先だって運転免許証の更新を知らせる葉書きが我家に届いたのだが、一生いらないと思っていた車の運転免許証を取得してから2年の月日が流れたということになる。
初めのうちは制限速度の下辺りをビクビクしながら走っていたものだが、初心者マークのはずれるころには、駅前の渋滞だろうが、
高速の合流だろうが、臆することなく堂々と運転できるまでになった。今やシートベルトをはずして走ることもできるようになり、
人は成長する生き物だということをつくづく感じさせてくれる。
運転に余裕が出てくるに伴い運転する私の視野もどんどんと広がってくるわけだが、そこから見える風景というのはなかなか面白い。
特に信号待ちで隣に並んだ車や、交差点ですれ違う車の中を覗いてみるとそこには様々な人間模様が垣間見えて一興である。
2、3日分の買い物袋を後部座席につめ込んだ大仏頭のおばちゃんや、座席を倒してふんぞり返りながら片手でハンドルを切るお兄ちゃん、
携帯を片手に運転するサラリーマンや鼻くそをほじりながら器用に交差点を曲がっていく電気屋のおっさん、とそこは正に人間交差点
なのである。
そんな趣味の悪いことをしているうちに“信号待ち”という行為ひとつにも人間性というものが滲み出てくるもんだなぁ、ということに気づかされた。
普段から落ち着きのないであろう人はハンドルを持つ指で「トントントン……」とハンドルを叩いてみたり、
携帯の着信をチェックしたり、オーディオのパネルをいじったり、とにかく忙しない。仕事熱心だろうという人はハンドルに両手を
乗せて凛と信号を見据えているし、自信のなさそうな人は信号待ちもなんだか自信がなさそうに俯き加減で信号を上目で
ちらちらと見ている。そして「こいつ、もしかして免許もってないんじゃないのか?」という人間は、横断歩道の前で暇そうにつっ立っている。
そういった交々な信号待ちの中でも笑いを誘うのが“ナルシストであろう人の信号待ち”である。
彼らはドアの窓枠にひじをかけ、その手先を口元に持ってくると、そのまま斜に構えて信号を待ちつづけるという傾向がある。
図-1 ナルシストであろう人の信号待ち
その姿はさながら売れない館ひろしである。
この売れない館ひろしに、こちらで適当に作った台詞を心の声としてあてがうと、カレーにガラムマサラをまぶしたように、さらに面白くなる。
「くそ! おれがあの時あいつが犯人だと気づいていたら……。頼む、無事でいてくれ三智子!!」
とか、
「なんてこった……。オレの親父が、親父がまさかコイサンマン だったなんて! 親父のバッキャロー!」
なんて勝手にくっつけていると、いつの間にか信号は青に変わっているという寸法である。これは信号待ちの合間のいい暇つぶしになるので、機会があったら皆さんも注意深く他人の車を観察してみてはどうかと思う。
そしてその信号待ちウォッチングで、もしも周りをキョロキョロと見渡しながら笑っている人間がいたのなら、そいつはネット上でサイトを開いている可能性“大”である。
―2002年9月11日―