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―― あなたにとっての1番 ――

 問:あなたにとって1番○○○○はなんですか?

 こういった質問を投げかけられると私はいつも閉口してしまう。○の中身は「好きな食べ物」、「好きな映画」、「好きなMr.オクレの立ち姿」、 と何に取って代わろうとも構いはしないのだが、「1番……」と限定される質問をされると――駄洒落ではないが――いちばん困る。 TVの番組で「あなたにとって1番大切なものはなんですか?」の街角インタビューに、

「そうですねぇ……やっぱ家族かな」
「恋人ですね」
「ムッチャン! えっと……家で飼っているペットなんです。超ー、癒されんの!」

 なんてテキパキ答えている様を見るにつけ「大したもんだなぁ……」と感心する。私としては多くの人が“自分にとっての1番”を持って 日々の生活を送っていることに畏敬の念を抱かざるを得ないのである。

 というのも私自身には「これが1番!」、というものが全くないからである。これは嘘でもハッタリでもなく、掛け値なしに全くない。例えば、

 問:あなたの1番好きな食べ物はなんですか?

 という質問をされたって、

「えー……、郵便局でバイトしてた時に食べた食堂の味噌ラーメンは美味かったけど、家の近くにあるやきとり屋のおばちゃんが出す 茄子の漬物も美味いし、国道沿いにある食堂のおじさんが余りもので作る煮込みうどんも好きだし、山の中にある蕎麦屋の前にある自動販売機の 天ぷら蕎麦も意外とイケルしなぁ……うーーーーーーーーーーーーーん……」

 と、そのまま生ける『考える人』と化してしまうのだ。

 これは「好きな映画」や「好きなMr.オクレの立ち姿」においても同じことである。人はこれを称して優柔不断と言うのだろう。

 「しかし」、「でもさ」……である。

 好きな映画ひとつとっても、そこには無数の“ジャンル”が存在しているわけである。『ラブロマンス』と『コメディー』では 供給される質が全く異なるし、音楽にしたって落ち込んでいる時とはしゃぎたい時では聴きたいと欲する曲は違う。 うどんの気分の時もあれば、蕎麦の気分の時もある。恋人と過ごす時間を大切にしたい時もあれば、家族と炬燵を囲みたい時だってある。 黒チョコボの力強さが見たい時もあれば、加藤鷹のフィンガーテクニックに恍惚としたい時だってあるのだ(あるよね?)。

 そういったものを一纏めにされて「あなたにとって1番……」と訊かれたって、そりゃ困る。

 これをご覧になっている皆さんは「細かいことをちまちまとこの男は……」と思われているかもしれないが、事のついでに ちまちま書かせて頂くと、私がエッセイを書きながら必ず聴く曲はBilly Joelで、心がささくれ立った時に見る映画は『耳をすませば』 である。3ヶ月毎に食べて「やっぱ、うまいなぁ……」と舌鼓を打ちたい即席麺は『チキンラーメン』で、半月に一度は 食べたいのが山の中にある蕎麦屋の前に置かれた自動販売機の蕎麦で、小口切りで面白いのはネギとニラを切っている時で、 洗濯物をちまちまちまちまちまちまちまちまちまちまちま……。


 閑話休題。


 女性の方がよく言う、

「いいじゃーん友達の約束なんて。今、会いたいんだもん。何で? そんなに友達がいいの? 友達といる時がいちばん楽しいの?  ゆう子は裕太にとって1番じゃないの? ふーん……もう頼みません。じゃあね!」

 というのも比べようがなくて困るもののひとつである。

 友達と彼女では「好き」の意味が異なるし、親とでは「愛情」の“ジャンル”自体が違う。どれもが自分の生活においての重要な ファクターで、その中のどれかひとつでも欠けたら世界が崩れ落ちるわけである。それらを踏まえると「私が1番か?」と訊かれても、「あんたが1番!」 なんて言葉に詰まることなく簡単に言えるはずもない。

「女心のわからない男ねー。そうやって自分に対する愛情を彼氏の対応によって確かめているんじゃない」

 なんて反論を受けそうだが、人の心をテストしなきゃ満足できないような女心ならば、わからなくていいやという気がしないでもない。

―2002年10月19日―

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