「本当かよ!」と間に受けてしまうのである。
しかもジンクスというやつは生活に密着しているものが多いので、無言の間違い電話をとって「そういえば無言電話は死者からの電話だって
あいつが言ってたなぁ」とか、床に就く前に「そういえば寝る前に部屋の4隅を見ると怖い夢を見るって聞いたなぁ」なんて
ちょくちょく思い出して、いい気持ちがしない。
不幸の手紙や「あなたの家にもやってくる」系の話もそうだが、現実とリンクの近い話というのはやたらに感染率が高くて困りものである。
これは親切心や価値観にも言えることだが、押し付けるという行為は相手にとって非常に迷惑な話である。故に私はこういう系統の話があまり好きではない。
押し付けていいのは物語の余韻と満員電車での女性の胸だけである。
小学6年生の時だっただろうか。クラスの女子に、
「“紫のハンカチ”を想像してみて。……浮かんだ? はい、それを16歳まで憶えているとアナタは不幸になりまーす!」
と一方的に言われて腹が立ったのを未だに憶えている。
「よーしゼッテェだな? わかった。じゃあ、それをずーっと憶えて、オレが嘘だってこと証明してやるよ」
啖呵を切った私は、以来紫のハンカチを定期的に思い出しながら年を重ねたわけだが、16という年齢を大きく越えた今現在も
私の周りにはこれといった不幸な出来事は起きていない。
当たり前の話だが、そんなジンクスは嘘だったわけである(たぶん)。
怖い話というのは好き好きであるが、他人の迷惑にならない程度に楽しみたいものである。
これは余談だが、「お前みたいな親不孝を子供に持って本当に不幸だ……」と母親にしみじみ言われ、紫のハンカチの話を知らないはずの母親がなぜ?
――と首をひねってしまったということがあった。
一昨日あった本当の話である。
―2002年8月6日―