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―― 飲尿療法 ――

 本やネットや人づてに見聞きするにつけ「やろうかなぁ〜…」と私の心を惑わすのが飲尿療法である。

 科学的にはなんら証明されていないとはいえ、その効果は各方面から絶大な反響を呼んでいる。

「体が軽くなった!」
「鬱気味だった精神状態が治った!」
「お肌がつるつるになった!」

 なんて体験談を目にすると紙コップを片手に気持ちはトイレなのだが、

臭くて飲みにくい

 という一文を目にしてしまうと「うーむ……」と足がすくむ。

 科学的にその効果は証明されていない――とはいえ、飲尿療法の効果を説いている医学博士は存在する。その博士が言うには、

「人間の尿には身体のすべての情報が記憶されており、鼻と喉の間にあるセンサーが尿の情報をキャッチして自然治癒力に働きかける」

 とのことだか、私としては飲尿の習慣がない人類の鼻と喉の間になぜそのようなセンサーがついているのか不思議でならない。

 ソムリエはワインの色艶、香り、味わい、から製造年月日と育った土地を言い当てるというが、それとこれとは話が別である。

 とにかく私は飲尿療法について悩んでいる。



 どこで聞いたかは忘れたが、自分がこれからやろうとすることに迷いを感じたのなら、そのことに関するメリットとデメリット を紙に列挙して見比べてみると良い――というのを今思い出したので、以下にそれらを書き出し、これからの身の振り方を考えてみようと思う。



飲尿療法を実行することについて

<メリット>
 ・体が健康になるかもしれない。
 ・精神が健全になるかもしれない。
 ・飲み物には困らない

<デメリット>
 ・自分との壮絶な戦いが待っている
 ・人間としての尊厳の喪失
 ・家族から敬遠される
 ・友達からバカにされる
 ・効果があるとは限らない
 ・腎臓がアイデンティティに悩む



 うむ、やはりデメリットが多い。

 しかも、メリットとして挙げたものは「――かもしれない」という可能性ばかりである。いくら人づてにその有効性を聞こうとも、 それがそのまま自分に当てはまるとは限らないわけで、それがデメリットの「効果があるとは限らない」にも繋がっているのである。

 もしも飲尿療法の効果がなかった場合、そこにはただ飲尿というむなしい事実が残るだけであり、それじゃあまりにも無様だ。

 そもそも自分のオシッコを飲んだのなら、ひらきなおって、そりゃ元気になれるだろう――という気がしないでもない。



 日々トイレで用を足すたびに「飲尿しようかなぁ……」と悩んでいる限り、まだまだこの先も健康に生きていけそうではあるけども。

―2002年8月23日―

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