「よく噛んで食べなさい」
幼い頃からそう口すっぱく言われ育てられたため、私は他人に比べてかなり食べるのが遅い。大体、友人と昼飯やら晩飯やらを食べていて私が先に食べ終わったという記憶はなく、友人の煙草の煙に咳き込みながら白米をかき込んだという苦い思い出しかない。つい先日、「いったい自分はどのくらいの時間をかけて朝食を食べているのだろうか?」との疑念に駆られて時間を計ってみたところ、平均して50分という時間を朝食に費やしていることがわかった。忙しない朝には朝食をとらない学生や駅の立ち食い蕎麦屋で手早く済ませる一般的サラリーマン、『ウィダーインゼリー』で高速Chargeする木村拓哉に比べてその遅さは了然である。
このことを昔からよく自覚しているため、家の外で食事をする時の私はいたって寡黙である。話している暇があったら牛丼をかき込む! 相手の話に相槌をうっている余裕があったら目の前にあるみそ汁を一気に流し込む! ――と心の中で自分に言い聞かせながら、黙々とモグモグしている。
昔、そのことを一緒に食事をしていた女の子から指摘され、
「まずい。このままじゃ、つまらない男だと思われてしまう。早いとこ片付けてお喋りに集中しよう」
と急いだら「ブホッ、コホッ!」とラーメンが気管に詰まって悶絶したということがある。「そんなに急がなくてもいいから」とその女の子には言われたが、あれは“母親と出来の悪い息子”みたいで本当にかっこ悪かった。
このように自分が食べ物をよく噛む生活をしていると、たいして噛まずに食べている人達というのが非常に気になってしまう。そしてついつい「もっと噛んだ方がいいよ」といらぬお節介を焼いてしまうのである。それが人情ってもんである。
しかし、私ごとき一介のハンサムが注意したからといってその人間の習慣がすぐに変わるかというと、そんなことはまずない。幼い頃から培ってきた体系的リズムや時間感覚はおいそれと捨てられるものではない。私ごとき一介のハンサムボーイが注意しても……である。
どこで仕入れた知識かは忘れたが――私の頭の中にはそういった引出しがかなりある。好きな時に取り出せず、肝心な部分の抜け落ちた曖昧な知識が――咀嚼という行為は、脳の発達と体の筋肉のバランスを保つのにはとても重要な行為だという。顎の筋肉のバランスが悪い人間は体の歪んでいることが多く、体の歪みは脳へ繋がる神経や血液の流れを悪くする。つまりよく噛んで物を食べることは顎の筋肉の発育を促し、健康な体と明晰な頭脳を育むことへの一方法なのである。
このことを先ほど電話で友人にも話してやったところ、
「頭が良くなるなんて、お前に言われても説得力がない!」
と一笑に付された。
なんて失礼なっ! と思いながらも暗に納得してしまった自分が悲しくて、ひとり悔しさを噛み殺すのであった。
―2003年5月6日―