先程の通信で私の行きつけにしているスーパーの話をしたのだが、今回のエッセイはそのスーパーの話である。ちなみに下に書かれた文章は遠藤周作が書き残した辞世の詩ではなく、先に書いた通信からの抜粋である。
私の行きつけのスーパーに、
「お客様の意見を生かします!」
と書かれた投書箱が設置されていた。
私は早速アンケート用紙に、
「全店員ビキニパンツ着用!」
と一筆書いて投函した。
どのように生かされるか楽しみである。
私が「行きつけの――」と書くほど足しげくスーパーに通うようになったのは、自分で料理を作るようになったここ最近である。幼い頃は近くのスーパーで『ロボコン』の玩具を万引きして母親と泣きながら謝罪しに赴いたという心温まるエピソードを持つ私だが、そんな私も今ではれっきとした常連客なのだから、世の中、本当に金がすべてだと思う。
幼い頃に母親と連れ立って来ていた子供の目線(万引き犯の目線)とは違い、買い物客として見るスーパーというのはまた違った趣があってなかなか面白い。コの字型に作られた外縁には日ごとに必要な野菜、魚、肉、といった生鮮食料品を配して一定の客の流れを作っているし、パンが売られている近くには牛乳が目の届くところにちゃんと置いてある。そしてレジの中にはレジの打てるおばちゃんがきちんと鎮座しているのだから、本当にうまくできている(これがもし“ヒトコブラクダ”だったら、我々は途方に暮れるしかない)。
ただひとつ私の不満なのが――私の通うスーパーに限ってかもしれないが――、ほうれん草の売り場にあるロール式のビニール袋である。濡れたほうれん草を入れられるようにとのお店側の配慮は嬉しいのだが、ほうれん草がビニール袋よりも明らかに大きいというのは、なんともいただけない話である。そこのところはきちんと考慮して欲しいと思う。
そんなスーパーマーケットライフを送る最中、先日足を運んだスーパーで、私は愛すべき店員に遭遇することができた。
その店員とは50代くらいのレジ打ちのおばちゃんなのだが、そのレジ打ちの妙技たるや、なかなか筆舌に尽くしがたいものがある――ってこれから書き綴るけど――。どうやらそのレジ打ちのおばちゃんは老眼らしく、バーコードで商品を「ピッ」と文字盤に表示させるたびに目を細めて「えー……、春キャベツ149円が一点、『ピッ』、えー……、高原牛乳138円が一点、『ピッ』、えー……」といちいち顔を前後させて確認するのだが、それが故、レジ打ちがとても遅い。本人もそれを承知で、あたう限りに急ぐのだがいかんせん遅い。
そして、辺りに“お客を待たせている”という空気が漂い始めるころ、そのおばちゃんは間をもたせるためにレジ打ちの台詞を切り替えるのである。
「えー……、はい、ありがとうございます。きゅうり199円が一点。『ピッ』、ありがとうございます。塩ます580円が2点。『ピッ』、ありがとうございます。えー……」
と、台詞の中に「ありがとうございます」を散りばめだすのだ。
私は後にも先にも買い物をしただけでこれだけ感謝されたことはない。もしかしたら会計を済ませたあとにレシートと一緒に表彰状を手渡されるのではないかと、いらぬ心配をしたくらいである。
この「ありがとうございます」で間をもたせようという作戦。私的にはなかなか面白くて好感が持てるのだが、「ありがとうございます」を挟むことにより、より会計が遅くなっているという弱点から目をそむけてはならない。そして、その事実がこのおばちゃんのレジ打ちをより可笑しくしているのである。
しかし、私はこの「ありがとうございます」と言いながらせっせとレジ打ちをするおばちゃんが大好きで、それを聞きたいが為に、ついつい余計なものまで買ってしまおうかと思惑するほどである。
今までは手持ち無沙汰に会計をしていた私だが、これからはこのおばちゃんのレジ打ちで会計も楽しみになり、嬉しい事この上ない。
おばちゃん、ありがとうございます。
―2003年2月10日―