名は体をあらわすとはよく言ったもんだが、実の方はともかくも、私は昔から「名字はかっこいいに越したことはない!」という信念を右のポッケに入れて生きてきた。今でも初対面の相手と挨拶を交わす時は大概、「あ、この名字はいいなぁ」とか「この名字だったら自分の方が上だな」などといらぬ算段を腹の中で巡らしながら日々を生きているのである。
かっこいい名字の定義というのはこれといって特になく、これは完全な恣意による音感や字面によっての選定である。以下に私の琴線に触れた名字をずずずいーっと並べてみよう。
城之内 桜井 高杉 金城 吉永
二階堂 神宮司 城ヶ崎 月原 汐見
まずこれらの名前がクラスや職場でダブるということはないだろう。ビックリマンシールで言うところの『天使』か『ヘッド』に相当する名字である。ちょっと話は逸れるが、小林、山本、田中、といった名字の持ち主は同じ名字を持つ者と一緒になることが多く、その場合、一方は名字で、一方は下の名前で、と分けられて呼ばれる傾向がある。そういった場面を目撃すると、下の名前で呼ばれるのはなんだかクラスの連中からなめられているみたいで嫌だなぁ……と他人事ながら幼心に思ったものである。そういった経験のある方、シルビア通信宛てにどしどしメールをください。
私は特に自分の名字にコンプレックスがある訳ではないが――「亀田のあられお煎餅♪」、「おい、ブリジストン(石橋)!」、「こいつ高倉のくせに器用だぜ!」などと揶揄された過去はない――やはり特徴のあるかっこいい名字の方がよかったよなぁ、としみじみ思う。これは自分の彼女に対して「これといって文句はないんだけど、胸はないよりあるに越したことはないよなぁ」と考えるのと同じ感覚である。
このように名字というものに執着して生きていると、かっこいい名前の法則みたいなものが――わかる必要はなくても――わかってくる。まず“田”と“畑”が入っていてかっこいい名字ということはあり得ないようである。田や畑というのはその一文字で田舎の田園風景を連想させるので、かっこいいというよりもっとこう牧歌的というか木訥とした感じがある。かっこいい名字には人工的なもの(城とか堂)、もしくは視覚的に美しいもの(月とか桜)が含まれているケースが多いのである。
以下に具体的な例として私の考えたかっこいい名字を挙げていこう。
・ダイヤモンド幸子
・ルビーかずこ
・スペースシャトル隆志
・エッフェル塔鉄男
・海王星梅子
・南野陽子裕子
・なべおさみ
わかりやすくする為に名字の後に適当な名前をつけてみたがどうだろう。先に挙げたかっこいい名前の法則と照らし合わせて見ていただきたい。尚、『南野陽子裕子』は“南野陽子”までが名字であり、“裕子”が名前である。女漫才師の名前ではないのでどうぞお間違えなく。
上に挙げた名字を役所で変更することのできる世の中というのは想像するには面白いけれど、実際はムチャムチャになるだろうから、まぁできなくても仕方がないかとも思う。でも、やはり一度は名字を自分の好きなように変えてみたいものである(どこかかっこいい名字のところに婿養子にでも行こうかしらん)。
しかし、下の名前に関していえば近頃は、『薔薇(ローズ)』、『空(スカイ)』、『地球(アース)』などという冗談みたいな名前が本当にあるようで、こちらは現実の話なだけに私のエッセイなんかよりぶっ飛んでいる。
事実は私の書くエッセイなんかよりずっと奇抜だ。
―2003年4月14日―