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―― プールでバック転 ――

 愛はお金で買えないが、プレゼントや時間を共有することによって一応それを形にすることはできる。

 それと同様に経験というモノもお金では買えないが、それを肥やしに商いという形にすることができる。

 経験は財産である。それは直接お金に結びつくだけではなくて、その人の性格の一端を担ったり、危険から身を守る材料のひとつだったり、 友達や恋人をつくる手立てだったりする。もし「大切な物をいくつか挙げなさい」と言われたら、私が挙げる大切な物のひとつは 間違いなく“経験”である。決してエロ本ではない。

 私も24年という月日を生きて、自分なりの経験を積んできた。これからを生きていくにおいて必要な経験だった と思えるモノもあれば、自らの首を絞めかねないモノもある。調子にノッて玉ねぎをスライスしていると指を切るということから、 道っ端には犬のウンコが落ちているということまで色々である。

 そんな色々を踏まえて今の自分があるわけだ。



 これは小学5年生の時の体験なのだが、私は過去に「学校のプールでバック転をした」という珍重な経験を積んだことがある。当時の私はとにかく“バック転魔”で、 ある時は体育館、またある時は校庭の砂場で……といたる所でバック転ばかりしており、そんな生活の中でごく自然に流れ着いたのが「学校のプールでバック転」だった。

 実行したプールは身長160cmくらいの児童が膝までしか浸かれない浅いプールである。そこで決行に至った経緯は先にも書いた通りなのだが、 加えて書くと、これはプールという開放的な空間と「水の中ならばマットの上と同じく安全だ」という考えも相まってのことだったと思う。

 しかし、水には空気よりもでかい抵抗があるということにアホな私は気がつかなかった。

 ――水泳の授業の時間。

 先生の隙を見て位置についた私は、バック転しようと前屈した体を勢いよく空中へ飛ばした……まではよかったが、水の抵抗に足をおもいっきり引っ張られ、哀れ、回転しきれ ないまま頭からプールに着水したのであった。後に友達から聞いた話だが、水しぶきをあげて落下するその姿は大海原を跳ねるクジラのようだったという。

 さらに誤算だったのが水はマットの代わりにはなりえなかったということである。頭から落下した私は、これでもかとプールの底に 頭を打ち付けたのだが、目から火花が出る体験をしたのはあれが初めてだった。頭を打ち付けたついでに『フラックス・キャパシター』 でも閃けば時間旅行も楽しめ、一躍時の人だったのだが、そこは過去の人にならなかっただけ良しとしたい。

 ジンジンと痛む頭を抱えてうずくまった私は、この水よりも浅はかな自分を呪いながら「もう、プールでは二度とバック転はしねぇ!」 と固く心に誓ったのだった。



 この体験は私にとって本当に大切な思い出である。

 それはプールでバック転をしてはいけないという教訓も然ることながら、シルビア通信で『エッセイ』や『小ネタ』を生産する 礎を築いたのは、この経験がきっかけに他ならないからだ。

―2002年9月21日―

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